今だけはどうぞお好きなように

 デリの掠れた微笑をどう映したのか、スーキーは濡れた瞳を光らせ、垂らした舌をぬらぬらと振った。


「美味しいもの。どういう意味なのかしらね? 食べちゃいたい、って、どういう意味だったのかしら? まずは、こっちから試させてもらうわね?」


 言って、スーキーはデリの口に舌をねじ込んだ。乱れた鼻息が頬にかかり、蛇のように蠢く舌が、デリの舌を絡めとった。ねぶるように、なぶるように、自らが送り込んだ唾液を混ぜ返し、クチュクチュと淫靡な音を立てた。

 脳髄へ直接打ち込まれるような官能にデリの意識が明滅する。鳥肌の立つような悍けと、身震いするほどの快楽が、口を通じて混ざり合う。


「はぁ、ぷっ、ぷあっ、ちゅっ、ん、んぅ――」


 執拗に、執拗に、執拗に絡みついてくるスーキーの舌。それは次第に熱狂し、デリの口腔こうくうにある全てを堪能しようと泳ぎだす。

 舌を伝う粘性の唾液を飲まされ、デリの内側で嫌気と興奮がワルツを踊る。


「ぷぁ、はっ、んっ、はぁぁぁぁ……」


 スーキーが唇を離すと、舌と舌の間になごり惜しむような糸が伸びた。瞬間、

 パチン。

 デリの手中でナイフが開いた。


 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す、殺す!


 汚され、火照っていく躰に殺意をまとい、デリはスーキーの細首を狙ってナイフを振った。宵闇色のねやに銀閃が走る――が、

 スーキーは軽々と腕を捕らえ、身じろげばかろうじて動く程度に押さえ込んだ。


「ふふふっ……ふふっ……うふふふふふっ」


 思いがけずもたらされた愉悦を楽しむように、スーキーは笑った。


「いいじゃない、いいじゃない、いいじゃない! 貴方が嫌がっているのがわかる! 悦んでる味がする! 躰が嬉しい嬉しいって叫んでる! なのに、ねぇわかる!? あなたの心が死んでってるの! 最高じゃない! 最高の珍味じゃない! 味わい尽くしてあげる。しゃぶり尽くしてあげる。自分の醜さと、自分のはしたなさと、自分の奔放さに絶望してね? 心が折れるその瞬間は、とても、美味しいの」


 唇の周りにこびりついた唾液を舐め取られながら、デリは尋ねた。


「コカインよりも?」

「――あぁ、デリ、悪い子ね。ベッドの上で別の女の話をするなんて。そんなにシュメールちゃんが心配?」


 スーキーはデリに頬ずりし、耳たぶに舌を這わせた。


「大丈夫よぉ……彼女が本物なら、だけどねぇ……」

「本物……?」


 耳穴に侵入してくる舌に鳥肌が立つような悦楽を叩き込まれ、デリは脱力した声を漏らす。

 スーキーが耳に吸いつき感情を貪る音を聞かせながら言う。


「阿片だの、コカインだの、たとえそれがヘロインであったとしても、本物の魔法使いにとってはゴミも同じ。あんなのサークルの初等教育に使うくらいだもの。無目的で、無秩序で、無為極まりない快楽なんて――くだらない。それそのものを追求する意志でもなければ、なんの価値もない。おクスリ程度じゃイケないのが私たち魔法使いなの。死んでしまったのなら、その程度の器だったってこと」


 スーキーは抵抗しようとするデリの手を軽々と封じながら、彼の胸元に口を寄せた。乱れ始めたリボンタイの端を咥え、するりするりと引き解く。


「あぁ、これは……グミのしていた指輪ね? もらったの? 大事なもの?」


 おそらく返事は求めていないのだろう。スーキーは恍惚として言葉を投げながら指輪の穴に舌先を引っ掛け、唇で甘噛し、デリの左手に落とした。


くしてしまわないように、しっかり握っておくといいわ」


 いやらしく微笑むスーキーの口がデリのベストを剥ぎとり、シャツをはだけた。顕になった真っ白い肌に赤々とした舌をぬらりぬらりと滑らせて、少しずつ、時間をかけて念入りに汚していく。

 ナメクジが這うような気味の悪い感触を肌で感じ、デリは唾棄すべき悦楽をおぼえる。思わず息が漏れ、今まで出したことのない声がこぼれた。


「はっ、あっ、あぁっ、は、あ――」


 耐えがたい熱を吐息に変え、デリは内心で昏く重い悦びをわらう。望んでいた通りの、いや、望外と言ってもいい展開を迎えていた。

 官能を貪る浅ましい躰と、殺すべき相手を認識し続ける理性が、緩やかに乖離かいりを始めている。


 これでいいんだ、これで。


 そう自分に言い聞かせ、汚されていく絶望と、その内に快楽を見出し酔いしれる躰と、決して叶いはしない抵抗を続ける。

 わずかに動く手足もスーキーの支配下にある。抵抗させ、無力を叩き込み、絶望と悦楽の底に沈めようとしている。彼女はそれを楽しんでいる。

 なんて醜いのだろうとデリは思う。

 スーキーという魔法使いは、そしてデリという絶望に浸るフリをする間抜けは、

 なんて醜いんだろう!


「あっ、あぁ、あ、あ、あ」


 口からもれ出る陶酔した声。まるで自分のモノとは思えない少女のような音色。醜さに酔いしれ、さらなる快楽を求める躰。否定しようとする理性。快感に押し流されていく躰。想像していたよりも、ずっと、ずっとけがらわしい!

 スーキーの舌がへそに達し、奥をねぶり、さらに下がる。耐えがたいほどに肉欲が膨れあがった。ズボンを吊るサスペンダーが弾けた。躰が期待に悶える。そして、


「あらぁ♪ こんなに必死になっちゃって……♪ よかったじゃない、この感じなら、背はまだまだ伸びるかもしれないわ? コーウェンの設定書には書いてなかったけど……どっちに育つのが好みだったのかしらね?」


 蹂躙される快感に、デリは舌を突き出してあえいだ。

 視線を下げると、スーキーと目が合った。直後、

 下腹から脳髄に衝撃が抜けた。目を向ける余裕などない。握りしめた両手の痛みもわからなくなった。感覚が一点に集中し、躰が悶えるだけの人形と化す。

 しかし、デリのはらわたは違った。


「……いや、だ……や、だ……」


 肉体とつながる唯一の接点として、精神が喉を震わせ擦り切れた声を発する。

 拒絶。涙が溢れた。デリは漆黒の天井に埋め込まれたガラス粒を数えながら、肉欲に溺れる躰を徹底的に軽蔑する。仇敵に翻弄される躰を憎み、分離する。

 肉体を抜け出て俯瞰ふかんするように、だらしなく涎を垂らし腰を振る少年を酷薄こくはくに見下ろす。

 粘着質で、淫靡で、卑猥な音を立てて吸われ悦ぶ肉体に失望し、デリは見つける。

 デリ・カット・エッセの、魔法使いとしての力を。


 肉体の快楽などくだらないものだとわかる。肉体が快楽に溺れていくのは否定しない。気持ちよさは情けないくらいに痛感している。

 だが、たかがしれていた。

 あの瞬間には比べるべくもない。

 求められ、特別なレシピを用いて応え、あの悦ぶ顔を見た瞬間には、


 遠く及ばない!


 認めよう。肉体は刺激に飢えている。肉欲だの、獣欲だの、色欲だの、情欲だの、肉体は直接的なつながりを欲望する。与えられれば地の底に堕ちるまで貪ろうとする。


 低俗すぎて吐き気がする!


 デリはグミの教えを思い出す。

 魔法は、常識を乗り越え、自分以外の全ての人々がつくる客観的世界に干渉する。

 その意味を理解する。

 行使しようとするならば、ひとり対全世界人口のみならず、単純で短絡的で怠惰な解釈により満足を得て、あまつさえ身を委ねようとする肉体をも否定すること。


 デリは思う。


 へぇ、気持ちいいんだ。君は単純にできてていいね。


 デリは官能に突き動かされる肉体に言う。


 どうぞ、ご勝手に。


 感電するような快楽に肉体が痙攣する。好きにしろと思う。脱力と倦怠が肉体を襲う。好きにしろと思う。もっともっとと躰がねだる。好きにしろと思う。上下運動を再開するスーキーの頭と、へっぴり腰をもぞもぞ動かす肉体を、冷めた目で見つめてデリは思う。


 どうぞ、ご勝手に。

 今だけは、どうぞ、お好きなように。


 終わったら次は、僕の番だ。

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