第伍話 【 小さな変化 】

 灰夢が、砂浜で遊ぶ家族たちを見ていると、

 後ろから、ボサボサの髪をした氷麗が戻ってきた。





「お前、すげぇ髪型になってんぞ……」

「はぁ、はぁ、はぁ……。なんとか、倒してきました……」

「倒したのかよ、言ノ葉を……」


 氷麗の後ろを見ると、氷麗を襲っていた言ノ葉が、

 上を向いて泡を吹いたまま、白目を向いて倒れていた。


「何したんだよ、お前……」

「上から、押し潰して……。窒息させた、だけです……」

「……なにで?」

「言ノ葉の……嫌いな、脂質で……」

「なるほど……。そいつは、効果抜群だな」

「知りません、自業自得です……」


 灰夢が呆れた顔をしながら、再び湖を眺める。


「あの、お兄さん……」

「……ん?」

「えっと……その、これを……」

「……あ?」


 氷麗の手を見ると、一本のサンオイルを持っていた。


「気持ちはありがてぇが、俺の体は日焼けも治る」

「お兄さんの日焼けなんか、誰も気にしてませんよっ!」

「なら、なんだよ……」

「私の背中に、塗ってくれませんか?」

「そう言うのは、俺じゃなく言ノ葉に言ってくれ」

「だって、絶対イタズラするもん」


 言ノ葉は微精霊たちに囲まれて、そのまま安らかに眠っていた。


「なら、恋白でも呼んでやろうか?」

「お兄さん、空気を読んでください」

「アニメのヒロインか、お前は……」

「メインヒロインですけど?」

「……メインなのかよ」

「お兄さんも、たまには少しぐらい主人公を演じてくださいよ」


「俺は主人公なんかより、悪役の方が向いてるだろ」

「なら、私を襲ってくれますか? オオカミさん……」

「なんだそれ、陵辱願望か? いつから、ドMに目覚めたんだ。お前……」

「ちっがいますよっ! お兄さんだから言ってるんですっ!」


「あのなぁ、老骨に期待しても何も得られねぇぞ?」

「老骨って言っても、お兄さんの骨は二十歳くらいじゃないですか」

「そりゃまぁ、そうだけどよ……」

「むぅ〜。結構、勇気出したのに……」


 頬を膨らませてイジける氷麗見て、灰夢が大きくため息をつく。


「はぁ……、わかった。してやっから、そこに寝そべれ……」

「本当ですかっ!? やったぁ〜!」

「こういうのした事ねぇから、下手でも文句言うなよ?」

「言いませんよ。変なところを触らなければ……」


「そういうこと言うから、全国の男の立場が知らぬ間に危うくなるんだろ」

「お兄さんの場合は、もう少し狼らしくしてもいいとは思いますけどね」

「並の人間より、だいぶ狼がかってると思うけどな」


 灰夢はサンオイルを手に塗ると、ペタペタと氷麗に塗り始めた。


「──ひゃっ!」

「おい、変な声をあげんなよ」

「だって、お兄さんが急に始めるから……」

「悪かったよ。ほら、行くぞ……」

「はい、お願いします……」


 灰夢が優しく、氷麗の背中全体にオイルを塗りたくっていく。


「お兄さんの手、暖かくて……凄く、気持ちいいです……」

「俺が暖かいんじゃない、お前の体が冷てぇんだよ」

「ふふっ、そうかもしれませんね」


 うつ伏せのまま、氷麗は幸せそうな顔をしていた。


「なんだか、変な気持ちです……」

「変態か、お前は……」

「ちっがいますよっ! そういう意味じゃありませんっ!」

「じゃあ、なんだよ……」


「私、人に肌を触れさせるなんて、今までしなかったから……」

「まぁ、初対面の相手を、氷漬けにするくらいだからな」

「だって、男の人はみんな、ケダモノだと思ってましたし……」

「それはマジで、全国の紳士たちに謝れ……」

「私に近づいてくる男の人って、スキンシップが激しいんですよ」

「今は逆に、ほぼ全裸に近い状態で、人に油を塗らせてるけどな」

「オイルと言ってください。あと、全裸って言わないでください」

「ったく……。最近のガキは、注文が多いなぁ……」


 文句を言いながらも、灰夢は黙々と塗りすすめる。


「あの、お兄さん……」

「……ん?」



























         「 ……私、少しは、変われてますか? 」



























 不安気味に呟く氷麗に、灰夢が優しく言葉を返す。


「大丈夫だ、ちゃんと変わってる」

「それ、本当ですか?」

「お前は頑張り屋だ。俺だって、そこはちゃんと評価してる」

「……えへへ」


 氷麗がニヤニヤしながら、気持ちよさそうに目を瞑る。


「まぁ、まだ少し詰めが甘い所はあるけどな」

「……へ?」


 氷麗が前を見ると、ゾンビの様な人影が、ゆっくりと迫ってきていた。


「まだ、わたしは負けてないのです……」

「……こ、言ノ葉?」

「お兄ちゃん、バトンタッチですっ!」

「ほらよ。あとは、お前がやってやれ……」

「はいっ! へへへっ、さっきの仕返しですよぉ〜っ!」


「待って待ってっ! 今、上の水着が付いてなくて……」

「──隙アリですっ!!」

「ちょ、言ノ葉っ! ヌルヌルして動けないから、ひゃっ!」

「問答無用ですっ! 戦場で、相手は待ってくれないのですよっ!」


「あっ、ヤダ……ちょ、ひゃっ……そんな、所に……あんっ、塗らないでぇ……」

「そんなに塗って欲しいなら、全身くまなく塗ってやりますよっ!」

「おにぃさぁ〜んっ! 助けてくださ〜いっ!」



「お前ら。後で、そこ掃除しとけよ……」



 ビニールシートの上で、ベタベタになる二人を横目に、

 灰夢は見なかったことにして、浜辺に向かって歩いていった。



 ☆☆☆



 歩いている途中に、新たに水着を着た三人組が現れた。


「ジャーンッ! ノーミー、見参デスっ!!」

「灰夢さんっ! はろはろ〜っ!」

「おにーさん、いつもながらにやる気ないねぇ……」


 風、火、地の大精霊たちが、歩く灰夢に声をかける。


「エレメンタル。お前らもなんか、いつもと違う服装だな」

「私たちだって、こういう時はちゃんと水着に変えるよ」

「普段から水着みたいな服着てっから、あれは脱げねぇ何かかと思ってた」

「まぁ、確かに、あれは精霊術で作った特殊な素材ですけど……」

「一応、アタシたちも女の子なんだから、ちゃんとファッションは考えてるよ」


 シルフィーが見せびらかすように、クルッと一回転回って見せた。


「どうどう? この水着、可愛い?」

「あぁ、よく似合ってるよ」

「ダークマスターをメロメロにしようと、みんなで考えたんデスよ」

「ちょ、余計なこと言わないでよ。ミーちゃんっ!」

「なんでデスか、事実じゃないデスか」


 シルフィーが顔を赤くしながら、ノーミーをポコポコ叩く。


「ふっ。色合いも合ってるし、新鮮味があって、凄くいいと思うぞ……」

「灰夢さん、こういう時はストレートなんだね」

「普段は、あんなに鈍いのにね」

「なんか、ワタシまで恥ずかしくなってきたデス……」

「おい、さっきまでの自信はどこに行った……」


 灰夢が三人の周りを一度見渡して、再び語りかける。


「……そういや、ディーネはどうした?」

「あぁ、ディーネちゃんなら、多分寝てると思うよ」

「……寝てる?」

「あの子、寝坊助だから。一度寝ると、なかなか起きないんだよね」

「精霊にも、寝坊助とか居るんだな」

「あれを起こすのは、至難の技デスからね」


「せっかくなんだから、起こしてやったらどうだ?」

「ディーネちゃんは、湖底こていで寝てるんだよ」

「……は?」

「この湖の底で眠ってるの、アタシたちじゃ行けない」

「なら、普段はどうやって起こしてんだ?」

「マスターが呼べば起きるけど。今、マスター楽しそうだから……」


 灰夢がリリィの方を見ると、蒼月と死刑執行じゃれ合いをしていた。


「はぁ……。仕方ねぇ、起こしに行ってみるか」

「ちょ、人間なんか潜ったら、水圧で潰れて死んじゃうよ?」

「俺は死なねぇよ、不死身だからな」

「あぁ、そっか……」


「でも、流石のダークマスターも、息が続かなくないデスか?」

「残念ながら俺は、息をしなくても死なねぇんだよ」

「不死身のおにーさんには、『 呼吸 』っていう概念が必要ないのか」

「さ、さすがダークマスター。レベルが違うデス……」


 灰夢が再び歩き出し、ディーネの眠る湖へと向かっていく。

 そんな灰夢を見て、砂遊びをしていた風花と鈴音が呼びかける。


「あれ? 師匠、泳ぎに行くの?」

「この湖の底にいる、寝坊助を起こしに行ってくるだけだ」


「お師匠。風花にも……泳ぎ方、教えて……欲しい、です……」

「戻ってきたら教えてやるよ。ついでにプロを呼んでくっから、少し待ってな」


「はい、待ってますっ!」

「行ってらっしゃい、ししょーっ!」

「……おう」





 灰夢は海パン一つで、何の装備も付けないまま、

 湖の中へと一人で飛び込み、ゆっくりと潜って行った。

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