第漆話 【 白き魔剤 】
灰夢がくノ一たちの演習を始めて、数時間後。
数回の休憩を挟むと、時間は正午に迫っていた。
「そろそろ、いい時間だな。──全員、そこまでっ!」
灰夢の一言を合図にするように、子供たちが倒れ込む。
「ふぅ、終わったっすか」
「いやぁ、ここまでキツイとは思わなんだ」
「おいおい。音を上げるには、まだまだ早ぇぞ?」
「凄く……」
「いい汗……」
「かいたのです……」
「そうだな。まぁ、初日にしては、よく頑張った方か」
「目隠しをしたら、敵の居場所が全く把握出来なかった」
「まだ始まったばかりだ、これから体に馴染ませていけ」
汗を拭いながら、くノ一たちが灰夢の所へと集まる。
「おい、ミナゴロー……」
「……キュゥッ?」
「悪いんだが、風呂を沸かしてきてくれるか?」
「──キュゥッ!」
ミナゴローは、グッドサインをすると、
一人で走って、道場を飛び出していった。
「……今日は、ここまでっすか?」
「あぁ……。そろそろチビ共も起きるだろうからな、昼飯にする」
「おや、もう昼前か。あっという間だったな」
「ほんとっすね。そう言われると、お腹がすいたっす」
「とりあえず、しばらくはこの訓練だ。頑張って体に慣れさせてみな」
「子供たちの成長を見るのは、わても楽しいどすなぁ……」
「卒業式には、俺に涙を流させるくらい頑張ってくれ」
「運び屋さんが涙を流すとか、想像できないっすね」
「まぁ、俺を泣かせられるのは、タマネギだけだからな」
「いや、それボクたちに勝ち目なくないか?」
真顔で答える灰夢に、子供たちが冷たい視線を送る。
「まぁ、何にせよ。まだまだ先は長いと思え……」
「そうだな。少しでも早く、ルミア姉さんに近づかなくては……」
「火恋、あんまり急ぎすぎんなよ。ろくな事にならねぇから……」
「……え?」
「急ぐ気持ちも分からなくはないが、お前は俺が学んだ時よりも随分と若い」
「……そうなのか」
「強い力はゆっくり体に覚えさせないと、大怪我に繋がる」
「…………」
「ちゃんと教えてやっから、気持ちには常に余裕を持っとけ」
「あぁ、わかった……」
灰夢の言葉を聞いた子供たちは、コクコクッと頷いていた。
「さすが、火恋姉の事をよく分かってるっすね。運び屋さん……」
「……ちょ、どういう意味だっ! 透花っ!」
「まぁ、確かに火恋姉さんは、突っ込んで怪我することが多いからな」
「……沙耶まで、そんなに私って判断力ないか?」
「まぁ、この間も一人で突っ込んできて、川に落とされたもんな。お前……」
「わかったから、私が悪かったから……。もう、やめてくれ……」
火恋が膝を抱えながら、一人で隅っこに丸くなる。
「まぁ、何事も急ぎすぎんな。ちゃんと覚えるまで教えてやっから……」
「「「 ──はいっ! 」」」
「うっし……。んじゃ、今日はここまでっ! 解散っ!」
「うひゃ〜、飯っす飯〜っ!」
「お腹ぺこぺこだ。ボクの体の成長の為にも、いっぱい食べなくてはな」
「いや、もう沙耶姉の成長は、終わってるんじゃないっすか?」
「ちょ、なんてこと言うんだ。まだボクたちは、ピチピチの十六歳だぞっ!」
「残念ながら、女の成長は十五歳くらいまでらしいっすよ。沙耶姉……」
「……えっ、そうなの? ボク、バカだから分かんないや……」
「自称博士のくせに、都合の悪いことだけ知らないフリは良くないっす」
「火恋お姉ちゃん……」
「凄く練習……」
「かっこよかったのですっ!」
「ありがとう。もっと強くなって、みんなを守れるようになるからな」
「──うんっ!」
「──でも今度はっ!」
「──夜空たちも一緒にっ!」
「……あぁ、そうだな」
子供たちを見守りながら、灰夢と神楽が歩みを進めていく。
「みんな、楽しそうやなぁ……」
「まぁ、一人じゃねえから、やりがいもあんだろうよ」
「そやなぁ。これからが楽しみやわ」
そんなことを話しながら、灰夢たちは店に向かっていた。
その時だった──
突然、店の入口の扉が、何者かに勢いよく砕かれ、
ドカァンッという音と共に、人型の何かが飛び出す。
「……な、なんすかっ!?」
「なぁ、最近ドアの開け方を知らねぇやつ多くねぇか?」
灰夢が冷静に、出てきた人物をじーっと見つめると、
その人物は赤い目を光らせて、ギロリと灰夢を睨んだ。
「 ……狼さん、見〜つけたっ! 」
そう笑顔で呟く少女に、灰夢が目を丸くする。
「……桜夢?」
「えっ、あれって……桜夢さんっすか?」
「間違いねぇな。あの小悪魔の尻尾、桜夢だ……」
「何か、様子がおかしくないかい?」
「あぁ……。なんだか、フラフラしているように見える」
「凄く……」
「顔が……」
「怖いです……」
「あの目は、まるで、獲物を狙う狩人やなぁ……」
「お前ら少し下がってろ。あいつ、人並み以上の馬鹿力だから……」
そういうと、灰夢は一人で桜夢の前へと歩いていった。
「どうした、桜夢。ついに脳筋が逝き過ぎて、ドアの開け方も忘れたか?」
「狼さん……。ワタシね、今、凄くドキドキしてるの……」
「……は?」
「今なら狼さんの狼さんを、逃げずに受け止められるよっ!」
「おいおい、真昼間から公共の場で、てめぇは堂々と何を言ってんだ?」
「今、ワタシの体全身が、狼さんを感じたいって言ってるのっ!」
「頼むから、俺でも分かる言語で会話をしてくれ」
不敵な笑顔を浮かべる桜夢に、灰夢が呆れた視線を送る。
「なんだ、あの理性が外れた獣のような殺気は……」
「あんなのに襲われたら、逃げるなんて無理っすね」
「なぁ、沙耶……」
「なんだい? 火恋姉さん……」
「『 狼さんの狼さん 』って、なんだ?」
「いや、そんなの乙女に聞かないでくれよ」
「まぁ、火恋姉はピュアピュアのピュアっすからね」
「……え?」
桜夢は息を荒立てながら、灰夢を見つめていた。
「ねぇ、狼さん。ワタシの全てを受け止めてくれる?」
「いや、普通に断る……」
「あっ、この状況でも断るんすね……」
「冷徹だなぁ、あんなヤバそうなのを相手に……」
「……そっか」
「……おう」
「だったら……」
「……あ?」
「 無理やりにでも、ワタシのモノにしちゃうからっ! 」
「……は?」
「えへへっ、行くよ……狼さんっ!」
その瞬間、桜夢が悪魔のような羽を広げ、空を飛ぶ。
「ちょ、おまっ……なんだ、その羽、どっから出したっ!?」
「あははははっ! 逃がさないよ〜っ!」
そんな高笑いと共に、くノ一たちの目の前で、
突然、目に見えない速度の鬼ごっこが始まった。
「──な、なんすか? あの子、自分らより断然速いじゃないっすかっ!?」
「……あれも、忌能力なのか?」
「……運び屋と、互角の動き……」
荒ぶる桜夢から逃げながら、灰夢が必死に声をかける。
「──おい、桜夢っ! 落ち着けっ! お前、急にどうしたっ!?」
「えへへ、分からないけど……ワタシの中の興奮が収まらないのっ!」
「せめて、時間と場所くらい弁えろっ! サキュバスは夜行性だろっ!!!」
「大丈夫っ! ワタシなら、二十四時間大歓迎だよっ!」
「──てめぇの都合は聞いてねぇんだよッ!!!」
蒼い稲妻を纏いながら、灰夢は必死に逃げ続けていた。
それを、空を舞う桜夢が、異常な速度で追いかけていく。
「も〜っ! なんで、逃げるのさぁ〜っ!」
「変態が追っかけて来てっからだろッ!!」
すると、壊れた店の入り口から、月影の家族が出てきた。
「ありゃりゃ、凄い騒ぎになっちゃってるや」
「わたしが出した飲み物がいけなかったのか?」
「梟ちゃん、何を飲ませたの?」
「言ノ葉がいつも飲んでる、ホットミルクだったんだが……」
「ミルク、だからか……」
「……だから?」
「おししょ……。大丈夫、かな……」
「ど、どうしたらいいんだろう……」
「うふふ……。あんなになっても桜夢ちゃんは、灰夢くんが大好きなのね」
「お母さん、そんなこと言ってる場合じゃないのですよぉ……」
「ごしゅじ〜んっ!」
「主さま、お気をつけくださいっ!」
「あるじぃ〜っ!」
「ベアーズ部隊っ! 桜夢を止めろっ!!」
「「「 ──キュゥッ! 」」」
「邪魔だぁ〜っ! どけどけぇ〜っ!!」
「満月お兄ちゃんのクマさんたちが、あんなに簡単に……」
自分を捕まえようとするベアーズを、桜夢が一撃で薙ぎ払っていく。
「今のワタシは、誰にも止められないよ〜っ!」
「ったく、満月に頭のネジでも直してもらったらどうだ?」
「ワタシから逃げる悪い狼さんには……こうだっ!!」
桜夢が何かを構え、それを見た灰夢が警戒した瞬間に、
灰夢を庇うようにして、走ってきた氷麗が目の前に立った。
「──桜夢ちゃん、もうやめてっ!」
「──待て、氷麗っ! 今の桜夢に近づくなっ!」
<<<
「桜夢ちゃんっ! ……急にどうし……た、の……」
「──おい、氷麗っ!」
桜夢の鋭い瞳が、一瞬だけ赤い光を放った途端、
その場に氷麗が崩れ落ち、それを灰夢が受け止める。
「あちゃ〜、邪魔されちゃった……」
「桜夢、テメェ……。いい加減にしねぇと、本気で喰らうぞ……」
「あははっ……。いいね、その目。そうでなくっちゃ……」
氷麗を抱き抱えながら、灰夢がギロッと睨みを利かすと、
桜夢は高笑いを上げながら、不敵な笑みを浮かべていた。
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