第捌話 【 母の言葉 】

 朦朧もろろうとする意識の中で、鈴音すずなは母の言葉を思い出していた。





 一人、森に向かう母の後ろ姿に、風花ふうかと鈴音が声をかける。


「お母さま、どこに行くの?」

「少し、森の様子を見に行くだけよ」

「また、誰か死んじゃったの……?」

「いいえ……。今日はただ、みんなの様子を見てくるだけ。心配いらないわ」


 山神の役目は、命の埋葬まいそう

 そして、新たな命の芽吹きを守ること。


 その役目を、二人の母はまっとうしていた。


「ちゃんと帰ってくる?」

「大丈夫よ。私は絶対に死なないから……」

「……本当に?」


 不安そうな二人に、母が笑みを浮かべて話をする。





「……いい?


 私たち仙狐せんこの種族はね、ず〜っと長生きするの。

 何十年も、何百年も、ず〜っと生きるの。


 お父様は人間だったから、もう居ないけど。

 私達は仙狐なのだから、この先も死んだりしないわ」





 そういって、母は優しく二人の頭を撫でた。


「お母さまは、どこにも行かないでね」

「えぇ、どこにも行かないわ」

「……ほんとうに?」

「もちろんよ。私はあなたたちのことが大好きだもの……」

「鈴音も大好き〜っ!」

「ふ、風花も……」

「うふふ、ありがとう。それじゃ、行ってくるわね」



























      そういって、出ていった母が再び帰ることはなかった。



























 仙狐の寿命はとても長い。だがそれは、の話である。

 人は動物を狩る。それに狙われて命を落とすことも、時にはあるのだ。


 そうして、山神の力は死者の肉体から離れ、

 山を守るために、次の世代へと受け継がれる。


 次の日、二人の元に次の山神に選ばれた者であるという者が来た。

 仙人を名乗り、僧侶服を身に纏った見たこともない謎の男だった。


 その者に『 母が村人に撃たれた 』という、訃報ふほうを聞かされた。


 そして、『 二人の母から、死ぬ間際に託された 』と言いながら、

 母がいつも持ち歩いていた、布に包まれていた一つの宝珠を見せてきた。



 ──幼い鈴音と風花は、それを素直に信じてしまった。



 悲しみにふけっていたが、それを山神は常にそばで寄り添い、

 毎日毎日、優しく励ますように、二人に声をかけてくれた。


 時には、木の実を取ってきたり、色々な話を聞かせてくれた。


 次第に二人は、元通りの元気を取り戻していき、

 気がつけば山神を、親代わりにしたっていた。


 自力で木の実を育て、収穫をしてはまた育て、

 森の動物たちとも、次第にたわむれるようになった。



 ──だが、年月が過ぎ、徐々に森の緑が減っていった。



 知らぬ間に木々が倒れていたり、植物が枯れていたり、

 作物が実らなかったり、数多くの動物が倒れていたり、

 時には川の水が少なくなっていたりと、変化が起こった。


 山神に二人が相談するも、いずれ戻ると言っていた。


 だが、自力で作物を食べ生きていた風花と鈴音には、

 環境の乱れが止まらないことが、ずっと心配だった。



 ──そんな時に、事件が起きた。



 森の木の実を取りに来ていた、村に住む村人たちが、

 村人が突然消えたという、恐ろしい噂をしていたのだ。


 それからは隠れながらも、村の様子を見に行っていた。

 すると、日に日に一人、また一人と消えていったと言う。


 外から来た人間の仕業か、もしくは何かのたたりだろうか。

 怖くなった二人は、御社おやしろから出ることを控えるようになった。


 最低限の食料を確保して、なるべく御社にこもるようにしていた。


 そんなある日、いつものように最低限の食料をと森に出ると、

 近くにいるはずの風花が、いつの間にかいないことに気づいた。


 必死に駆けずり回っていると、美味しそうな魚の匂いがした。



( ──近くに、人間がいる )



 そう思い身を潜め、川の方をこっそり覗いた。

 そこには、風花が人間の足の上で抱かれていた。


 捕まっていると思った鈴音は、敵が食事をして、

 気が緩んでいる隙にと、上から奇襲をしかけた。



 ──それが他でもない、灰夢だったのだ。



 凄く、おかしな気持ちだった。


 何気ない冗談を言いながら、気兼ねなく笑い、

 ご飯を囲んで食べたのは、何年ぶりだろうか。


 それも、外から来た人間。村人でさえ、自分を避けると言うのに。

 なぜ、この人間は優しいのか。それが、鈴音にはわからなかった。


 ただ毎日を必死に生きていた鈴音は、数年ぶりに感じていたのだ。

 くだらない話をして、笑って話すだけが、こんなに楽しいのだと。



 ただの川魚、特別なご馳走でもない。



 いつもと変わらない、いつも通りの山の自然の中、

 人と一緒にお喋りをしながら、ご飯を食べるだけ。


 たったそれだけで、こんなにも心が暖かくなるのかと。



 だから、鈴音は初めて思った──



























          ──人間に、死んで欲しくないと。



























 自分が気を許した相手の苦しむ姿を、これ以上は見たくないと。

 だから、鈴音は灰夢に、『 もう来ないで 』と別れを告げた。


 ここに、この山に、この森を歩いている間に、

 また、この人間も死んでしまうかもしれない。


 また急に消えて、居なくなってしまうかもしれないから。



























            だが、灰夢は言った──



























       『 大丈夫だ、俺は絶対に死なねぇから── 』



























     母の残した言葉と、同じ言葉を灰夢は言った。


           だから、鈴音には止めることが出来なかった。



























       『 大丈夫よ。私は絶対に死なないから── 』



























 また、あの時と同じようになるかもしれない。

 そういって、また、死んでしまうかもしれない。


 母の時と同じ恐怖が、鈴音の記憶の中に蘇り、

 死を前にする不安が過ぎったのは確かだった。


 でも、心どこかで、鈴音は考えてしまったのだ。



























         母を信じた時のように、もう一度──



























           ──その言葉を、信じたいと。



























 今日あったばかりの人間に、一度話しただけの赤の他人に……

 勇敢で頼もしく、そして、とても優しかった、母の姿を重ねて。


 笑って帰ってきて欲しいと、心の中で思ってしまった。

 だから、鈴音は自分を誤魔化すことしかできなかった。



 風花と鈴音が眠る時……。母は、よく話をしていた。


 二人が生まれたばかりの頃に亡くなってしまった、

 人間だった父が、まだ生きていた時の懐かしい話を──





「私はお父様と結ばれて、大切なあなた達と出会えたの。

 でもね。周りの動物たちには、凄く反対されたのよ?



『 人間なんかやめとけ〜 』ってね。



 でも、私はその選択を、間違えたと思ったことは一度も無いの。

 あの人は、『 俺の生涯をお前にくれてやる 』って言ってね」



























        そして、母は決まって最後はこう言った──



























「これから、あなたたちも色んな出会いをしていくでしょう。


 その時に、自分が信じる相手なら、周りに何を言われようと、

 自分の信じた相手のことを、ただ真っ直ぐに信じてあげなさい。



 人間にんげんも、動物どうぶつも、妖魔ようまも、霊獣れいじゅうも、心の中には関係ない。



 みんな、それぞれの心があって、感情を持って生きてるの。

 その種族で生まれたから悪いなんてことは決してないのよ。


 だから、ちゃんと相手を見て、どんな心を持っているのか、

 しっかりと自分の目で確かめて、自分の意思で決めなさい。



 ……それが、お母さんとの約束よ。……いいわね?」



























 そんな母の言葉を思い出した鈴音の瞳から、

 一筋の小さな涙が、頬を伝って流れ落ちる。


「もう、どこにも行かないで……」

「姉さん……!?」

「……ふう、か?」


 風花の声を聞いた鈴音が、ゆっくりと目を覚ます。



























 すると、目の前には、黒いオーラを全員にまとい、


         堂々と胡座あぐらをかく、謎の人影が座りこんでいた。

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