七つのヴェールを払い除け

 高熱に浮かされた視界と同じく、輪郭がふやけ、弛み、たわみ、不規則に渦を描く。けれど決して交わらず、そこにあり続ける祖父の首。見開かれた虚ろな瞳がデリを見下ろしている。

 ふと、誰かが背を撫でた。


「ブラザー・チェリーは足の指から食べ始めたの。すね脹脛ふくらはぎ太腿ふともも、小さくなった陰茎に萎びた睾丸、ランプを回って上に、バラ、胸、ロース、ネック。頭は最後のお楽しみに残しておいて、腕を降りてく。知ってるかしら? 人間の骨は体重の一割から二割。血液が一割。でも血抜きにも限界があるから、半分の五分くらいかしらね。残しておいた頭の重さも一割くらい。だから、お肉だけで五十キロ以上あることになる。そのうち、三割を占める内臓は、ここ」


 スーキーはデリの目の前に銀の壺を下ろした。重い水音を立て吐瀉物としゃぶつが散った。


「さぁ、内臓の重さは何キロあるでしょう?」


 回る視界に銀の壺が映った。磨き上げられた銀色の肌に、歪んだ少年の顔が反射している。

 笑っていた。


「――ウッ、ェッ、ゴォェッ!」


 自分の表情に気付き、デリは泣きながら喉を引きつらせ、舌を突き出す。大きく上下する小さな背中を、スーキーの手があやしく擦る。


「すごい量のお肉だけど、普通はいっぺんに食べるのよ? しかるべき手順と、然るべき道具があれば、それをなしうるのがコウィン派の魔法使い。重要な人を死なせるという大失態をおかしたブラザー・チェリーだけど、彼には魔法使いに昇格するチャンスが与えられたってわけ。でも彼は失敗した。いえ、失敗したというよりも、コーウェンに殺されてしまった」

「おじい、ちゃん、に……」


 デリは息も絶え絶えにスーキーを見上げる。

 スーキーは、いかにも悲しそうな顔をつくっていた。


「ブラザー・チェリーは肝臓に手をつけたところで死んだ。なんでか分かる?」

「……おじいちゃんは、毒を飲んでいた」

「すごいじゃない! よく分かったわねぇ!」


 スーキーは我が子を褒めそやすように両手をパチパチと打ち鳴らした。

 デリは祖父に習っていた。

 胃や腸から吸収された成分は、たとえそれが毒薬であれ、全て肝を通り、肝に蓄積する。

 そして、もうひとつ。

 祖父はコウィン派の魔法使いだった。秘術についても知っている。捕まった自分がどんな目に合わされるのか。どうすればよいのか。すべて分かっていた。


「さて、デリ・K《カット》・エッセくん?」


 とうとつにフルネームで呼ばれ、デリはびくんと肩を弾ませる。

 スーキーは喜色ばんだ様子で後ろに回り、両手を脇に差し入れ、デリを立たせた。


「なんで私は貴方のブラフに付き合ったと思う?」

「ブラフ……?」


 呟くデリの口元をハンカチで拭い、スーキーはおぞましい微笑を浮かべた。


「コーウェンが隠し続けていた人形部屋。自宅に残っていた日記。そこで私は、貴方の設定について知ったの」

「設定……?」

「そうよぉ? 設定ぃ。デリ、K、エッセ。貴方のミドルネームはぁ、カット。でしょう? なんでカットなのか知ってるかしら?」


 デリは朦朧とした頭で遠くなった記憶を掘り返す。


「髪の毛が、猫みたいに細くて、柔らかくて、いつも――」

「いつも丸まって寝ているから」


 スーキーはデリの言葉を食いとった。


「冗談みたいなミドルネームよね。まるでペット。いえ、ペットよりも酷いわ? カットにカットなんて名付けないもの。でも悪い冗談はまだまだ続く。デリ・カット・エッセ。変な綴りだと思ったら並べてびっくり。デリカテッセ――この意味、貴方知ってる?」

「知りません」


 デリが首を左右に振ると、スーキーは満足そうに頷いた。


「外国の言葉――私の母国のすぐ傍に住み着いた連中の、ガチガチに形式ばった、硬くて、複雑で、愛と遊びの足らない乱暴な言語よ。意味はね、珍味。珍味よ? ふざけてない?」


 愛が足りない。

 そうかもしれない、とデリは乾いた笑みを浮かべる。


「私が見つけたのはね、設定書なの。仕様書と言ってもいいかしら。凄いわよ? 何冊も何冊も何冊も! 日記帳に! 隙間なく! びっっっちり書き込まれたお人形の設定集! どこまでも、どこまでもどこまでも執拗に! 書き連ねてあった!」


 スーキーはデリの腕を取り、執務室の奥へと誘う。


「名前はデリ・カット・エッセ。十一歳です。同年の子に比べ成長が遅いのか、背が低いことを気にしています。三歳のころに事故で両親を失い、祖父の手ひとつで育てられたため、少し大人びています。運動は苦手です。走るのは特に不得意です。本を読むのが好きです。人見知りする子ですが、とても寂しがり屋ですので、あまり長いあいだ一人で留守番をさせないであげてください」


 まるで説明書を読み上げるように滔々とうとうと語りながら、スーキーは執務室の奥にかかった薄桃色のヴェールを払った。扉だ。

 奥は、宵闇色の光で満たされた、上品な寝室になっていた。


「まだまだあるわよ? 読んでいるだけで、どんな子なのか我が子のように分かるの。そんな人形をいっぱい、いっぱい作って、ずぅぅぅぅっと、隠していた。なんでだか、わかる?」


 デリは首を左右に振った。もう口を開く必要はないと考えていた。これから自分がなにをされるのか想像し、心を固く保たなくてはいけなかった。

 スーキーはデリの背中を押し、ベッドを隠す薄紫の天蓋てんがいを払って振り向かせる。


「何度も何度も試作を重ねながら、とうとうコーウェンは貴方を作りあげた! なんで猫という語を混ぜて、並べれば珍味と読める名前をつけたのか! それは……」


 ふふっ、とスーキーがデリの胸を手押した。

 デリはされるがままにベッドに倒れ、天井を見つめる。

 宵闇の光およばぬ漆黒に、点々とガラスの粒が瞬いていた。まるで満天の星。いくつあるのだろうか。夜空と違って作られたものだから、数に限りがあるはずだった。


「凄いと思わない? 凄まじい欲望だと思わない? 自分好みの男の子をつくりあげて、美味しそうだなんて。設定では自分の孫なのよ? コーウェンは貴方をいつ食べる気だったのかしら? デリ、貴方、おじいちゃんの視線に怪しいものを感じたことはあるの? 気味悪さをおぼえたことは? ねぇ? どうなの? どうなの?」


 スーキーは好色そうな粘っこい声で囁きながらデリに馬乗りになった。うざったそうにコートを脱ぎ捨て、両手をデリの顔の横につき、ゆっくりと顔を近づけていく。

 さらりと垂れた黒髪が、少年の頬を愛撫する。

 顔に吹きかけられた淫らな香りに正気を揺さぶられつつ、デリはポケットをまさぐった。自分の首を傷つけたナイフの硬い木の手触りに微かな理性を求め、デリは思った。


 ああ、よかった。このヒトはなにも分かっていない。

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