第捌話 【 淫夢の本能 】

 桜夢の催眠で倒れた氷麗を、灰夢が抱えていると、

 それを見ていた言ノ葉が、慌てて駆け寄っていった。





「お兄ちゃん、氷麗ちゃんは……」

「えへへ、ダメですよぉ……おに……さ、ん……すぴぃ〜……」

「何の夢を見てんだか知らねぇが、ただ寝てるだけみてぇだな」

「はぁ、そうですか。よかったのです……」

「言ノ葉、氷麗を見とけ……」

「……は、はいっ!」


 氷麗を言ノ葉に預け、灰夢がゆっくりと立ち上がる。


「えへへ、狼さん。ついに、ワタシを食べる気になった?」

「あぁ……。少し、教育が必要みてぇだからな」

「いいね、いいねぇ……。でも、食べるのはワタシだも〜んっ!」

「本当の捕食者の恐ろしさってのを、お前の体に教えてやる」

「あははっ! そうだよ。それくらい、ワタシに夢中になってッ!!!」


 桜夢が再び羽を広げて、勢いよく灰夢に襲いかかると、

 灰夢が手をかざし、桜夢の目の前から影狼を差し向けた。



 <<< 幻影呪術げんえいじゅじゅつ悪食あくじき >>>



「えへへっ~! その術、ワタシはもう知ってるよ〜っ!」


 自分に襲いかかる灰夢の影狼を、桜夢が簡単に受け止め、

 顎から真っ二つに引き裂くように、怪力だけで霧散させる。


 そんな桜夢の馬鹿力に、周りの者たちは口を開けていた。


「バーサーカーか、お前は……」

「こんなの知ってれば、怖くないも〜んっ!」


「嘘、運び屋さんの影が消されたっすよ!?」

「なんなんだ、あの怪力は……」

「人間の域を超えすぎだ。あんなのが相手では……」


 影狼を消した桜夢が、そのままの勢いで灰夢を押さえつける。


「痛ってぇ……」

「さ〜て、どっちが先に食べられちゃうかな〜っ?」

「バーカ、お前の師は誰だと思ってんだ?」

「そんなこと言っても、もう遅いよっ!」



 <<< 幻惑忌術げんわくきじゅつ夢魔ノ眼光むまのがんこう >>>



 再び桜夢の目が赤く光り、ゼロ距離で灰夢に幻惑をかけた。


「狼さんでも、今のワタシには勝てないよっ!」

「そうだな。確かに、すげぇ強ぇよ。今のお前は……」

「狼さんが褒めてくれた〜っ! お礼にギュ〜ッてしてあげるっ!」

「……桜夢」


 桜夢が嬉しそうに微笑みながら、灰夢をギュッと抱き締める。

 すると、桜夢に応えるように、灰夢も優しく抱き締め返した。


「──ちょ、運び屋さんっ!?」

「あの子の忌能力は、洗脳するタイプなのか」

「こ、このケダモノっ! 公衆の面前で何をしているっ!」


「運び屋の……」

「お兄ちゃんが……」

「取られちゃったです……」


 桜夢と抱き合う灰夢を見て、周りの者たちが動揺を見せる。


「えへへっ……。ついに、狼さんはワタシのモノだぁ〜っ!」

「忌能力が覚醒しても、猿以下の頭は変わんねぇか」

「……え?」

「だから、いつも言ってんだろ? 桜夢……」



























         『 ……俺に幻惑は、効かねぇんだよ 』



























   その瞬間、押し倒されていた灰夢の背中から、巨大な影の渦が広がった。



























「……えっ、何!?」

「──これでもう、逃がさねぇッ!!!」



























         【  ❖ 幻影呪術・夢幻界牢げんえいじゅじゅつ・むげんかいろう ❖  】



























 足元に広がった渦が、桜夢を灰夢ごと引きずり込む。


「……えっ、ちょ……このままっ!?」

「ったりめぇだ、クソサキュバス。少し、影の中で大人しく寝てろッ!!!」

「──うわああぁぁぁあっ!!」


 灰夢は桜夢を捕まえたまま、無数の影の手を地面から生やし、

 そのまま巨大な影の渦へ、自分の体ごと引きずり込んでいった。


「なっ、自分を使って引きずり込むなんて……」

「なんて術だ……。確かに、それなら避けられないが……」


 桜夢と灰夢が消えた途端、店の庭に静けさが戻る。


「……ごしゅじ〜ん?」

「……あるじぃ〜?」

「……主さま」

「大丈夫よ、灰夢くんだもの……」

「そう、ですね……。主さまを信じましょう」


 辺りを見回しながら、くノ一たちは、

 言ノ葉と眠る氷麗の傍に集まっていた。


「……お、終わったっすかね?」

「……そう、みたいだな」


「氷麗くんは、大丈夫かい?」

「はい、寝てるだけみたいです」

「そうか、それはよかったっす」

「運び屋くんは、まだ戦っているのだろうか」


「運び屋の……」

「お兄ちゃん……」

「心配です……」


「あの男なら、きっと大丈夫だろう」

「そうっすね。なんたって、運び屋さんっすから……」

「きっと戻ってきてくれると、信じよう……」


「……お兄ちゃん」


 子供たちが心配そうに、灰夢が沈んだ場所を見つめる。

 そんな言ノ葉の頭の上に、ポンッと優しく手が置かれた。



























        「 心配すんな、俺はここにいっから…… 」



























 その聞きなれた声に、子供たちが振り返ると、

 さも当然のように、灰夢が後ろに立っていた。


「……うわぁっ! えっ、お兄ちゃんっ!?」


「運び屋の……」

「お兄ちゃんが……」

「普通にいるです……」


「あれ、もう終わったんすか!?」

「終わったも何も、さっきのは俺の影分身だ」

「──影分身!? い、いつから偽物だったんだ?」

「悪食を使ったところからだ。影狼が消される前に入れ替わった」

「な、なるほど……。それすら読んでいたのか。さすが運び屋くんだな」

「あくまで、そうなる可能性を考慮したってだけだがな」


 平然と答える灰夢に、子供たちが胸を撫で下ろす。


「一瞬、本気で洗脳されちゃったのかと思ったっすよ」

「あぁでもしなきゃ、俺でも無傷では捕まえられなかった」

「あくまで、無傷で終わらせようとしていたのか」

「まぁ、あんな変態でも大事な家族だからな」


「あの子は、どこ行ったんすか?」

「今は俺の影の中を、一人で飛び回ってる」

「ちゃんと捉えてるんすね」

「とんでもないな、この男は……」


 全く動じない灰夢に、子供たちは呆れていた。


「……氷麗は、まだ寝てんのか?」

「はい。なんか、すごく幸せそうな顔で……」


 言ノ葉に抱き抱えられた氷麗が、幸せそうに微笑む。



「えへへっ。もう……お兄さんの、えっち……」



 そんな様子を、全員が冷めて視線で見つめる。


「貴様……。夢の中で、この子に何をしているんだ……」

「火恋、それを俺が知ってるわけねぇだろ」


「なんなのだね。この、何処でも確定運び屋くんルートなのは……」

「さすが運び屋さん、夢でも現実でもモテモテっすね」

「お前は、今の桜夢みたいな求愛行動されて、嬉しいのと思うのか?」

「す、すいません。ノーコメントでお願いするっす」


 灰夢は氷麗を抱えると、家族の待つ店の前へと向かった。


「主さま、ご無事でよかったですっ!」

「悪ぃな、恋白。心配かけた……」


「灰夢くん、桜夢ちゃんは大丈夫かしら?」

「あぁ……。まだしぶとく抗ってるが、幻術にかかったら影から出すさ」

「そう、よかったわ」

「霊凪さん。悪ぃが、氷麗を任せてもいいか?」

「えぇ、わかったわ。ベアーズちゃんたち、お願い……」

「──キュッ!」


 ベアーズが持ってきた担架に、灰夢が氷麗を寝かせる。


「お疲れさま、灰夢くん……」

「さすがだね、灰夢……」

「僕らじゃ、無傷で止めるのは難しかったよ」

「あぁ、狙いが灰夢でよかった……」

「いや、俺は全然良くねぇんだが……」


 ホッとしたように呟く月影たちに、灰夢は呆れた視線を返していた。


「だけど、あんなになるとは思わなかったね」

「あぁ、わたしもさすがに驚いたよ」

「なんで急に、あんなになったんだ?」

「わたしが彼女に、ホットミルクをあげたんだ」

「……ホットミルク?」

「あぁ……。そしたら急に様子がおかしくなって、突然……」

「……そうか」


 よく分からない説明に、灰夢も不思議そうな表情を浮かべる。


「すまなかったね、次から気をつけるよ」

「いや、そんなの俺も知らねぇから、別に梟月を責める気はねぇよ」

「そう言ってくれるとありがたい。桜夢くんを止めてくれてありがとう」

「おう。……にしても、ホットミルクで暴走なんて、そんなことあるのか?」

「多分、ミルクが忌能力の体質に、働きかけたんじゃないのかな?」


「蒼月は、この原因が何か分かるのか?」

「うん、まぁ……。その、なんとなくね……」

「……なんだ? その言い方……」

「灰夢くん、ちょっとこっちに……」

「……あ?」


 蒼月は灰夢を、少し離れたところまで呼び出すと、

 みんなに聞こえないように、コソコソと話を始めた。


「……なんだ?」

「いやさ、言いにくいんだけど……」

「……言いにくい?」

「ほら、サキュバスって、男性のアレを求めるじゃん?」

「あぁ、まぁ。そんなイメージはあるが……」


「伝承の中に、『 牛乳を寝る前に置いておく 』って話があるんだよね」

「……牛乳を置いておく?」

「うん。そうすると、淫夢が間違えて持っていくから、襲われずに済むって話さ」

「おい、それってまさか……」

「あの子の体も牛乳を勘違いして、本能が覚醒したのかもしれない」


「冗談だろ。牛乳で覚醒する悪魔なんて、そんな馬鹿な話があるか?」

「でも実際、サキュバスの能力全開放みたいな状態になってたでしょ?」

「まぁ、確かになってたが……」

「忌能力は謎が多い。体が無意識に反応しても、別に不思議じゃない」

「だからって、あそこまで変貌するもんなのか?」

「まぁ、あくまで可能性の話だけど、それが理由じゃないかなぁ……」

「それってよ、飲むヨ〇グルトとかでもなったりしねぇよな?」

「分からないけど、可能性はゼロじゃないよね」


「…………」

「…………」


 灰夢と蒼月が見つめ合い、揃って大きくため息をつく。


「はぁ、ったく……。ほんとにおかしな忌能力だな、桜夢は……」

「まぁ、あそこまで悪魔寄りの忌能力自体が、かなり珍しいからね」

「珍しいのもそうだが、あいつらになんて説明すんだよ。これ……」

「そうだね。僕も流石に、これは言い難いなぁ……」

「覚醒方法は『 夜の営み 』とか言ってたお前が、今更何を言ってんだ……」

「あれは君と桜夢ちゃんだけだったからで……」

「まぁ、確かに。今回は他のガキ共もいるからな」

「教育上は、あまり良くはないよね」


 ベアーズに運ばれていく氷麗を、灰夢と蒼月が静かに見つめる。


「……にしても、サキュバスって覚醒すると、あんなになんのか」

「僕も、あそこまでになるとは思ってなかったけどね」

「変なことしなくても力が引き出せるのは、よかったけどな」

「でもあれ、理性ごとぶっ飛んでたよね」

「あぁ、あまり簡単に使える方法じゃねぇな」


「牛乳を飲みまくれば、コントロール出来るのかな?」

「勘弁してくれ、あれで練習は刺激が強すぎんだろ」

「そう言いながら沈めたのは、灰夢くんだけどね」

「あんなのが何度も暴れたら、他に被害が出かねねぇ……」

「僕たちレベルじゃないと、止められないレベルなのは間違いないね」

「ひとまず、続きは桜夢が起きてからだな」

「そうだね、本人が覚えてるかも分からないし……」

「今は一旦、考えるのはやめよう」

「……賛成だ」


 そういって、蒼月と灰夢がみんなの所に戻り、

 そこに、風呂場にいたミナゴローが走ってきた。


「……キュゥッ!?」

「……ん? ミナゴロー、どうした?」

「キュゥ! キュキュキュゥ!」

「あぁ、俺が風呂を沸かすように言ってたんだ」

「なるほど、そういうことか」

「──キュゥッ! キュゥキュッ!」


「ミナゴロー。すまないが、ベアーズを集めて地面を修復してくれるか?」

「キュウッキュゥー!!」


 ミナゴローは、ドヤ顔で満月にグットサインを送ると、

 飛ばされたクマたちを集め、壊れた地面の修復を始めた。


「ご飯を用意はしておくから、あなたたちはお風呂にいってらっしゃいな」

「そうだな、俺も暴れすぎた。悪いが、少し汗を流してくる」


「……自分らもいいんすか?」

「もちろんよ。お風呂は広いから、みんなでいってらっしゃい」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」


「わては一度、ホームに帰るでな、あんたらはゆっくりしてき……」

「分かりました。来てくださってありがとうございました、神楽さま……」

「ええんや。気が済んだら、みんなで帰ってきいや……」

「「「 ──はいっ! 」」」





 そう言い残すと、神楽は月影にお辞儀をして、

 一人で、夜影衆の住まいの方へと帰って行った。

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