第肆話 【 脱走 】

 唯から受けた、地下施設の仕事から数日後の週末。

 灰夢は店のカウンターで、お昼ごはんを食べていた。





「じーっ……」

「なぁ、氷麗……。食ってる姿をマジマジと見んの、やめてくんね?」

「感想が欲しいです……」

「美味いから、大丈夫だから。圧かけんな、圧……」


 バイトをしている氷麗の顔が、パァっと明るくなる。


「というか、お前学校は?」

「今日は、午前中で終わりなんです」

「言ノ葉は、まだ帰ってねぇのか?」

「言ノ葉なら、今日は部活ですよ」

「あいつ、部活やってたっけ?」

「助っ人で、色んな部活にちょくちょく出てます」

「マジかよ。お人好しだなぁ、あいつも……」

「今日は、チアリーディング部に行ってますよ」

「ほぅ〜。まぁ、言ノ葉には向いてそうだな」


 灰夢のご飯を食べる姿を、氷麗は嬉しそうに見つめていた。


「ユニフォーム、凄く可愛いんですよね。あの部活……」

「なら、お前もやればいいじゃねぇか」

「だって、帰る時間遅くなるじゃないですか」

「学生であるうちに、青春に時間を費やさなくてどうすんだよ」

「私には、今、部活よりも熱中してる青春がありますから……」

「へいへい、そうですかいな……」


 誇らしげな氷麗の顔から、灰夢が気まずそうに目を逸らす。


「それで、実際どうなんだ? 学校生活は……」

「そうですね。言ノ葉の助けもあって、今のところは順調です」

「……そうか」


 そういって、ご飯を食べる灰夢を、

 氷麗がそっと微笑みながら見つめる。


「お兄さん、心配してくれてるんですか?」

「……悪ぃか」

「ふふっ、ありがとうございます。御守りもありますから、大丈夫ですよ」

「そうか、そいつはよかった……」


 そんな話をしながら、灰夢が自分の昼飯を食べ進める。

 すると、外で京次郎と電話をしていた蒼月が戻ってきた。


「灰夢くん。今、あの子のことが分かったよ」

「おぅ、どうだったんだ?」

「名前は、十六夜いざよい 桜夢らむ。十六歳の女の子だって……」

「十六歳。本当に、ただの人間だったのか」


「ただ、病名は分からないって言われた」

「病名は分からない? 妙な言い回しだな」

「原因らしきものは、一応、見つかったみたいでね」

「それを見て分からないってことは、本来人間には無いものってことか」


「胸の辺りに黒いアザがあって、日に日に広がってると言ってる」

「黒いアザ? それは、俺の死術の死印みたいな何かか?」

「分からない。この後、僕が直接見てくるから、そしたら、また知らせるよ」

「病気ならともかく、何かの能力関係なら蒼月が見た方が確実か」

「……恐らくね」

「分かった。悪ぃが、よろしく頼む……」

「うん、任せてっ!」


 そう蒼月が返事をした途端、スマホの着信が鳴り、

 蒼月が通話に出ながら、再び店の外へと出ていく。


 そして、再び食事を続ける灰夢を、

 氷麗が不満そうな顔で見つめていた。


「お兄さん、その子のことをやけに気にかけますね」

「別に、下心とかじゃねぇぞ?」

「分かってますよ。お兄さん、そういうの無さそうですし……」

「まぁ、否定はしねぇけど……」

「してくださいよ。目の前にいるのは乙女なんですから……」

「お前の目の前にいるのは、老いぼれた老骨だけどな」


 いつも通りの会話が、二人の間を飛び交う。


「何か、気にかかるところがあるんですか?」

「直感だがな。俺が力を出す前から、俺じゃない何かに怯えてた」

「……何かに、怯えてた?」

「なんかこう、テストで悪い点取ったら、母ちゃんに怒られる子供みてぇな」

「なんですか、その例え……」


「それに、自分の陣地でボロボロの服に、傷だらけの体。……絶対何かあるだろ」

「そうですね。それは確かに、少し気がかりです」

「アイツもアレが仕事だから、病院の検査も受けれないって言っててな」

「それで、病院の手配を頼んだんですね」

「あぁ、そうだ……」


 そう答えた灰夢に、氷麗がそっと笑みを見せる。


「ふふっ、お兄さんらしいです」

「何だ? 急に……」

「いえ、敵でも味方でも、相手をよく見てるなって……」

「戦場を生きる者が、それを出来なくてどうする」

「ほんと、素直じゃないですね。お兄さんは、ふふっ……」

「うるせぇ、ほっとけ……」


 すると、外から蒼月が走って帰ってきた。


「大変だ、灰夢くんっ!」

「おい、お決まりの展開とか要らねぇぞっ!」

「いや、それを僕に言われてもしょうがないでしょ……」

「……逃げたのか?」

「……みたい」

「はぁ、まためんどくせぇことしやがって……」

「とりあえず、僕が現場から逃げたルートを辿ってみるよ」


 そういって、蒼月が出ようとした瞬間、

 頭を抱えていた灰夢が、とあることを閃く。


「あっ……。──待て、蒼月っ!」

「……ん? ……なんだい?」

「もしかしたら、向こうから来るかもしれねぇ……」

「……え? あっ、もしかして……」

「あぁ、試してみる価値はあるだろ?」


 そんな二人の会話に、氷麗は首を傾げていた。



 ☆☆☆



 その日の夕方、灰夢は言ノ葉を迎えに行っていた。


「……あれ? お兄ちゃん、何してるんですか?」

「雨降ってるし、帰りが遅くて一人は危ねぇから、迎えに来たんだよ」

「えへへ〜。お兄ちゃんも、気が利くところがあるんですねっ!」

「喧嘩売ってんのか、おのれは……」

「あぅっ!」


 軽いチョップを言ノ葉の頭に入れると、

 二人はそのまま、家へと向かって行った。


「部活、忙しいのか?」

「そうですね。今やってるのが、文化祭の部活の出し物なので、それまでは……」

「文化祭の部活動に助っ人が出るのって、どうなんだ?」

「まぁ、助っ人と言っても、しょっちゅう顔を出してますからね」

「なるほど、人気者はすげぇなぁ……」


 そう呟く灰夢の横で、言ノ葉が嬉しそうに微笑む。


「わたし、嬉しいんです……」

「……何が?」

「人を応援する時は、声を出すことができるので……」

「まぁ、呼びかけて発動する忌能力者は、そうかもしれねぇな」

「あの時、お兄ちゃんが来てくれなかったら、今のわたしはいないんです」

「……大袈裟だろ」

「そんな事ないですよ。わたしの人生を変えてくれたんですからっ!」


「お前が笑ってねぇと、俺の調子が狂うってだけだ」

「えへへ〜っ。お兄ちゃんには、わたしが必要なんですねぇ〜!」

「調子がいいな、このチビ助……」

「はいっ! これが、わたしの長所なのですっ!」


 言ノ葉は満面の笑みで前に立ち、灰夢に告げた。


「……お兄ちゃんっ!」

「……ん?」



























       「 いつも助けてくれて、ありがとなのですっ! 」



























 言ノ葉の笑顔を見て、灰夢も小さく微笑む。


「ふっ……。なんだよ、急に……」

「たまには、ちゃんと伝えようかなって、思っただけなのですっ!」

「なら、俺からも感謝だ……」

「……えっ?」


 灰夢は言ノ葉の頭を撫でながら、小さく笑いかけた。


























        「 いつも俺に元気をくれて、ありがとな 」



























 いつもは見せない、素直な灰夢の優しさに、

 言ノ葉の顔から耳までが、一瞬で真っ赤に染る。


「……お、お兄ちゃん?」

「……お前、顔真っ赤だぞ?」

「えっ!? いや、違うのだぁ……。これは、その……」

「ほら、とっとと帰って飯にすんぞ……」

「は、はは、はい……なのですっ!」


 照れ隠しをしながら、言ノ葉が灰夢の横に並ぶ。


「あ、あの。お兄ちゃん……」

「……ん?」

「お兄ちゃんの傘に、入ってもいいですか?」

「二つ傘あるのにか? ……狭くね?」

「むぅ〜。お兄ちゃん、空気読めな過ぎです」

「あのなぁ、もう小学生とかじゃねぇんだぞ?」

「わたしはいくつになっても、お兄ちゃんの妹ですよ?」

「いや、そりゃそうだが。限度ってもんがあるだろ」

「だって、なかなかこういう時ってないですし……」


 そういって、言ノ葉の頬がぷっくらと膨らむ。


「はぁ……。わかったよ、ほら……」

「えへへ〜っ、相合傘なのだぁ〜!」

「濡れるから、もっとこっち来い」

「──ッ!?」


 灰夢が言ノ葉の肩を掴み、そっと抱き寄せる。


「……お、おおお、お兄ちゃんっ!?」

「……ん? これじゃなかったか?」

「……い、いえ、これで大丈夫ですっ!」

「そうか。あんま離れんなよ、雨に濡れっから……」

「はいっ! えへへ、温かいのだぁ……」


 そういって、言ノ葉が嬉しそうに灰夢に抱きつく。


「歩きづらいんだが、これ……」

「その分、この時間を長く感じられますよ」

「なんだその、胸焼けしそうな熱々カップルみてぇなセリフは……」

「わたしはそれくらい、言ノ葉はお兄ちゃんが大好きなのですっ!」

「そういうカップルって、即効別れそうだけどな」


「──ガーンッ!」


「冗談だよ。ほら、濡れっから離れんなって……」

「なら、お兄ちゃん。わたしを離しちゃダメですよ?」

「へいへい。分かりましたよ、お嬢さま……」

「えへへ〜っ。お兄ちゃんは、わたしだけのナイト様なのだぁ〜っ!」


 言ノ葉はベタベタとくっつきながら、

 嬉しそうに、満面の笑みを浮かべていた。


「そういや、また氷麗がバイトで来てんぞ」

「ほんとですかっ? これは、早く帰らないとですねっ!」

「お前ら、ほんとに仲良いな」

「はいっ! 良き親友であり、ライバルですからっ!」

「……ライバル?」

「あっ……。いえ、なんでもないのです……」


「なんだよ。また、乙女の秘密か?」

「はい、乙女は秘密がいっぱいなのですっ!」

「やれやれ。家族である俺にも秘密とは、俺らの仲はその程度だったか」

「いえ、お兄ちゃん以外は、多分、みんな知ってますよ?」

「……は? 何それ、俺だけハブられてんの? 傷つくんだけど……」


「いや、そろそろ自分で、気がついて欲しいところです」

「おいおい、俺の戦場以外での鈍さは折り紙付きだぞ?」

「そこまで誇れるのも、また別の意味で凄いですね」

「ったりめぇだ、歴が違ぇからな」

「年齢を出さないでくださいよ。カバーできなくなりますから……」

「確かに、悪かった……」

「素直でよろしいです……」


 そんな冗談を言いながら、灰夢と言ノ葉は祠の入口をくぐる。


「あの、お兄ちゃん……」

「……ん?」

「今日、クマさんたちが一匹もいなくないですか?」

「あぁ……。ちょっと訳あって、今だけ警備をやめてもらった……」

「それはまた、なんでですか?」

「まぁ、時期にわかるさ……」

「……?」



 ──そして、店の前まで帰ってきた、その時だった。



「さて、ちょうどいい頃合だな」

「……え?」

「言ノ葉、先に中に入ってろ」

「どうしました? お兄ちゃん……」

「ちょっと、俺相手の客が来ててな」


 その言葉を聞いて、言ノ葉が灰夢の後ろに目を向ける。



























   すると、土砂降りの雨の中、濡れた患者服を着た少女が、


         一本の鉄パイプを持ちながら、灰夢の後ろに佇んでいた。



























           『 ふふっ、バレちゃってた? 』



























 不敵な笑みを浮かべる少女を見て、言ノ葉の表情が固まる。


「……だ、誰ですか?」

「この間の仕事で俺があった、淫魔いんまってやつだ」

「なんで、こんな所に……」

「話は後だ。中に入って鍵閉めとけ……」

「は、はは、はいなのですっ!」


 言ノ葉は慌てて店の中に入ると、入口の鍵を閉めた。


「これで、邪魔者は居なくなったぞ。……どうする?」

「ワタシが来るの、分かってたんだね」

「ったりめぇだ。その為に、この服を着て歩き回ったんだからな」


 灰夢は仕事の時に来ていた、マーキングの着いた羽織を着て、

 町中を散策するように歩いてから、言ノ葉を迎えに行っていた。


「なるほど。つまり、ワタシは狼さんに誘われたって訳だ」

「安心しろ。招いただけで、罠は仕組んでねぇから……」

「ほんと、強い人は羨ましいね」

「これもこれで、また悩みがあんだよ」

「……そう」


 小さく返事をしながら、少女の赤い瞳が灰夢を睨みつける。


「そんな物騒なもん持って、俺を殺すつもりか?」

「そうだよ、理解が早いね」

「そんな鉄パイプ一本で、俺を殺れると本気で思ってんのか?」

「どうかな。でも、何もしないよりは気が晴れるんだよ」

「……そうか」


 青ざめた顔つきに、フラフラと揺れる力のない足取りで、

 今にも倒れそうなのを堪えながら、少女は必死に立っていた。


「死ぬのか、お前……」

「そうだよ。もう多分、数時間も持たない」

「お前、何の病を患ってるんだ?」

「どうせ言っても、狼さんには関係ないでしょ?」

「まぁ、それもそうだな」


 そういって、灰夢が顔に付いたお面を外すと同時に、

 二人がギロッと睨み合い、その場の空気が一瞬で変わる。



























  「 死んで、あの世で後悔しろ。ワタシの人生を奪ったことをッ!! 」



























    「 やってみろ、小娘。喰われる覚悟はできてんだろうな? 」



























 降りしきる雨の中、殺意と共に少女は駆け出し、


        待ち構える灰夢に向かって、鉄パイプを振りかざした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る