天使が生んだ悪夢

 グミは気にする素振りすら見せず思い出したようにカウンターに空き皿を戻した。


「あったのは大量のデリ人形。あとお金。わかったのはコーウェンはデリが大好きらしいってことくらい。……いやー、まいったね。また手がかりなのか、答えそのものなのか……」

「ふーん……賭けにすんならどんなもんだ?」


 と、キング。


「どうかねぇ、人形が十倍、お金が五倍、写真やらなんやらが三倍ずつで――」


 グミにちらりと視線を送られ、デリはもそもそと口にキノコを押し込む。


「僕、ですか……?」

「その可能性が一番高い。それならショイン派に渡そうとしてたのはデリだよ」

「トロフィー、希望、デリにはそれだけの価値があるってことよね?」


 シュメールの話をまったく完全に聞き流し、マスターが酒棚からジュネヴァと書かれた瓶を取り、銀色に輝くシェイカーとメジャーカップを手にした。注文通りならジョン・コリンズというカクテルを作る気なのだろう。

 マスターは、昨晩、料理の手際からは想像もつかないほど流麗な動きでレモンをスライスし、シェイカーに酒とレモンの果汁を落として、ガン! と乱暴に閉めると、


「……トロフィー……?」


 デリの顔をまじまじと見つめながらシェイカーを振った。片手で。横に。

 正しい方法ではないのだろう。シュメールはどこか諦めたような顔をしていたし、受け取った妙に長細いタンブラーに口をつけるときは難しい顔になっていた。


「まぁそういうことだよね」


 グミは椅子の上であぐらをかいて、カウンターに肘をついた。


「ってことで、気になったんだけどさ、デリ、あなたのお名前なんてーの?」

「えっ?」

「デリ・K・エッセ。エジー? なんだか変わった名前だよね。デリのお祖父ちゃんの名前は――私らはコーウェンと呼んでいたけど、チャールズ・コウィン・コーウェン・クラークソン、だったよね? デリとファミリーネームが違う」

「そう、です、けど……僕、お父さんとお母さんの名前、知らないんです……」

「知らない? お父さんとお母さんの名前を? 両方とも?」


 デリは小さく頷き皿に目を落とした。紫色の視線が突き刺さる。

 物心ついた頃には両親がなく、ずっと祖父と二人暮らし。両親が死んだことを知っているのに名前は知らない。実をいえば、祖父に尋ねた記憶すらないのだ。

 祖父が魔法使いで、コンテナルームに人形を隠していたと知ったとき、デリのなかで、もしや、という感覚があった。


 僕は、祖父が作った人形なのではないか。

 認めたくない。自分は人間だと、仮に祖父と血がつながっていなかったとしても、

 デリ・K・エッセは人間なのだと、信じたかった。

 だからデリは、グミが質問を重ねるより早く言った。


「あ、あの! こういう話、その、食事中にするのはやめませんか!?」


 食事は楽しく、料理は美味しくあるべきだ。

 暗い顔ではいけない。難しい顔は避けなくてはいけない。

 小さくとも楽しい話をして、料理に舌鼓を打つ、悦びの場なのだから。

 

「……見たとこ、食事が終わってないのはデリだけみたいだけど?」

 

 グミがきょとんとしてカウンターの皿を見回す。

 シュメールが、美味しかったわ、と唇を動かした。キングは頬を掻きながら目を逸らし、気づけばマスターは店の入口ちかくにある看板をいじっていた。


「……なーんてね」


 ぱっと両手をあげ、グミは両手を組んだ胡座の上でつっぱった。


「ごめんね。ちょっと、いじわるだった」

「あの、僕……」


 デリは今にも泣きそうだった。

 ごめん、ごめん、とグミが苦笑すると、左右で仲間ふたりが短く息をついた。


「まぁ名前が違うくらいはよくあるし。普通に娘さんの子どもだったりとか、孤児かなんかだったデリを里子として引き受けたのかもしれない。もちろん、コーウェンが魔法でつくりだした動くお人形さんって線もあるけど――」


 びくっと肩を震わせるデリ。

 グミはカウンターに身を乗り出し、まだ膨らみの残る両頬をつまんだ。


「少なくとも陶器にこの柔らかさは出せないし? 昨日の夜に見たけど躰に変な継ぎ目は見当たらなかった。唯一、変なところがあるとしたら――」

「あ、あるとしたら?」


 怯えながら言葉を待つデリに、グミはニヤっと笑って答えた。


「まだまだ発展途上ながら今後に期待できそうなのがついてた」

「……え?」


 なにがついていたんだろう、とドキドキするデリに、グミは人差し指を突きつけ、くいっと指先を下に向けてみせた。

 つられてデリも下を向き、


「――ッ!」


 真っ赤になって股間を隠した。シュメールとキングの爆笑にますます縮こまっていく。笑い声の間隙を突き、マスターがぽそりと呟いた。


「……心臓……どきどき……生きてた……」

「たしかに!」


 勢いよく振り向いたグミだったが、傷が引きつったのか腹を押さえてうめいた、

 マスターは看板をテーブルに置きチョークをつまんだ。まるで氷上に複雑な図形を描くスケーターのように、黒板の上で白亜が踊る。


「……できた……」 


 そう言って、どこか自慢気な所作でこちらに向けられた黒板には、


『道に迷いましたか? もうすぐ、ここ、ですよ。ファジーセット』


 と、やはり見惚れるような装飾体で書かれていた。


「……今日のなぞなぞは……ちょっと調子が悪い……かも……?」


 どのへんがなぞなぞ? と気を取られかけたデリだったが、すぐに血相を変える。


「――って、お店、開けるんですか!?」

「……ちょっと……早いけど……賑やかなほうが……楽しいから……」


 平然として、マスターは看板を持ち上げた。

 慌ててグミを見ると、彼女はふっと鼻を鳴らした。


「私がこんなんなっちゃったから、早く開けてくれるんだってさ。優しいよね」

「え? それってどういう……」

「アマチュアとはいえ、店の客はほとんど魔法使い――モドキだからね。いくらスーキーたちだって、なんの用意もなしに敵の総本山には突っ込んでこれないでしょ」

「んだな」


 キングは口寂しそうに空の灰皿を覗いた。


「単純に戦うだけなら魔法じゃなくたっていい。看板にゃ『銃や刃物の持ち込み禁止』とは書いてないだろ? 夜になった諸悪人の路地で権力振りかざせば裏表なくベッコベコだよ。そういう街だ。ここらは」

「それに、グミもお医者様に見てもらわないとね」


 分かったかとばかりに扉が軋み、早いけどいいかい? と耳慣れない男の声が続いた。ハンチング帽を被った中年の男だ。看板を出しに行くマスターに許可を取り、入れ替わるように入店して恭しく頭を下げた。


「今日もゴキゲン麗しく、シリアナの女王陛下――って、どうしたぃ、その腹」


 慇懃な挨拶もそこそこに、男は少し出っ張った腹を撫でた。


「まさか切り裂きジャックかい?」

「ハッ」


 とグミは鼻を鳴らし、キングに席を空けるよう手を払った。


「残念。ジャック・ザ・リッパーなら今頃ジジイで楽勝だった。――今日は早いね。どうしたんだい?」

「どうしたもこうしたも、グミの言ってた連中が俺の知り合いの店に来たってよ」

「来た? ってことは、ブラザー・アルファとブラザー・ブラザー?」


 ちらとデリに目を向け、グミは横に座った中年男の分のエールをと言った。

 店員じゃないけどいいのかな? と思いつつ、デリはグミのと同じエールを探して出した。


「ありがとう。けど次はグラスで頼むよ、可愛い……坊や、でいいのか?」


 男はエールの瓶を掲げながら眉をしかめ、グミに顔を向けた。


「まさか、この子か?」

「まさかもなにも、この子だよ。デリっていうんだ」


 グミの紹介に合わせ会釈するデリに、男は納得したとばかりに頷きを繰り返した。


「こりゃ大変だわ。こんな可愛い顔した真面目そうな子、このあたりの店にゃいねぇぞ? あいつらも可哀想になぁ。下手すりゃ一生、業から抜け出せねぇわ」


 席を移って横並びになったシュメールとキングが、揃って恐ろしいものを見るような目をグミに向けた。グミは声援に応える女王のごとく両手をひらひらと振った。

 どうやら場で唯一、話を理解できてないと気づき、デリは小声でキングに尋ねた。


「あの、どういうことですか? あの人たちに、なにをしたんです?」

「なにって、そりゃデリが見たような――つか、デリが見てたから大変なことに」

「私が教えてあげよう、デリ」


 聞き耳を立てていたグミが銀の指輪を通した右手の人差指と中指を立て、妖しく揺らした。


「見てたろ? 私があいつらをシリアナに連れてくとこをさ」

「連れてくって……え? まさか」


 デリは顔を青ざめた。色々あったが昨日の今日だ。グミの玩具と称される謎の道具が売られる店で見た悍ましい光景。それにコンテナルームを出た直後にも一瞬だけ見えた、アレ。


「そのまさかだよ。私の魔法であいつらの世界は歪んじまった……あいつら、デリみたいな子に見られながらじゃないとイケない躰になったんだ」


 男が肩を揺らしながら言葉を継いだ。


「しかも尻に腕を突っ込んでもらわないとダメっていう業の深さでな。ンなことしてくれる嬢がまず少ねぇ。だのに、美人じゃないと無理だと抜かしやがる」


 笑いを噛み殺すような口調に、グミやキング、シュメールも肩を揺らし始めた。


「まぁでも俺の知り合いンとこだって矜持ってのがあるわけさ。シモの商売ったって義理はあるし道理もある。まぁ、出された金の分は頑張ろうってんで、なんとか嬢を用意したんだとよ。したら、あのガタイの男二人が、同じ部屋でしたいってんだよ」


 グミが腹の傷を押さえて、必死に笑いを堪えていた。


「差配師は頑張ったー……そりゃもう、すげぇ頑張った。嬢をなだめすかして、汚ぇことになってもいい部屋を確保して、ようやく始まったわけさ。ああ、よかった、とりあえず金の分の仕事はした。差配師は豚の悲鳴みたいな声を聞きながら貴重な葉巻に火をつけた。したら、どうだい。いきなり声が止んで男が出てきて、こうだ」


『俺たちがやられてるとこを見てくれる男の子を連れてきてくれ。可愛い子だ』

 

 キング、シュメール、グミの三人が爆発したかのように笑いだした。

 生きててくれてよかった……のかな? と、デリは頬を引き攣らせる。マスターはいつもと変わらぬ様子でその横に立ち、手持ち無沙汰なのか彼の横髪を手櫛で梳き始めた。

 男はシガレットケースから紙巻きのタバコを出して、さらに続けた。


「差配師は頑張ったー……そりゃもう死にものぐるいで頑張った。ツテのある店に片っ端から声かけて、見てるだけならって条件でそりゃ可愛い男の子を用意したんだそうだ。プレイは再開、まったく注文の多い客だぜって葉巻を咥えるわな。最高級のやつだよ。したら男が出てきた。『おい、あのガキ、笑ってやがる。もっと嫌がってくれなきゃ困る』。一発出禁だよ」


 ドッと笑いが起こった。グミは傷を押さえてカウンターに突っ伏し、キングはカウンターの天板をばんばん叩き、シュメールはもうよしてと手を左右に振っている。

 そんななか、ほぼ思考停止しているデリの横髪で、マスターが小さな三編みを編んでいた。

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