第玖話 【 灰夢という人間 】

 気絶していた鈴音すずなが目を覚まし、目の前の影に問いかけた。





「……誰?」

「良かったのぉ、目が覚めて……」


 胡座あぐらをかいた黒い影が、ドス黒いオーラを放ち、

 獣を型どった顔から、紅い眼光が鈴音を見つめていた。


「──うわっ、えっ!? 怖っ……なに、誰っ!?」

「お、おい……。落ち着け。また、傷口が開くぞ……」


 鈴音が驚き、慌てて目の前にいた風花ふうかに抱きつくと、

 風花が宥めるように頭を撫で、冷静に牙朧武ガルムに問いかける。


「あなたは……。狼の、お兄さんの……。お友達、ですか?」

「正確には、あやつの影に住む呪霊じゃが……。まぁ、間違ってはおらぬか」

「なら、優しい……呪霊さん、なの……?」

「お主に灰夢かいむが優しく見えるのなら、その認識で大丈夫じゃろう」


 その話を聞いて、今度は鈴音が風花に問いかけていく。


「風花、お兄さんって?」

「昼間御飯、食べさせてくれた……。狼の、お兄さん……」

「……灰夢くん?」

「……うん」

「この呪霊さんは、灰夢くんの仲間なの?」

「うん、みたい……」


 鈴音が牙朧武を見つめ、今の現状を必死に理解しようとする。


「でも、なんで……。こんな所に……」

「お兄さん……。今、山神さまと戦ってるから……」

「……えっ!? 戦ってる? どういうこと!?」

「風花たちを、助けに来てくれたの……」

「……助けに? そういえば、山神さまは……。あの後、どこに……」


 現状が理解しきれない鈴音を無視して、牙朧武が一言呟く。


「山神とやらも離れたし、そろそろ周りのヤツらも来るかのぉ……」

「……えっ?」


 周囲から、大量の妖魔ようまが三人に歩み寄り、

 その中の一匹が、勢いよく牙朧武に奇襲をしかけた。


「──後ろ、危ないっ!!」



























          【  ❖ 幻影呪術げんえいじゅじゅつ悪食あくじき ❖  】



























 ──そう小さな声で、牙朧武が呟く。


 その瞬間、飛びかかった妖魔の足元の影が、

 大きく膨れ上がりながら、形を成していく。


 そして、まるで鯨のように、巨大な狼の形をした影が、

 たった一口で妖魔を丸呑みにし、地面へと姿を消した。



























 「 礼儀がなっとらんのぉ。1対1で挑むならまず、まず一礼せいっ!! 」



























 牙朧武が鈴音と風花に手をかざし、影の障壁で二人を覆う。


「そこにおれ。吾輩が死なぬ限りは、妖魔たちこやつらおりが破られることは無い」

「呪霊さん……。風花たちを、守ってくれるの?」

「我が主が、それを望んでおるからのぉ……」


 そう笑いながら、牙朧武が妖魔の群れに向かって歩いていく。


「狼さん、頑張って……」

「吾輩がふるって頑張れるほど、相手が頑張ってくれれば良いが……」


 そう告げると、牙朧武は黒い霧を纏って呪力を溜め、

 大きな遠吠えと共に、大きな人型の獣へと変貌した。


「さて、始めるとするかのぉ……」


「…………」

「…………」


 あまりの化け物染みた光景に、鈴花と風花が言葉を失う。

 すると、戦闘態勢の牙朧武が大きな声で妖魔たちに告げた。



























   「 よかろう、まとめてかかってくるがよい。


            せいぜい、この我を楽しませて見せよッ! 」

























『『『 グゥォォォォオォオオオオォォォォオオオオオッ! 』』』


 周りの妖魔たちが一斉に吠え、牙朧武に向かって襲いかかる。



     <<< 幻影呪術げんえいじゅじゅつ呪刻乱舞じゅこくらんぶ >>>



 次々と襲いくる妖魔たちを、牙朧武が一撃で沈めながら反撃していく。

 拳、蹴り、牙、爪、影、使えるあらゆるものを使って全てを薙ぎ払う。


「どうした、おろか者共よ。──踊れッ!!!」


「…………」

「…………」


なんじらの力の全てを、この我にぶつけて見せよッ!!!」


 まるで、羽虫を叩くかのように牙朧武が蹴散らす。

 そんな光景を見て、風花と鈴音が小さな声で呟く。


「なんか、凄く……。その……」

「うん、悪者にしか見えない」


 あっという間に、牙朧武が妖魔を百体ほど狩り尽くと、

 残った妖魔たちが、牙朧武の放つ圧力に恐怖し逃げ出す。


「こやつらにも、知恵はあるのじゃな。いや、生存本能と言うやつか」



     <<< 幻影呪術げんえいじゅじゅつ死々走狼ししそうろう >>>



 倒れている妖魔たちの傷口から、黒い霧が溢れ、

 死体を包み込むと、狼の形へと姿を変わっていく。


 そして、牙朧武が両手を広げながら、

 逃げる妖魔たちに、大きな声で告げる。





「さぁ、我が眷属けんぞくから逃げきって見せよ!!


 生死をかけた、鬼ごっこの始まりじゃ!!

 喰われた者から鬼となろう──


 せいぜい全員が喰われぬように、足掻いて見せるがいいッ!!」





 無数の紅い眼光の狼が、一斉に森の中へと走っていき、

 しばらくすると、森の中から妖魔の叫び声が響きだした。



「まぁ、これも時間の問題じゃな」



 冷静に一言呟き、牙朧武が鈴音と風花の元に歩いて戻る。


 そして、戻った牙朧武は、二人を覆う影のおりを解き、

 目の前で背を向けると、再び胡座あぐらをかいて座り込んだ。


「ひとまずは、これで大丈夫じゃろう」


 そんな牙朧武の背中に、鈴音が小さな声で話しかける。


「……眷属さんたち、大丈夫?」

「奴に生み出された全ての妖魔を喰らえば、眷属たちも戻ってこよう」

「……狼の、お兄さんは?」

「あれでも一応、我が主じゃからな。本気を出せば、吾輩よりも強い」



 ──その思わぬ回答に、二人が目を見開く。



「──えっ!? でも灰夢くんは、ただの人間でしょ?」

かどうかは、少し微妙なところじゃな」


 牙朧武の微妙な返しに、鈴音がクイッと首を傾げると、

 幾度か疑問を抱いていた風花が、牙朧武に問いかけた。


「さっき、お兄さん……。岩に、潰されました……」

「されたのぉ、思いっきりぺしゃんこに……」

「あれは、幻じゃ……ないん、ですよね?」

「そうじゃな。間違いなく潰れた……」

「でも、生きてた……。復活……というより、治りました……」

「そうじゃな。あれが、あやつが身に纏う呪いじゃ……」

「……呪い?」


 そう答えると、牙朧武は灰夢のことを語りだした。





「あやつは、【 不老不死 】の力を持って生まれてきた。

 故に、首が飛ぼうと塵になろうと、あやつは絶対に死なぬ。


 どれだけ体がバラけようとも、何度でもよみがえる。

 あれはもう人間の理屈なんぞ、とっくに超えておる」



「そんなのもう、人間じゃ、ない……」



「そう、『 人間じゃない 』と、周りの人間も言ったそうじゃ。

 人はみな、あやつをうとみ、さげすみ、おそれ、拒絶した。


 心は何も変わらぬ、ただの人間じゃと言うのに──」



「鈴音たちと、同じ……」



「この世の中には、異様な力を持つが故に忌み嫌われる、

 いわゆる、【 忌み子 】と呼ばれるものたちがおる。


 灰夢が言うには、そう言う世の中に忌み嫌われるような、

 変わった体質を持つ者の能力を【 忌能力いのうりょく 】、


 中でも、強い力を持つ者を【 異端いたん 】と呼んでおるそうじゃ……」



「異端の、忌み子……」



「生き物には必ず、体の中に心が宿るものじゃ。

 例え見た目が悪くとも、中身もそうとは限らん。


 体質がおかしく、逸脱いつだつしていても、

 心は誰よりも、優しいことだってある。


 じゃが、理解できないものを目の当たりにすると、

 生き物は忌み嫌い。その者を除け者にしようとする。



 ──それは、どこの世界でも同じことよ。



 じゃからあやつは、自ら死のうとしたのじゃ。

 人間にも怪異にもなれない、居場所無き人間。


 こんな世界には、もう、うんざりじゃと……。

 生きておる理由もないと、そう思ったそうじゃ……」



「そう、なんだ……」



「何も珍しい事じゃない。生き物の世界にはよくある事じゃ。

 その世界に馴染めぬ者、くだらぬ争いをして敗者となった者。


 辛い時、生きる者はみな、逃げ場がないと、

 些細ささいなことで心が折れ、立ち直れなくなる。


 ある者は自ら力をつけて、世界を恨む者もおるが、

 結局は、良い結果を生み出すことは少ないじゃろう。


 そして、ある者は逃げる手段として、

 世界から目を背け、死を選択をする」




 それを聞いて、鈴音が風花を見つめながら、静かに語り出した。




「鈴音もね。【 もし一人だったら 】って、

 たまにだけど、不意に考えることがあるの。


 食べるものも少ないし、村人には嫌われ、

 森も、動物たちも、だんだんと死んでいく。


 私たちは妖狐ようこ、大きくなれば仙狐せんこと呼ばれ、

 長寿の名が付くくらい、これからも長く生きていく。



 ──でも、周りはそうじゃない。



 仲の良かった周りの動物たちも、いずれ死んでいく。

 それを見届けるのが、鈴音たちの役目かもしれない。



 でも、それは同時に──」



























          「 ──孤独との戦いでもある 」



























「誰も私たちに、寄り添うことはできないんだって。


 風花が一緒にいなかったら、もし一人だったら、

 私は『 生きよう 』と、頑張れたのかなって。


 唯一、味方でいてくれた、味方だと思っていた山神さまも、

 本当のところは、鈴音たちのことを見てくれていなかった」



























  「 ……こんな世界に、私は……生きる意味が、あるのかなって…… 」



























 瞳を潤わせる鈴音を見つめながら、牙朧武が答える。


「死ぬ事でむくわれるかは分からぬが、

 死ねば楽になると思う者は少なくない。


 など、ただの周囲の押しつけに過ぎぬ。


 ひたすら報われぬ絶望を繰り返すだけの、

 希望もない日々を足掻き続けて何になる。


 そんな生き方で、誰が幸せになれるものか。


 その苦しみを、灰夢も知っておるのじゃろう。

 じゃが、あやつは不死身故に死ぬことはない。


『 不死身 』の体質故に、嫌われるというのに、

 それが自ら死を選択することすらも妨げておる。


 これ程までに、苦しい人生は無いんじゃろうな」



























       風花は会話の中で灰夢が言っていた、


              いくつかの言葉を思い出していた。



























        『 別に、強ぇから死なねぇ訳じゃねぇよ 』


       『 大丈夫だ。俺はぜってぇ、死なねぇから── 』



























 言葉の本当の意味を悟り、風花の目から一筋の涙を流れる。

 そんな風花を抱きしめながら、鈴音が牙朧武に問いかけた。


「その力で、灰夢くんは山神さまに抗ってるの?」

「いや……。不死身なだけなら、ただ殺られ続けるだけじゃろう」

「……勝てないの?」

「所詮は人間……。死なずとも、妖の、ましては赫月の力になど到底及ばん」

「なら、どうやって……」

「あやつは己の不死を解くために、あるモノをずっと探しておる」


 それを聞いて、風花が思い出したように答える。


「死術書を、集めてる……。って、言ってた……」

「……シジュツショ?」


 牙朧武はコクッと頷くと、死術書について語り出した。


「この世には死を招く代わりに、不可能を可能にする術式がある」

「……不可能を可能に?」

「言うなれば、お主らの妖術を人の身で扱うことができる術式じゃ……」

「……そ、そんなことできるのっ!?」

「ただし、本来は無い力を使うが故に、代わりに命が削られる」

「だから、死を招くんだ……」

「その上に威力も大きく、大体の使用者は術の反動に耐えられぬ」

「じゃあ、自分にも術のダメージが……?」

「うむ。それこそが、【 死術しじゅつ 】と呼ばれる禁じられた術式じゃ……」

「それを、灰夢くんは探してるの?」

「あぁ……。自ら不死の呪いを解いて、自分の命を絶つ為にな」

「そんな、そんなのって……」


 話を聞いた風花が、一層悲しそうな顔をすると、

 牙朧武が夜空を見上げながら、小さな声で呟く。


「もうそれも、いくつ見つけたかのぉ……」

「……えっ、そんなに見つけてるの?」

「うむ。種類も一つではないからのぉ、もう何度も使っておる」

「じゃあ……。今、生きてるってことは……」

「……失敗?」


 その言葉を聞いて、牙朧武は首を横に振った。





「死術の術式自体は、しっかりと発動しておる。


 他の者たちが使うのと同じように、己の身を削り、

 死に近づきながら、あらゆる不可能を可能に変えている」



「なら、なんで……」



「何、簡単なことじゃ──


 灰夢の体についておる、不死の呪いが強すぎたんじゃよ。

 どれだけ死術を使っても、自身の回復力が上回ってしまう」



「じゃあ、戦い方って……」



「うむ。灰夢は使えば死ぬような火力のものを、しみなく使って戦う。


 中でも、さっきの【 血壊死術けっかいしじゅつ 】と呼ばれる術式は、

 己のリミッターを外し、人の限界を超えていく為の術式じゃ……」



「それを、お兄さんは……。ずっと、使ってるの……?」



「あぁ、そうじゃ──


 人間の制限を壊し、常に己の力の100%を超えていく禁術。

 血の流れを加速させ、あらゆる能力の上限を壊し続けていく。



 ──じゃが、死術故に、もちろん反動がある。



 人間の力を脳が制限しておるのは、本来の力が出ると、

 肉体が耐えられず、壊れて死んでしまうからに他ならん。


 じゃが、灰夢は、どんな傷でも、あっという間に治癒してしまう。

 例え、体が粉々になろうとも、瞬時に全ての傷が癒え続けていく。



 ──そして、破壊と再生を繰り返しながら、より強くなっていく。



 生き物の体は性質上、骨や筋肉を使い、負荷で壊れると、

 壊れる前よりも、太く丈夫な強い肉体を作り出そうとする。


 灰夢は、それを『 筋トレ 』と呼んでおるようじゃが……」



「……き、きんとれ?」



「当然、治せる範囲でないと、肉体が元に戻らなくはなってしまう。


 それに、脳の制限上、必ず【 限度 】というものが存在する。

 じゃが、あの死術は、そんな人間の限界という概念を無くす術式。


 故に動くほど、力を使う程に、どんどん体を壊し続ける。

 そして、それに耐えうる肉体へと瞬時に再生し続けていく。


 その100%を、さらに超えて、より強く、より速く。

 それをひたすら繰り返し、無限に強くなり続けてゆく。


 そして、強くなる程に、更なる強力な死術を使い、

 キリがない程に、あやつは己の体を壊し続けていく。


 あやつも吾輩も、その限界を見たことは一度も無い。

 肉体の限界があるのか、もしくは無限に上がるのか。



 ──初めの戦闘力なら、所詮は人間の力量。



 多少は他の人間より、武術や剣術が使える程度には戦えるが、

 それでも、怪異と戦えるような、人間離れしたレベルではない。


 じゃが、あやつが死術の全てを出し切れば、もう話は別になる。

 あやつを止められる者は、もうこの世界にはおらぬかもしれぬな」



「灰夢くん、なんで……。私たちのために、そこまで……」



「あやつは時折現れる、過去の自分と同じ思いをしておる者や、

 誰かに襲われたり、利用され、こき使われておるような──


 【 自身の生死すらも、自由に選べぬ者 】を見ると、

 どうにも、いても立っても居られなくなるようなんじゃよ。


 己の身を削ってでも、たまに死ぬ気で、人を助けようとしておる。

『 俺は死なないから、命はかけてない 』などと、戯言を言ってな」





 そう告げる牙朧武を見て、風花と鈴音が悲しそう見つめ合う。


「灰夢くんが、そんなことを……」

「自分は、ずっと……死のうと、してるのに……」

「全くじゃな。お節介以外の何物でもないわ」


「優しいね、お兄さん……」

「本人曰く、『 死に方を選ぶ権利は持つべきだ 』と、よく言っておる」


「死に方を選ぶ、権利……」

「風花は、あの人にも……生きる、理由……見つけて、欲しいです……」

「……風花」


「お兄さんには……迷惑かも、しれないけど……」

「人の気持ちを変えるのは、助けるよりも難しいからのぉ……」





 牙朧武の言葉を最後に、三人は黙り込んだまま、

 灰夢が戦っている方角を、静かに見守っていた。

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