スーキーはいつだってこう4

 スーキーは相変わらず両手をあげたまま後退あとずさり、霧の籠もる裏路地を抜ける。通りには一台の車と、ブラザーがひとり待っていた。昨日は見なかった顔だ。


「スーキー!」


 ブラザー某が叫ぶように言った。

 スーキーは煩わしそうに顔を歪め、静かに答えた。


「うるさいわよ。まだ早いんだから近所迷惑でしょう?」

「なにを仰っているんですか、人払いはすんでます。いったい――」

「黙れと言ってるのよBA。目的は達したわ。ドアを開けて」


 BAと呼ばれた男は、スーキーの不機嫌な声に慌てて後部座席のドアを開けた。

 スーキーはドアの横に回り込み、どうぞお先にとばかりに両手を差し向けた。


「いい加減ナイフを下ろしてもらえるかしら? 信用して――と言っても無理なのはわかっているけれど、私は最初からあいつらには興味ないの。それに面倒なのよ、この辺り。知ってるかしら? この辺りは諸悪人の路地なんて言われてて――」

「知ってます。警察は下手に手を出せない」


 デリは油断なくスーキーとブラザーの動きに目を光らせながら、自動車のステップに足をかけた。ナイフを下ろすと同時に乗り込み、すぐにまた首筋にあてがう。

 スーキーは続いて乗り込むと、深く息をつきながら白いハンカチを出した。


「そこまで分かってるなら、もういいでしょ? せっかくのお洋服が台無しよ」


 熊のおならのような音を立てて車が震え、ゆっくりと動き始めた。そこでようやくナイフを下ろし、デリはハンカチ受け取り首の傷にあてた。鋭い痛み。思いのほか刃が深くあたっていたのか、鈍色の刃筋にべっとりと血がついていた。


「――貸してちょうだい」


 退屈そうに言って差し出された手を見つめ、デリはスーキーを見上げる。ドアに寄りかかるようにして頬杖をついていた。


「そんなちっぽけなナイフ、盗ったりしないわ?」

「お金は盗ったくせに」

「預かっただけよ。ちゃんと返すわ? 残ってたらね」 


 デリは迷いながらもナイフを渡した。店を離れれば反抗をつづける意味はない。

 スーキーは刃筋についた血をうっとりと眺め、ピアスのついた舌でじっとりと舐め上げた。嬉しそうに笑い、表と、裏と、両面を舐め、ポンと手の内で刃先に持ち替えて柄尻をデリに差し向ける。


「ごちそうさま。想像していたよりもずっと冷静だったのね。驚いたわ?」


 しまった、とデリは自身の浅慮を嘆きながらナイフを受け取った。シュメールに教わったことだ。体液には流したときの感情が残る。もう油断はしないと誓い、血で染まったハンカチの残り僅かな白でナイフを拭う。


「どうやってあの店を見つけたんですか?」


 話を逸らそうと尋ねるデリに、スーキーはフッと鼻を鳴らして愉しげに言った。


「ポテトよ、ポテト」

「さっきも言ってましたね」

「そうだったかしら? まぁいいわ。コーウェンの隠してたものを探すついでに、いなくなったBAとBB――ブラザー・アルファとブラザー・ブラザーを探してたの。見つかったのは昨日の夜遅く。グミのやつに業を背負わされて役立たずになってた。この私に、尻を掘って欲しいとか言うのよ? 冗談じゃないわ。そうでしょ?」


 スーキーは吐くような仕草をして話を続けた。


「だからBA――これは今のBAだけど、ほら、そこでハンドルを握ってるバカね? BAに掘らせたわけ。こっちはとっても愉快だった。業は解けなかったけど面白かったからアレイはブラザーに入れてあげることにしたのね? で、古いBAはもういらないからサクっと始末しようと思ったんだけど、どこで業を解こうとしたのか気になるじゃない? だから、尋ねてみたのよ。一昨日おとつい、届いたばかりのギロチン台にかける前にね。そしたら、これを持ってた」


 言って、スーキーはデリに小さなカードを投げ渡した。

 ベルゼバブ、とだけ書かれたカードだ。


「まぁ、この街で、そんなけったいな名前をもつ店は、だいたい諸悪人の路地が絡んでるでしょう? あぁ、なるほどなぁって、調べさせたわけ。ちょうどバカ二人が諸悪人の路地で見失ったーとかアホなことをほざいてたから、お仕置きしながらね。そしたら、何時くらいだったかしら? バカがこんな風に生かされるのは耐えられないとか喚き始めた頃よ。手配師らしいのは見つけたけど、死んでた、だって。頭にキたわぁ? だから、バカに自分で出したものは全部、自分の舌で綺麗になさいって躾して、見に行ったわけ。もちろん協力要請を受けた街の善良なお巡りさんとしてよ?」


 想像するだに悍ましく、デリは胸がムカムカしてきた。

 しかし、それを見たスーキーはかえって嬉しそうにしながら続けた。


「行ってみたらびっくりよ! 私を呼んだのもわかる気がした! 男二人が死んでたの! しかも、ひとりは傑作よ!? キノコ採りの豚みたいなオヤジが、浴室のドアノブで首を吊って死んでるんだもの! パンツ一枚でよ!? 右手はパンツに突っ込んでて、もう片方の手にはポテト! もう私、笑っちゃって笑っちゃって――」


 デリは昨日の、ポテトを嬉しそうに食べる男を思い出し、吐き気をおぼえた。

 スーキーはますます興奮しながら言う。


「首吊をしながらマスターベーションするのはまだよく聞く話じゃない? でも、ポテトを食べながらってなると話は別よ! 死因に至ってはもう芸術。普通は首を吊る時間を間違って事故死よね? でもあのデブは違った。締めた首にポテトがつまって死んだんだって! お酒もたくさん飲んでたから、あえなく昇天だって! まさに天国! 爆笑よね? で、ポテト。バシーン、と私の中でつながった。まるでウロボロスみたいに。知ってる? 自分で自分のしっぽを食べる変態の蛇さん。可愛いのよ? 変態は不死身――ああ、なにとつながったのかは、わかるかしら?」

「僕たちを見失った、店……」

「そう! そのとおり! ピーンときた! バシーン、だったかしら?」


 スーキーは大きな身振り手振りを交え、声色まで変えながら話し続ける。


「『ああ、魔法ね』『そうだな魔法だ』『じゃあぶっ殺しに行こう』そんな感じ。私の頭の中の話ね? 私の世界はそんな感じなの。それからはもう大変。シュメールちゃんに天国を見せてあげるためのコカインでしょ? あの露出狂のくるみを割るための下調べ。一応グミの対策も考えたの。なんだかんだ言って一番おっかないのはグミだから。でも違ったわね。あれはびっくり。まさか、いにしえの魔女がいるなんて。あのままブチ切れられてたら大変よ? 私も貴方もこの星も、全部まるごと吹っ飛んでたかも。怖いわね――」


 なにが面白いのか熱狂的に喋り続けるスーキーを無視して、デリは固く目を瞑った。あられもない姿で死んでしまったという、小太りの中年男を思い返す。

 故郷を追われ、二度と戻れないという男。

 せめて舌だけでも故郷へ帰りたいと、特別なポテトを注文をした男。

 彼の魂は、無事に故郷に帰れただろうか。


 デリは千々に乱れた昨夜の記憶を並べ直す。

 橙色紙片に綴られた特別なレシピ。フライド・ポテト・バスティーユの夜明け風。シュメールが、バスティーユとは人類史上最悪の狂人が囚われていた、放蕩の限りを尽くす人類史上最悪の牢獄だと教えてくれた。革命により民衆の手で破壊されたのだと。


 夜明けとは、すなわち牢獄の破壊を意味するのだろう。

 バスティーユ監獄には、危険と目されたものは全て収容されたという。狂人のみならず、扇動者も、裏切り者も、人々の目を開かんとする本までも。バスティーユの監獄とは、あるいは収監された囚人にとってでなく、それを見つめる衆人にとっての牢獄だったのでは。


 で、あるならば。

 傷心の身を慰めるさなか、その名を冠したポテトを食して死んだ男は、肉体という牢獄から解き放たれたといえるのではないか。

 もし、そうなら、僕は嬉しい。

 デリの内側にいる何者かが言った。


「解放を渇望する者に、解放を与えたのだから」

「――なんですって?」


 スーキーの冷えた声音に、デリははっとして口を噤んだ。

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