サロメの銀盆

 耳障りな音鳴りを残し、車が止まった。


「今、なんて言ったのかしら?」

「なんでもありません。ここ、どこですか? 僕をどうしようというんですか?」

「……まぁ、いいわ。ここは私の――アジトみたいなものね。私の家と言い換えたっていいし、プチ・サークルといってもいいわ」

「やっぱり警察じゃないんですね」

「失礼ねぇ。警察よ? 協力に来てることになってるの。切り裂きジャックなんて私の国では子供だましもいいところだから、いい言い訳でしょ? でも、こっちの警察署は最悪。一応は席を用意してくれていたのだけど、どいつもこいつも隙あらば一発ヤッてやろうって感じなのよ。ついでにヤれたかどうか賭けよう、みたいな。あの毎回すすめてくる紅茶と、運河の水を沸かしたみたいなコーヒー、ほんと最悪なの」

「最悪ですね」


 あなたも。そう胸のうちに呟きながら、デリは車を降りた。

 大きな時計塔を思わせる細長い建物だった。わざとらしいくらいに古めかしい白煉瓦の造りに、いくつもの格子窓。周囲と気配の違うところといえば、建物の入口階段を挟むように、二台の車が停まっていることくらいだろうか。


 だが、外観に反して内部の造りは奇妙だった。

 入ってすぐ、人ひとり分の廊下に出、左手の先には椅子に腰掛けたブラザーのひとりが、右手の先は下りの階段となっている。てっきりデリは地下の牢獄にでも入れられるのかと思っていたが、意外にもスーキーは奥へ進むよう促した。

 細い廊下から部屋へ進むと数人のブラザーたちがテーブルを囲んで座っていた。何人かには見覚えもある。男たちはスーキーの姿を見ると即座に席を立ち恭しく一礼した。スーキーは彼らに関心を示さず、さらに奥へとデリをいざなう。

 部屋の最奥は上り階段となっており、上階はいくらか整然としているが、しかし、男たちがたむろする部屋で、やはり部屋の最奥に階段があった。


「どこまでいくんですか?」

「もう一階、上ね。珍しい造りでしょう? 探すのに苦労したのよ? 部屋の壁をぶち抜いて作り直したの。下から上まで、階段を登るには必ず部屋を横切らなきゃいけない。つまり忠実なる愚鈍な子豚ちゃんを平らげなければいけない。いいでしょ?」

「……自分に尽くしてくれる人たちを、豚と呼ぶのはどうかと思います」

「いいのよ。その方が悦ぶ子もいるんだから」


 事も無げに言い、スーキーは昇り階段を両手で示した。上機嫌だ。

 デリは促されるままに最上階へ上がった。階下に蔓延する怠惰な空気を遮断しようとする重く厚い扉があった。扉を彩る装飾は悪魔や人ならざる異形ばかりで、内側でなにが行われているのか、一種、禍々しさをおぼえる異様な気配を放っていた。


「さぁデリ、お祖父ちゃんとご対面よ?」


 待ち望んでいた言葉だ。

 しかし、それを告げる黒々とした笑みに、デリは期待は禁物だと気を張った。

 スーキーは真逆に生きている。サークルを離れた祖父やグミが後ろ暗い欲望を秘めて生きているのに対し、サークルを代弁する彼女は欲望をひけらかすように生きている。

 音もなく開かれた重厚な扉の奥は、絢爛豪華な執務室となっていた。

 スーキーの母国から取り寄せたものなのか、はたまたこの国で買い集めたものなのか。天井から豪奢なシャンデリアが下がり、調度品には惜しみなく金銀宝石が散りばめられている。

 目に騒がしくとても落ち着けそうにない部屋の奥には、銀の壺が載った重そうな執務机が鎮座し、その前に、白い布がかけられた譜面台のような一本足が二脚あった。


「さぁさぁ、再会のキスの時間よ? の前へ、お進みくださいな」


 スーキーはニタニタと笑いながら、白布をかけられた台の前へデリを押し出す。

 嫌な予感がした。部屋中に振りまかれた香水の、むせ返るような薔薇の匂いの中でもはっきりと嗅ぎ取れる、死臭。ファジーセットで迎えた夜、グミが祖父の名とともに杯を掲げた理由はこれかと、デリは悟る。


「おじいちゃ~ん? 大事なお孫さんが、はるばる会いに来てくれたわよ~?」


 語りかけるように言い、スーキーが白布のひとつを払った。


「うっ……」


 デリは思わず目を逸らす。

 男の頭だった。剃髪した壮年の男の生首だ。知らない顔。すっかり血を抜かれているのか肌は蝋のように白く、当然、生気はない。


「あらぁ? 間違えちゃった。せっかく時間をかけて準備したのに――」


 スーキーはおどけるように言った。


「こっちだったわ? ごめんなさいね?」


 もうひとつの白布が払われた。

 ――祖父の頭があった。

 デリは目を背けることができず、生首を直視してしまった。顔を合わせるときには必ず老眼鏡をかけた瞳は虚ろで、話しかければ必ずくしゃりと笑った頬は固く、褒めるとき必ず頭を撫でてくれた大きな手は、もうそこにない。


「もう、私ったらおっちょこちょいね。こんな大事なときに間違えるなんて」


 空虚な謝罪を口にしながらスーキーは躰をくねらせた。

 嘘だ、とデリは思う。

 見せつけるために、一度した覚悟を取り払うために、間違えてみせたのだ。予想させ、覚悟させ、それを裏切り息をつかせ、絶望を押しつける。スーキーとはそういう人間だ。


 デリは痛む首筋を右手で押さえ、逃れようとうする瞳を祖父の首に向ける。

 こみあげてくる吐き気。人ではなく、物体としてそこにある祖父の姿が水っぽく滲む。喉をせりあがってくる嗚咽。


 ――耐えられない!


 デリは嘔吐した。

 柔らかな絨毯に両膝をつき、咳き込み、嗚咽しながら胃の中身をすっかり吐き出し、それでも見上げるたびに吐き気がこみあげきた。


「――あらぁ? どうしたのかしらぁ? せっかくおじいちゃんに会えたのにぃ」


 スーキーは両手で口元を隠し、嬉しそうにくつくつ笑った。


「悲しいの? 苦しいの? でも安心して? 貴方の仇は、もうとっておいたから」


 デリは口元を拭いながら顔をあげた。

 スーキーが、祖父の隣に置かれた見知らぬ男の生首の、その額を人差し指でつついた。


「これはね、ブラザー・チェリーっていう名前だったのよ? 私の飼い犬のなかでは、かなりまともな方だった。背負ってた業以外は、だけど。これに尋問を任せたんだけど……誤って殺してしまったの。わざとじゃないって言ってたわ? 尋問を始める前だったんだ、って。信じられるわけないじゃない? だから、失敗の責任をとってもらうことにしたの。コウィン派に伝わる秘術を試してもらったのよ」

「秘術……?」


 とめどなく流れる涙をそのままにデリは鸚鵡おうむ返しにを尋ねる。

 スーキーは吐瀉物としゃぶつを避けて足を運び、執務机に置かれた銀の壺を撫で、指先で叩いた。


「おせっかいなグミのことだから、もうすっかり話しちゃってるかもしれないけれど――私たちコウィン派の魔法使いは、口にまつわる魔法を使うの。古くは呪文を唱えてあらゆる現象を引き起こし、今では口に入れたものから力を引き出す」

「力……?」

「そうよぉ? 魔法使いによって違うけど、私はそう。翼を食べて空を飛び、ナイフを舐めて刃を投げる。それから――」


 スーキーはデリを値踏みするように眺め、長く太い舌を垂らして見せた。


「ともかく、私の魔法はそういうものだから、私の飼い犬もよく似てるのよ。ほら、飼い主に似るっていうでしょう? まあ、多少、使い方は違うのだけれど。それで、そんな私たちコウィン派の秘術に、記憶を食らう術があるのね? なんでも……『人間とは記憶の総体であり、肉体とは記憶を保存する容器である』そうよ?」


 スーキーは壺の蓋をカチャカチャと鳴らした。蓋の起こしたそよ風に乗り、猛烈な悪臭が漂ってきた。血と、肉と、腐った脂と、汚物の混じったような匂い。

 デリはえづいた。胃はすでに空っぽで、ねばねばした液が糸を引いて垂れた。


「そうよね。食べられたものじゃないわよねぇ?」


 食べられたものじゃない? と、デリはのろのろ頭を上げる。

 スーキーは口角を吊り上げ、ブラザー・チェリーの禿頭たくとうをぺちぺちと叩いた。


「だから、ブラザー・チェリーに試してもらったわけ。私は老人の肉だなんて無理だから。固くて、筋張ってて、ひどく臭う場合もあるの。貴方が嗅いだみたいにね」

「僕が、嗅いだ、みたいに……」


 つまり、銀の壺に収められている物は。

 デリの見つめる世界は一瞬で歪んだ。

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