マスターは魔女でメイドで妖精で

 凄惨な光景に、デリは股間を押さえて縮こまった。類似する体験がなくとも本能が痛みを知っていた。


「どうかしら? 目の前で火花が散って、新しい世界が見えたりした?」


 スーキーは身振り手振りを交えてからかいながら剣先のように鋭いヒールでキングの躰を押し転がした。カツ、カツ、とデリの横を抜け、キングの股間を、覆い隠す手の平の上から踏みつける。


「ど、どう、して……」


 歯をガチガチ鳴らすキングに、スーキーはもう一度踏みつけて言った。


「簡単だったわよぉ? 貴男、そこら中でオチンポ振り回してたでしょう。ちょっと調べてみたらいっぱい出た。それに昨日の逃走劇、部下がしっかり見てもの。移動できる距離、場所、わかったら限界に合わせて人払いをするだけよ。貴男、もうちょっと趣味を広げるべきだわ? そこそこ近場で若い女が集まるトコしか無理とか、全っ然っダメ」


 ゴジュリ、と黒い靴の爪先が、キングの股間を踏みにじった。迸る絶叫。この世のものとは思えぬ悲鳴。上質なオペラを楽しむように頷きを繰り返し、スーキーは、涙でいっぱいになったデリの目を覗き込む。


「もうちょっと待っててくれるかしら? 子猫ちゃん」

「う、あ、あ……」


 歯の根が合わず、ろくに声も出せない。シュメール、それにキング。マスターに至っては初見で魔法を看破された。グミは傷を負わされ動けない。

 僕に、僕にできることは……! と、必死に頭を巡らせるデリ。


「……デリに……手を出さないで……!」


 マスターがカウンターの奥から言った。明らかに怒気を感じさせる声だった。

 スーキーは視線を滑らせ、ゆるりと躰を起こした。


「貴女は、この変態どもとは違うわね。サークルの魔法使いでもなさそう。貴女みたいなのがいたなら、私が知らないはずがないものね」

「……関係……ない……」

「大アリ、だと思うのだけれど」


 スーキーは片足を引き、うやうやしく跪礼カーテシーをした。


「お初お目にかかりますわ。私は、スーキー・コウィン・ボーン。サークルに学んだ魔法使い。まさかこんなところで本物の、天然の、いにしえの魔法使い――いえ、魔女にお会いできるとは思ってもいませんでした。光栄ですわ」

「魔女……?」


 デリは呟くように言いながら、こっそりポケットに手を伸ばす。

 マスターが、変わらず無表情のまま答えた。


「……私は……魔女なんかじゃ……ない……」

「もちろん、分かっています。いにしえの魔女は隠遁するもの。名乗ったりしないし、名乗れもしない。俗世を見つめることはあっても、過干渉は禁物ですものね?」

「……あなたは……好きじゃない……帰って……」


 スーキーは眉を醜く歪め、


「嫌われちゃった」


 とデリに振り向いた。すぐに向き直り、あざ笑うように続けた。


「嫌われたのなら物は試しね。本当に干渉できないのか、試してみてもいいかしら? ここにいる子たち、ここでバラバラにしていい? ああ、そういえばグミがいないわね。上かしら? あの子もついでに。どう?」

「……帰って……って……言ってる……」

「ええ、もちろん帰るわ。ただ、デリはもらっていくわね? 貴女に止められる?」


 スーキーの挑発に、マスターが全身から怒気を放った。表情は一切変わっていないが、しかし、漂う気配の禍々しさは尋常ではなかった。細い呼気に殺意が乗り、虚ろだった双眸に虚無の対極にある存在の重さが覗く。

 無限に膨れる緊張は、デリに世界の終末すら予感させた。

 放っておけば、マスターが守ってくれるかもしれない。それは彼女にとって、いとも容易いことかもしれない。


 ――だが、それは許されない。


 スーキーの言葉通りなら、力を使えばマスターは居場所を失う。ファジーセットは彼女が守り清めてきた城なのだ。城を奪われれば、シリアナの女王も、従者たちも生を奪われてしまう。

 そんなこと、あってはならない。

 自分たちが招いた災難ならばまだしも、よそ者の為に失われてはならない。

 せめて巻き添えですべてが潰えてしまわぬように――けれど、もし全てが上手く回れば、あるいは、と考えて。

 デリは背中に手を回し、白く細い喉を震わせた。


「ま、待ってください! 僕、行きますから!」

「行くから、なんだって言うのかしら?」


 スーキーが踊るようにターンし、デリに小首を傾げてみせた。


「まさかとは思うけど、この子たちには手を出すな、とか、そんな陳腐な台詞を並べるつもりなのかしら。もし子猫ちゃんがそのつもりなら、私はこう言わせてもらうわね? どれ、手札を見せてみな、どんな死に様か見届けてやる。さぁ、子猫ちゃん? なにができるの?」

「こう、できます!」


 デリは背中の後ろで折りたたみナイフを開き、素早く自らの喉に押し当てた。


「僕が人質です! 僕はおじいちゃんがなにを隠してたのか知ってる! 僕が死んだら、あなたには絶対見つけられません!」

「……デリ……!?」


 声を上げたマスターを肩越しに見やり、スーキーはいたぶるように三度の拍手をした。


「すごい大胆な子。そう思わない?」


 スーキーはデリに向き直る。


「でも、子どもよね。痛みをまるで分かってない。そんなちゃちなナイフで首を切るのは大変よ? とってもとっても痛い思いをするの。できるかしら? ほら、もっといいナイフを貸してあげましょうか?」


 スーキーが悠々とバタフライ・ナイフを開き差し出した。

 デリは短く息を吐き、刃先を首に押し当てた。微かな痛みが走り、首筋を生温い液体が伝うのを感じた。


「――やめなさい、デリ」


 スーキーは舌打ちし、声を低める。


「オーケイ、この魔女の城は見逃しましょう。それでいい?」

「ダメです! シュメールさんも、キングさんも、グミさんも、です!」

「……ええ、いいでしょう。本当に凄いわね。見直したわ? たった一日、二日で、ずいぶん男の子らしくなっちゃって。でも、できればそのまま大きくならないで? 私は――」

「お店の外に出てください!」


 デリはスーキーの言葉を遮った。喉が膨らんだからか、また微かに痛みが走った。

 スーキーは両手をあげ、バタフライ・ナイフを閉じた。


「分かった、分かったから。もう少しその、首のナイフを離してもらえるかしら。危なっかしくて見てられない。それから、もうひとつ。貴方も一緒にこっちにきて。いにしえの魔女が一緒なら、私が店を出た途端にドロン、なんてこともあるじゃない」

「……わかりました」


 デリは首筋に当てたナイフを少し離した。スーキーがじりじり下がり、合わせてデリも前進する。途中、素早く視線を走らせ、キングとシュメールの様子を窺う。

 キングのキングは赤黒く腫れ上がり、失禁したシュメールはぴくりともしない。だが、どちらも息はしているようだった。


「さぁ、こっちに来て」


 スーキーが店の入口にたどり着いた。


「……デリ……」


 背中に投げられたマスターの声。ほんの一日。もっといえば数時間。けれど、なにか仕掛けようとしているのは分かった。


「なにもしないでください。僕は大丈夫ですから」


 デリは肩越しにマスターを見やり、シュメール、キングと視線を走らせ、上着の上から左の尻ポケットに収まる柔らかな感触を撫でて視線を戻す。


「……まかせて……かくれんぼハイド・アンド・シークは……得意……だから」


 そう言って、マスターは微かに首を縦に振った。

 もちろん信じています、とデリは静かに店を出た。

 信じる者は救われるという。ローマに居ればローマ人のように――諸悪人の路地で、ファジーセットで、誰を信じればいいのかデリはすでに知っていた。

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