第陸話 【 縮まる距離 】
灰夢が一人で湖の底へと泳いでいくと、
最奥の岩の中に、ディーネが眠っていた。
( なんか、起こすの申し訳ねぇくらい、気持ちよさそうに寝てんな )
「すぴぃ……、すぴぃ……」
「…………」
( まぁ、終わってから、一人寝てたってのも悲しいか )
「……おい、ディーネ?」
「すぴぃ……、すぴぃ……」
「確かに。これは、すぐには起きねぇな」
灰夢がディーネの頬を、クネクネと優しくつねる。
「ディーネ〜、朝だぞぉ……」
「──はっ!」
「おっ、起きたか」
「あれ、灰夢さま?」
「おう、おはようさん」
「か、かかか!? 灰夢さま!?!?」
「おい、落ち着け……」
「あわ、あわあわあわあわあわっ!」
ディーネがパニックになるのを、灰夢は冷静に
「す、すす、すいません、取り乱しました……」
「いや、別にいい。今、みんなで遊びに来てんだよ。お前も来ないか?」
「……みんな?」
「聞いてなかったのか? 夏の最後に、みんなで泳ごうって……」
「……あっ! 今、何時ですか?」
「……今か? 今は、午後二時だな」
「ね、寝過ごしちゃうところでした……」
「まぁ、そう思って起こしに来たんだ」
「ありがとうございます、嬉しいです」
「そっか。そりゃ、来てよかった……」
ディーネが灰夢を見て、小さな笑みを浮かべる。
「なんだか、懐かしいですね」
「……何がだ?」
「初めてお会いした時も、こうして話しかけに来てくださいましたよね」
「お前、よく覚えてんな……」
「忘れませんよ。わたしを孤独から連れ出してくれた、王子様ですから……」
「……王子様?」
「──あっ! いや、なんでもないんです。忘れてください……」
赤くなるディーネを横目に、灰夢は周囲の景色を見回していた。
「でも、こんな所まで迎えに来てくれるのは、灰夢さまだけですね」
「まぁ、誰でも来れる所じゃねぇからな」
「ふふっ、今だけは……灰夢さまを独り占めですっ!」
「別に、俺なんか独り占めしても、いい事なんかねぇぞ?」
「それが、幸せかどうかを決めるのは、
灰夢の腕にくっつきながら、ディーネが嬉しそうに笑顔を見せる。
「なんか、お前も変わったな」
「……そう、ですか?」
「前はあんま、自分の意志を口にするタイプじゃなかっただろ?」
「わたしに、自分の意志の大切さを教えてくれたのは、灰夢さまですよ?」
「……そうだっけか?」
「はい。おかげで、今は以前よりも、とても前向きになりましたっ!」
「そうか。なら、あの時の行動は間違ってなかったんだな」
灰夢が優しく撫でると、ディーネは素直に甘えていた。
「あの時は、わたしに踏み出す勇気を教えてくれて、ありがとうございました」
「たまたまだ。そんなに恩を感じなくてもいい」
「そんなことは無いです。わたしの人生を変えてくれたんですから……」
「大精霊にそう言われると、無駄にスケールがデカく感じるな」
「ふふっ。確かに、人の身と考えると、凄いことかもしれませんね」
そういって、二人が小さく笑みを交わす。
「そんじゃ、そろそろ俺らも、みんなの所に行くか」
「はいっ! 灰夢さまっ!」
すると、凄い勢いで、上から何かが泳いできた。
「なぁ、ディーネ。ここ、人魚も居るのか?」
「いえ、存じませんが……どなたでしょう、あの方は……」
「──主さまっ!」
勢いよく灰夢の目の前で止まったのは、上から泳いできた恋白だった。
「主さま、ご無事ですかっ!?」
「いや、『 人並みに泳げる 』ってレベル超えてんじゃねぇかッ!」
桁外れの速度で泳いできた恋白に、灰夢が全力のツッコミを入れる。
「ビックリしました。湖底を見ていたら、主さまがいらっしゃったので……」
「心配かけて悪ぃな。俺は息をしなくても死なねぇから、溺れねぇんだ……」
「あぁ、なるほど。相変わらず、変わったお体をお持ちですね」
「まぁな。でもまぁ、こういう便利な時もあるもんだ」
平然と答える灰夢を見て、恋白が胸を撫で下ろす。
「そうだ。せっかくだから、二人に頼みたいことがあるんだが、いいか?」
「……はい?」
「……なんでしょうか?」
「風花と鈴音に泳ぎを教えてやりたくてな。出来れば協力して欲しい」
「なるほど。主さまの頼みとあらば、喜んでお引き受け致します」
「りょーかいしました。水の大精霊に、お任せあれですっ!」
「水の神と大精霊が居りゃ、心強い。悪ぃが、よろしく頼む」
「承りましたっ!」
「お任せくださいっ!」
そういって、三人は地上へと上がって行った。
☆☆☆
地上に出ると、風花と鈴音、言ノ葉や他の大精霊たちが待ってた。
「あっ、お兄ちゃんが帰ってきたのですっ!」
「うわっ。なんかししょー、凄いムキムキになってる」
「……あ? あぁ、体が水圧に耐えるように変化したんだろ」
そんな灰夢の体を見て、サラが声を上げて笑う。
「あははっ。なんか、あの時を思い出すね」
「……あの時?」
「おにーさんとアタシが、思いっきり戦った時だよ」
「あぁ……。あの時は死術を開いてたから、もっとやばかったろ」
「そうだけど、やっぱり普通じゃないよ。おにーさん……」
「ったりめぇだ。普通な奴が、大精霊なんぞに勝てるか」
「ははっ、それもそうだね」
サラが思い出を振り返るように、灰夢の姿をじーっと見つめる。
「あのさ、またいつか……リベンジとか、しても……いいかな?」
「別に構わねぇよ。俺が、いくらでも返り討ちにしてやる」
──その瞬間に、サラの瞳がキラキラと輝いた。
「──ほんとっ!? ──いいのっ!?」
「おいおい。何も、そんなに目を輝かせなくてもいいだろ」
「いやね。アタシが闘志を燃やすと、みんな逃げちゃうからさ」
「まぁ、火の精霊術って、基本が火力系統だからな」
「うん。だから、アタシが力を解放出来る機会も、あんまり無くってね」
「そうか。なら、気晴らしついでに挑んでこい。暇なら相手してやっから……」
「やったっ! 絶対だからね。土壇場で逃げるとか無しだよ?」
「月影は、そんなにヤワじゃねぇよ。死なねぇ程度に遊んでやらァ……」
「おにーさんは死なないから、アタシは手加減無用だからねっ!」
「火事と喧嘩は江戸の華ってな。喰うなら喰われる覚悟でかかってこいよ?」
灰夢の言葉に、サラが嬉しそうに笑みを浮かべる。
すると、後ろにいたディーネが、精霊術を唱え始めた。
「お待たせしてしまったお詫びに、わたしからのプレゼントですっ!」
「……プレゼント?」
<<<
──その瞬間、全員に何かの加護がかかった。
「……これは?」
「これで、水の中でも息が出来ますので、苦しくないですよ」
「……ほんとっ!?」
「はい。深いところでも潜れますので、存分にお遊びくださいっ!」
その言葉を聞いて、子供たちがはしゃぎ出す。
「おぉ〜っ! なんか凄いなのだぁ〜!!!」
「精霊術って、こんなことも出来るんだ……」
「お前らも遊んできたらどうだ? 外じゃなかなか出来ない体験だぞ?」
「はいっ!」
「よっしゃ〜、泳ぎまくるのですっ!」
「風花っ! 泳ぐ練習しよっ!」
「……うん、いこっ!」
「鈴音さま。わたくしが泳ぎを、ご教授致しますよ」
「ほんとっ!? いいのっ!?」
「風花さまには、わたしがお供致しますね」
「えへへっ、お願いします……」
風花と鈴音は、恋白とディーネと共に、水の中へと向かった。
その後を、他の大精霊や言ノ葉たちも、走って追いかけていく。
そんな楽しそうな家族の姿を、灰夢ともう一人だけが、
その場に残って、過去を振り返るように見つめていた。
「お前は行かないのか? シルフィー……」
「あっ、いやね。何だか、昔を思い出しちゃって……」
「……お前もかよ」
「皆と仲良くしたいなんて夢物語を、灰夢さんが叶えてくれたから……」
「お前はボッチか。夢物語ってほどの大袈裟な話でもねぇだろ」
「いやいや、本当に凄いことなんだよ? 四大精霊が一つになるのって……」
「……そうなのか?」
実感の湧かない灰夢が、確かめるように大精霊たちを見つめる。
「誰にも言えなかった悩みを、あなたは聞いてくれた」
「たまたま森で、お前がしょぼくれてるのを、見かけただけだけどな」
「も〜っ! それは言わないでよぉ〜っ!」
「ふっ。まぁ、理由は何にせよ。お前らが仲良い方が、俺も嬉しい」
「そんなことを言ってくれる人、マスターと灰夢さん以外にいないよ」
「別に言わねぇだけで、誰だって仲が良い方がいいだろ?」
「それでも、その為に、サラちゃんやミーちゃんと、バトルはしないでしょ?」
「ノーミーはともかく、サラは初めの態度が気に入らなかっただけだ」
初めて会った時とは違う、サラの家族と触れ合う姿に、
灰夢は何処か、ホッとした表情で、静かに微笑んでいた。
「でも、サラちゃんがあんなに嬉しそうなところ、なかなか見ないよ?」
「まぁ、力でなんでも解決するやつは、何かと避けられやすいからな」
「そういう自然の在り方なんだとしても、私じゃ合わせてあげられない」
「そういう時は、誰かに頼ればいいさ」
「……え?」
「誰にだって、得意不得意はある。それを補い合うのが、仲間ってもんだろ」
そういって、灰夢が横目でシルフィーに笑いかける。
「……うん、そうだねっ!」
「まぁ、ここには月影がいる。俺以外にも、適任者はたくさんいるさ」
そう告げる灰夢の横顔を、シルフィーが静かに見つめる。
「ねぇ、灰夢さん……」
「……ん?」
「この間のミーちゃんの時も、初めてあった時も、本当にありがとね」
「なんだよ、改まって……」
「返しきれない優しさを、私たちは貴方に貰ってるから……」
「俺の勝手な気まぐれだ。別に気にしなくていい」
「私たちは、その気まぐれのお陰で、今、凄く幸せなんだよ」
「お前らが笑ってくれてりゃ、それだけ俺も幸せだよ」
優しく微笑む灰夢の言葉に、シルフィーは自然と笑顔を見せていた。
「えへへっ。本当にいいこと言うよね、ふっしーって……」
「……ふ、ふっしー?」
「あっ、ごめん。みんなと話してる時にそう呼んでて、つい……」
「どこのゆるキャラだよ。俺は【 梨の妖精 】じゃねぇんだぞ?」
「そんな、よく分からない生き物と一緒にしてないよっ!」
「じゃあ、なんだよ……」
「あだ名で呼び合ったら、もっと仲良くなれるかな〜って……思って、その……」
「俺は『 ふしづき 』じゃなくて、『 しなづき 』なんだが……」
「それくらい、私だって分かってるよぉ……」
「なら、なんで【 ふっしー 】に行き着いた?」
「もちろん、不死身だからっ!」
「……雑かよ」
「いいじゃん、可愛くて。お願い、呼ばせてよぉ〜っ!」
「まぁ、別に呼ぶのは好きにしてくれて構わねぇけど……」
「えへへっ、やったぁ〜っ!」
許可を貰ったシルフィーが、嬉しそうにガッツポーズを決める。
「んじゃ、仲良くなったところで、俺らも行くか。
「うんっ! そうだ……へっ?」
灰夢がフリーズするシルフィーを置いて、みんなの元へと向かっていく。
「ふ、ふっしー? 今、なんて言った!?」
「……ん? 『 俺らも行くぞ 』っつったんだよ……」
「その後、私の名前っ!」
「さぁな、忘れた……」
「ねぇ〜、もう一回呼んでよ〜っ!」
「シルフィーは泳げるのか?」
「ね〜え〜。私、シルフィーじゃない〜っ!」
「じゃあ、お前は誰なんだよ……」
シルフィーは甘えながら、呆れる灰夢の背中を追った。
「ししょ〜っ! 早く〜っ!」
「おししょー……こっち、です……」
「へいへい。今、行くよ……」
「おにぃさ〜んっ! 早くしないと、置いて行っちゃいますよ〜っ!」
「別に、先に行きゃいいだろ」
「も〜っ! 空気を読んでくださいよ! しばらかしますよ?」
「やめんか、湖が凍りつく……」
「お兄ちゃんっ! どっちが早く泳げるか、勝負なのですっ!」
「……ほぅ? 俺に挑むとは、いい度胸じゃねぇか。言ノ葉……」
「いいねぇ! アタシも、おにーさんと勝負してみたいっ!」
「火の大精霊って、水の中入れんのかよ」
「ならば、ワタシもダークマスターに宣戦布告デスよっ!」
「よし。んじゃ、最下位の奴は、後でリリィの猛毒風呂の刑な」
「──ひぇっ!?」
「──ガーンッ!!」
「いや、それはちょっとシャレにならないよ。おにーさん……」
「それくらいの方が、盛り上がるだろ?」
灰夢の提案に、子供たちの顔が青ざめる。
「お兄ちゃん、死術は使っちゃダメですよ?」
「安心しろ。湖底まで泳いだ肉体は、伊達じゃねぇ……」
「ズルいですよ、お兄ちゃんっ!」
「お前も言霊使うなよ?」
「お兄ちゃんが、チートをしなければ使いませんよっ!」
「俺はもう、時間が経つまで肉体を戻せねぇんだよ」
「では、わたしはチートになりそうなので、審判をお引き受けしますねっ!」
「そうだな。さすがに俺も、死術無しにディーネや恋白には勝てん」
「むしろ、なんで使ったら勝てる可能性があるんだよ」
当然のように告げる灰夢に、満月が冷静にツッコミを入れる。
「ふと思ったんだが、満月って泳げるのか?」
「潜水艦みたいに、進むことならできるぞ?」
「それ、『 泳ぐ 』って言わねぇだろ」
「ましゅたぁ〜、およぐ〜?」
「白愛、一緒に下まで泳いでみるか?」
「……うんっ!」
「では、わたくしは風花さま、鈴音さまと共に応援しておりますね」
「おししょー……。頑張って、ください……」
「ししょ〜! ファイトォ〜!」
「終わったら、お前らも特訓だ。風花と鈴音も水に慣れとけな」
「──うんっ!」
「──はいっ!」
「ならば、たまには吾輩も参加してみるかのぉ……」
「わらわも、負けはせぬぞっ!」
「お前らが入ると、大乱戦になる気しかしねぇんだけど……」
やる気満々の九十九と牙朧武に、灰夢が哀れみの視線を送る。
「お兄さん。私が勝ったら、ご褒美くださいねっ!」
「それはいいが、負けたら何をくれるんだ?」
「……それは、その……えっと……」
「待て、氷麗。お前、負けたら俺に何をする気だ?」
「そ、それは、結果が出てからのお楽しみですっ!」
「勝っても負けても、同じ未来しか見えねぇんだが……」
「ズルいですよ、氷麗ちゃん! わたしも、ご褒美欲しいのですっ!」
「べ〜っ! 私が先に言ったんだもんっ!」
「なら、わたしと氷麗ちゃんとでも勝負ですよっ!」
「上等、望むところだよっ! 言ノ葉になんか、負けないんだからっ!」
「わたしだって、負けませんよぉ〜っ!」
灰夢を他所に、氷麗と言ノ葉が闘志を燃やす。
「おい、俺の人権が入ってねぇぞっ!」
「今のお兄さんの体は人間じゃないので、人権はありませんっ!」
「人権が欲しかったら、お兄ちゃんも普通の人間に戻ってくださいっ!」
「戻れたら苦労してねぇんだよ。自分でも死ねねぇんだから……」
くだらない話をしながら、灰夢たちが一列に並ぶ。
「では、参りますね……」
「うむ、準備万端じゃっ!」
「いつでもおっけぃです!」
「ワタシの力を見せてやるデスよっ!」
「位置について……よーいドンッ!!!」
沖合まで泳ぎ切る、巨大な湖の長距離水泳レース大会は、
後半戦に、本来の姿へと戻った、牙朧武の優勝で終わった。
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