第捌話 【 終神阿惨 】

 その日、灰夢は桜夢の編入試験の手続きの為、

 夕方頃に一人で、言ノ葉たちの学校に来ていた。





「はい、確かに。……書類は以上ですね」

「色々とすいません、姫乃先生……」

「いえ……。私も生徒たちも、いつも助けていただいておりますから……」


 姫乃先生が申し訳なさそうに、ペコペコと頭を下げる。


「では、試験は来月の頭ということで……」

「はい、そうですね」

「分かりました。本人に伝えておきます」

「よろしくお願いしますね」

「では、今日はこれで……。失礼します……」

「はい、わざわざありがとうございました」


 軽く一例をすると、灰夢は学校を出ていった。



 ☆☆☆



 帰り道、灰夢は普段寄らない駅の周辺を歩いていた。



( こっちの方も、時代のせいか随分と変わったなぁ…… )



 去年まで、近場のスーパーと仕事以外に、

 ほとんど外出することのなかった灰夢は、


 変わり続ける街の風景を見て、

 移りゆく時の流れを感じていた。


 すると、そんな灰夢の後ろから、不意に声がかかる──



























          「 ……あれ? パイセンじゃん 」



























「……ん?」


 灰夢が声に振り向くと、後ろで灯里が手を振っていた。


「おぉ、灯里か。久方ぶりだな、文化祭以来か」

「パイセン、こんなところで何してんの?」

「いや、桜夢の編入試験の手続きでな。少し学校に……」

「あぁ、なるほど。それでか……」


 灯里が納得したように、コクコクと頷く。


「お前こそ、こんなところで何してんだ?」

「バイト上がりでね。買い物だよ、晩飯の材料買ってた」

「なるほど、これまた随分と買ったな」


 灯里は、両手の袋にパンパンに詰め込まれた食材を抱えていた。


「ウチね、弟が二人に妹一人いるんだよ」

「四人姉弟か、多いな」

「あいつら、ほんとによく食うんだ……」

「お前ぐらいの年頃は育ち盛りだからな。仕方ねぇさ……」


 見守る親のような視線を送る灰夢を、灯里がじーっと見つめる。


「パイセンからしたらさ、アタシたちってどう見えてるの?」

「……どう見えてるってなんだ?」

「いや、もう子供とか育ち盛り以前に、赤ちゃんレベル超えてね?」

「まぁ、そう思わないところはない」

「ギャップの差があり過ぎて、ちょっと反応に困るよ」

「そこら辺にいる老骨と同じだ。少しだけ、見た目が若作りされてるだけだろ」

「自分で『 若作り 』って言っちゃったよ。この人……」

「まぁ、外見は作りたくなくてもなっちまってるからな」


 手の荷物を重そうにする仕草を見て、灰夢は灯里の荷物を手に取った。


「──ちょ、パイセン?」

「お前の家、この近くなのか?」

「うん、そうだけど……」

「なら、そこまで持ってってやるよ」

「──ほんとっ!?」

「あぁ、ここであったのも何かの縁だしな」


 その一言に、灯里の目が輝く。


「ならさ、よかったらご飯食べて行ってよっ!」

「……え?」

「今日はカレーなんだっ! いっぱい作るからさ、ね!?」

「…………」


 嬉しそうな灯里の顔を見て、灰夢が小さく微笑む。


「そうだな。なら、せっかくだ、ご馳走になっていいか?」

「うんっ! 任せてっ、腕には自信あるぜぇ〜っ!」

「ははっ、そいつは楽しみだ……」


 二人は雑談をしながら、ゆっくりと歩き出すと、

 そのまま、灯里の家へと向かっていくのだった。



 ☆☆☆



 灯里に導かれるように、灰夢が歩いていくと、

 住宅街の中に建つ、小さな古い一軒家に着いた。


「……ここか? 灯里の家って……」

「そそ、ここが入口ね。ただま〜っ!」

「「「 姉ちゃんおかえり〜っ! 」」」


 灯里の声に集まるように、三人の子供が玄関に集まる。


「ただいま。今、ご飯作るから、待ってな……」

「──うんっ!」

「お腹空いたぁ……」

「今日は、何作るの?」

「今日は、お前たちの好きなカレーだよ」

「「「 やったぁ〜っ! 」」」


 喜ぶ弟たちの前に、灯里の後ろから灰夢が姿を見せた。


「──うわっ!」

「……だ、誰? 姉ちゃんの彼氏?」


「──ちょっ! 違うから、そんなんじゃないからっ!」


「あやしぃ〜っ!」

「姉ちゃんの彼氏〜っ!」


 灯里をイジる弟たちの後ろから、一番下の妹が灰夢に歩み寄る。


「彼氏さん、いらっしゃい……」

「おぅ、邪魔するよ……」


「おいっ! パイセンも少し否定しろよっ!」

「ガキの夢ってすぐ壊れっから、どうにも触れにくくてな」

「……いや、理由がすげぇ生々しいからやめてよ」


 灯里は家に上がると、エプロンを付けて台所にいた。


「すぐ出来るから、ちょっと待っててね」

「あいよ、お構いなく……」


 料理を待つ灰夢の周りに、弟たちが群がる。


「変な仮面だぁ〜っ!」

「これ、なんで付けてるの?」


「俺は、これを取ったら変身しちまうんだ」


「すげぇ〜っ!」

「ボク、見てみたいっ!」


「やめやめ、変身したら家壊れちゃうだろ」


「変身すると、そんなにすげぇの?」

「お家、壊れるくらい凄いの?」


「あぁ、この家より大きな狼になる」


「僕、知ってるっ! 男は、みんな狼なんでしょっ!?」

「お兄さんも、怖い狼さんになるの?」


「なるにはなるが、お前らを襲ったりしないよ」


 そんな灰夢たちの卑猥な会話を聞いて、

 灯里がヒョイっと台所から顔を覗かせる。


「ちょ、パイセン。ウチの弟たちに何を教えてんのさ」

「別に、嘘は言ってねぇだろ?」

「そりゃ、パイセンは狼になるかもしれなけど……」


 言葉を詰まらせる灯里が、気まずそうに目を逸らす。


「……姉ちゃん、何の話?」

「もしかして姉ちゃん、この人が狼になったのを見たことあるの?」


「──えっ!? あぁ、まぁ。一応……」


「狼って、彼氏と彼女が二人の時になるんでしょ?」

「やっぱ彼氏なんだ〜っ!」


「だぁから、違ぇっていってんだろっ!」


「うわぁ〜っ!」

「ね、姉ちゃんが怒ったぁ〜っ!」


「んもぉ〜、お前らがしつこいからだろっ!」


 涙目になった弟たちが、灯里から逃げるように、

 灰夢の元へと走り、灰夢の背中に怯えながら隠れる。


「君たちは、狼になっちゃダメだからな?」


「……そうなの?」

「でも、僕も変身したいっ!」


「もし変身したとしても、力は誰かを助ける為に使うものなんだ……」


「おぉっ! なんかカッコイイっ!」

「じゃあ僕は、狼になったら家族を助けるっ!」


「そうだな、それが一番カッコイイ……」


「えへへっ! 僕は皆のヒーローになるんだっ!」

「じ、じゃあ……ボクもっ!」


「なら、まずはご飯をいっぱい食べて、大きくならないとな」


「……うんっ!」

「……うんっ!」


 子供と話をする灰夢の声を聞いて、灯里は笑みを浮かべていた。

 そんな折に、灯里の一番下の妹が、灰夢の袖をクイクイッと引く。


「ねぇねぇ、彼氏さん……」

「……ん?」

「彼氏さんは、お姉ちゃんのことが好きなの?」

「あぁ、好きだぞ……」


 そんな二人の会話を聞いて、灯里が再び顔を覗かせた。


「パ、パイセン……」

「なんだよ、否定すればいいのか?」

「いや、そうじゃないけど……」



( 微塵も否定しねぇじゃん、パイセン…… )



 顔を赤らめながら、灯里がじーっと灰夢を見つめる。



「お姉ちゃん、お嫁さんになれる?」

「あぁ、すげぇ良いお嫁さんになれるよ」


「誰がパイセンのお嫁さんだよっ!」

「待て、誰も俺のなんて言ってねぇだろ」

「今の流れは反則じゃんかっ!」

「知らねぇよ、お前の姉弟たちに言えよっ!」


 頬を膨らませる灯里を見て、弟たちが走っていく。


「あぁ〜っ! 姉ちゃん照れてる〜っ!」

「お顔が真っ赤だぁ〜っ!」


「テメェら、それ以上言ったら晩飯抜きだからな?」


「…………」

「…………」


 灯里の睨みを利かせた一言を聞くと同時に、

 二人の弟は、一瞬で灰夢の後ろに再度隠れた。


「……素直かよ」

「姉ちゃん、怒ると怖いんだもん……」

「将来お母さんになるやつはな、強くなきゃいけねぇんだ」

「……そうなの?」

「あぁ……。うちにいる霊凪さんお母さん?も、俺の家じゃ一番強ぇしな」

「へぇ〜っ!」


 世の中の母の基準を大きく超越した話に、

 子供たちが目を輝かせ、興味津々に食いつく。


「やっぱ怒ると、姉ちゃんみたいに鬼の顔になるの?」

「おい、誰が鬼の顔だ? ゴラァ……」


「鬼の顔にはならないが、鬼……いや、神様が出てくるな」

「──神様が出てくるのっ!?」

「あぁ……。破壊神っていう、怖〜い顔した神様が出てくる」

「へぇ〜っ! お母さんって、すげぇんだなぁ〜っ!」

「僕、お父さんになれる気がしなくなってきた」

「あっ、やべぇ……。また、ガキの夢が……」


 弟の片割れが青ざめた表情を見せていると、

 灯里が料理をしながら、弟たちに声をかける。


「そんな異次元なお母さん、ポンポン居るわけないでしょ……」

「まぁあれは、かなりイレギュラーだからな」

「……そうなの?」

「そもそもウチのママが、そんなじゃないでしょうが……」

「……あっ、そっか」


「俺ん所のは、お母さんの中でも特にヤバい【 終神阿惨おかあさん 】なんだ……」

「「 へぇ〜っ! 」」


 そんなファンタジー溢れる話を灰夢の袖を、

 再び一番下の妹が、静かにクイクイッと引く。


「ねぇ、彼氏さん……」

「……ん?」

「わたしも、立派なお嫁さんになれる?」

「……お嫁さんに?」

「……うん」


 うるうるとした瞳で、少女が見つめていると、

 灰夢が小さく微笑みながら、優しく頭を撫でた。


「大丈夫、なれるさ……」

「……ほんと?」

「お姉ちゃんの言うことを、ちゃんと聞ければな」

「そしたら、立派なお嫁さんになれるの?」

「あぁ、なれるよ……」



























    『 誰かの為を想って、毎日頑張れる女の子が、


            誰よりも、素敵な嫁さんになるんだからよ 』



























 その言葉を聞いた少女が、満面の笑みに変わる。


「──そっか! わかった! なら、わたしも、お姉ちゃんみたいに頑張るっ!」

「その意気だ、頑張れ……」

「──うんっ! ありがとう、御面のお兄ちゃんっ!」

「あぁ……」


 その言葉を聞いて、灯里は顔を真っ赤にしながらも、

 どこか嬉しそうな表情をしながら、料理を続けていた。



 ☆☆☆



 料理を終えた灯里が、テーブルに料理を並べる。


「はい、手を合わせて。いただきまーすっ!」

「「「 いっただっきまぁ〜すっ! 」」」


 灯里の号令と共に、日野家の晩御飯が始まった。


「うめぇ〜っ! カレー最高〜っ!」

「コラっ! 飯の時に立つなっ!」


「唐揚げも〜らいっ!」

「おいっ! 袖にカレーがついてんだろっ!」


「お姉ちゃん、スプーン落としちゃった……」

「ほら、こっち使いな……」


 弟たちの面倒を見ながらも、灯里が楽しそうに微笑む。

 そんな家族の何気ない光景に、灰夢は家族の温もりを感じていた。


「ふっ、平和だな。ここは……」

「……ん? どうしたの? パイセン……」

「いや、カレーがうめぇなってよ」

「──ほんと!? やりぃ、オカワリもあるからねっ!」

「あぁ、ありがとな……」


 嬉しそうな灯里を横目に、灰夢がカレーを食べ進めていく。


「お前のお袋さんは、今は仕事か?」

「うん。基本的には、遅くまで帰ってこないんだよね」

「そうか、大変だなぁ……」

「でもまぁ、こうやって家族でいられるのは、あの人のおかげだから……」

「……そうか」


 そういって、二人がはしゃぐ子供たちを見つめる。


「お前の親父さんのことは、聞かない方がいいか?」

「別にいいよ。単に、離婚してるだけだし……」

「離婚かぁ……」

「金遣いが荒くてね、借金まみれだったらしいよ」

「……そっか」


 灯里は家族写真を見て、一人、過去を語り始めた。



























 ママが離婚する時に、向こうの実家の家族が来てね。

『 弟たちは貰う 』って、ママは言われたらしいんだけど。

 

 

『 あの子たちは、一緒じゃなきゃダメなんです 』って言ってさ。



 周囲の反対を無理やり押し切って、仕事掛け持ちして、

 必死にお金を稼ぎながら、アタシらを引き取ったんだよ。


 だから、今、こうして姉弟揃って、ご飯を食べられるのは、

 ママがあぁやって、必死に働いてくれてるおかげなんだよね。



























  「 だから、アタシも少しでもママの力になる為に、


            今はこうして、この子たちを傍で守り続けるんだ 」



























       「 こいつらの笑顔が、アタシの宝物だから── 」



























 そういって、灯里がそっと笑みを浮かべる。


「ふっ。お前、やっぱいいお嫁さんになるよ」

「ならパイセン、アタシを貰ってくれる?」

「おいおい、お前はいきなり介護がしたいのか?」

「パイセンって、介護が必要になる時来るの?」

「さぁ、俺もよくわからん。出来れば、そうなる前に逝きたいがな」

「あははっ、悩みが爺臭過ぎるでしょっ!」

「しょうがねぇだろ、中身が爺なんだから……」


 灯里は弟たちを見て、自分の将来を想像していた。



( いつかアタシにも、自分の子供たちに囲まれる日が来るのかな )



「……かり、灯里?」

「──へっ!? あっ、何っ!?」

「いや、カレーのオカワリ、貰えねぇかなって……」

「あっ、うんっ! 全然いいよっ!」


 灯里が慌てて茶碗を受け取り、アワアワとご飯を盛る。


「……大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ……?」

「だ、大丈夫、大丈夫……。あははっ……」


 灯里はご飯を盛った茶碗を渡すと、苦笑いしていた。



 ☆☆☆



 ご飯を食べ終えると、灰夢は別れを告げていた。


「ありがとな、美味かったよ」

「ううん、またいつでも来てよ。弟たちも喜ぶし……」

「そうだな。また遊びに来るよ」


 見送りに来た弟たちが、灰夢の足元に群がる。


「御面のお兄ちゃん、また来てねっ!」

「あぁ、また来るよ」

「えへへっ……」


 灰夢が妹を優しく抱き上げ、妹が嬉しそうに微笑む。


「彼氏さんっ! またね〜っ!」

「お姉ちゃんをよろしくね〜っ!」


「この、マセガキ共っ! とっとと風呂入らねぇとシバくぞ、オラァっ!」


「うわぁっ! 姉ちゃんが怒った〜っ!」

「やべっ! 逃げろ〜っ!」


 嬉しそうに逃げ回る弟たちを、灯里が鬼の顔で追いかけていた。


「ははっ、元気だなぁ……」

「元気すぎだよ、ったく……」

「チビが笑ってんなら、いい事だ……」

「まぁね、あははっ……」


 灰夢が妹を灯里に渡し、一人、日野家の玄関を出る。


「そんじゃ、邪魔したな……」

「うんっ! またね、不動たちにもよろしく〜っ!」

「あいよ、またな……」


 灰夢は灯里たちに別れを告げると、そのまま帰路に着いた。



























      灰夢が帰り道を歩きながら、夜空を見上げ、


            どこか懐かしそうな表情で、月を見つめる。



























   「 本当に良い親ってのは、育てられた子供たちが、


           同じ意思を継いでるかで、よく分かるもんだな 」



























           「 ……なぁ、爺さん。婆さん 」



























     空から月影の子供たちを、そっと見守るように。


           夜空には大きな月が、一際大きく輝いていた。



























 玄関を閉じた灯里が、その場に一人、崩れ落ちるようにしゃがみこむ。


「……姉ちゃん、何うずくまってるの?」

「パイセンに……『 いいお嫁さん 』って、言われた……」


「……どうしたの? お姉ちゃん……」

「そうだよな……。この歳の差じゃ、介護だよな……」


「……姉ちゃん?」

「はぁ……。アタシも、香織のこと言えねぇなぁ……」



「「「 ……? 」」」




 ひと時の幸せを思い返すように、灯里は頬を赤らめながら、

 見た目と実年齢の差による葛藤に、一人、悩まされるのだった。

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