スーキーはいつになく

 スーキーの慌ただしい靴音が聞こえた。素晴らしい妄想の世界を邪魔する足音だ。

 しかし、後に愉しませてくれる足音でもある。

 閨のドアにかけられた封印が解かれる。流れ込んでくる風。デリは期待に頬の筋肉を緩めながら顔を向けた。


「――見つけましたか?」

「見つけた! 見つけたわ!? これね!? これでしょう!? そうでしょう!?」


 スーキーが一枚の紙片を突き出しながら駆け込んできた。まるでボールを見つけてきた犬のようだ。サークルに飼われてきた、欲望に忠実な猟犬。とってこいと命じられ、橙色紙片を咥えて駆けてきた。

 こんな無邪気な顔もできるのかとデリは思う。

 こんな純真な笑顔を汚せるのかと、むらむらと湧き上がってくるものがあった。

 そうともしらず、スーキーは鼻息荒く寝台に飛び込んできた。


「ほら! 見て! これね!? これでしょう!? なにを用意すればいいの!?」

「スーキーさん、落ち着いてください」

「落ち着け!? そんなの無理に決まっているわ!? 私は見つけた! 私が見つけたのよ!!」



 今日に至るまで、いったいどれほどの艱難辛苦を乗り越えてきたのか、スーキーは踊りださんばかりに狂喜していた。祖父の残した秘密の部屋の前で見た激怒と、あのときの彼女の言葉。サークルの老人どもとやらを罵り、溜めこんだ不満をぶち撒けていた。


「そうですね。スーキーさんが見つけたんです」


 と、デリは上辺ばかりの言葉で頑張りを褒め称えてやりながら、猟犬の涎にまみれた橙色紙片を受け取る。

 つるつるとした懐かしい手触り。定規を当てたように正確に引かれた橙色の縁取り。写真のように緻密で、しかも着色された挿絵――。


《破滅のアジフライ》


 それが料理の名だという。

 カリス=マシュフ・タタラヨーコ。

 それが魔法使いの名だという。

 用意する材料(三人分)は、こぶりのマアジが四尾に、上質な小麦粉、卵、生パン粉……。


 挿絵を見るに、なんの変哲もないフライド・フィッシュの一種だ。この国ではあまり一般的ではないアジを使い、頭を落として背開きにし、一尾をまるごと揚げるのが特徴か。丸揚げや切り身と違って、まるでハートのような形の仕上がりは見るからに美味しそうではある。

 だが、


「……ちょっと大変そうですね」

「……なんですって? まさかできないっていうの!?」


 なにを焦っているのかスーキーが血相を変えた。

 極まった魔法使いとはこうも欲望に忠実なのかと、デリは苦笑する。


「違います。魚と、道具を用意するのが、大変そうだと言ったんですよ。これ自体は作ったことがありませんけど、似たものなら何度も作ってます。そんなに難しくはないですよ」

「本当? 本当ね!? なにを用意すればいいのかしら? なんでも用意させるわ? 言って! 早く教えて!?」


 人が変わったように熱心なスーキーに、デリは幽かな優越感をおぼえた。あの悪辣な姫が我忘れて懇願している。橙色紙片を読み聞かせろと縋りついてきている。

 読めないのだ。

 スーキーは。

 やっとの思いで探し当てた橙色紙片を。

 はらの奥底で膨れる優越感に頬を吊られそうになりつつ、寸前でそれをこらえながら、デリは挿絵から読み取れる道具を伝える。

 長くて細い二本の棒が二揃い。菜箸というらしい。木製のものはフライに使い、金属製のものは盛りつけに使っている。祖父に習った外国の歴史で似たものを見た。街の漢方屋の主人に聞けば用意してもらえるだろう。次に丸い揚げ物用の鍋。これもおそらく大丈夫。


 問題は、食材のアジと油だ。

 味も旨味も抜けたようなタラだったら楽だったろうに、アジとは。街の魚市場に並んでいるといいのだが。それに油。サラダ油とやらはどんな油なのだろう。これまでに一度としてそんな名前の油を見たことがない。フライド・ポテトも大丈夫だったようだし、菜種油で代用できるのだろうか。あんまり調達に時間がかかるようなら困る。早すぎても困ってしまうけれど。

 はっ、とデリは最も大事な仕掛けを思い出す。

 料理をする場所だ。

 せっかく目印をつけたのに、どこかの店のキッチンに移動させられたのでは困る。

 デリはあえて当然とばかりに言った。


「ではスーキーさん。まず隣の部屋に焜炉を用意してください。どんな焜炉でもいいですよ」

「――なんですって」


 スーキーの眉根が歪んだ。


「待ちなさい。まさか、執務室となりで料理をしようというの? 正気かしら?」

「他にどこでやるっていうんですか? どこか別のところで作ります? 僕を連れて街を彷徨けば邪魔が入るかもしれませんよ? もしかしたら他の人に食べられたりしちゃうかも。いいんですか? 世界で最初の魔法使いになれるチャンスなのに」


 これでもか、これでもかと、デリは執拗に挑発を重ねる。

 スーキーはコウィン派の魔法使い。魔法使いを象徴する、杖、帽子、口のうち、口を代表する猟犬。強き魔法使いであるゆえに欲望の強さも他の追随を許さない。


「~~~~~! こ、のぉ……!」


 スーキーはぎりぎりと歯を軋ませたが、しかし、怒りをぶちまけられずに頷いた。


「一度に、全て、言いなさい。他に必要なものはあるかしら?」

「ええ、では、今から言うものをお願いしますね?」


 黒衣の魔女が見せた精一杯の恫喝どうかつを薄笑いで受け止め、デリは食材と道具を滔々とうとうと語った。

 すでに主導権はデリの手に――台所の王、食卓の支配者の手に移っていた。

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