スタッフド・グミ

「……たしか、この国だと仰向けになって国だか国王のことだかを考えるんじゃなかったかしら」

「知らないって! っていうか私はここの生まれじゃないし恩義もない!」


 グミはエールの瓶に口をつけてぼやいた。


「あー、もーーーーーー、まだ痛いしさぁぁぁぁ……」


 さっそくカウンターでやり合う二人に、デリは苦笑するしかなかった。


「あの、お酒はあんまり……」


 傷の種類はなんであれ、酒は傷を癒やす手助けにはならない。

 デリの心配を片手で払い、グミはマスターに言う。


「マスター、もう一本。つか、ジンを一杯。あと、お腹すいたからなんか作って」


 あっさり


「……やだ……」


 と答えるマスターに、


「大丈夫? その穴から出たりしない?」


 と茶化すシュメール。

 デリはここぞと口を開いた。


「あ、あの!」


 グミも、シュメールも、酒を注ごうとしていたマスターまでも固まった。

 ごっくん、と生唾を飲み込んで、デリは言った。


「あの、お礼というか、その、僕が作ってもいいですか?」


 みんなが必死になって守ろうとしてくれている。自分だけが諦めるわけにはいかない。少しでもできることがあるなら、なんでもやるのが正しいとデリは思う。

 グミの手当を終え、少しだけ強くなれた気がしていた。


「……デリが……作る……?」


 マスターの呟きをきっかけに、審議開始とばかりに三人は顔を見合わせた。

 奥のトイレから水の流れる音がし、腰のタオルを直しながらキングが出てきて、固まった。


「なに? 今度はなにしてんの?」


 キング曰く十二のころを思い出すハードワークとグロいお医者さんごっこの影響か、彼は屍者を通り越して磔刑に処された救世主を思わせるすっきりとした顔をしていた。


 ――いけない、冒涜的な想像だ。


 デリは、自分が少しだけ毒されてきているのを感じた。

 踏み台がわりに酒瓶の木箱を置き、はじめて扱うガス式の焜炉に驚き(ついでに呆れられ)ながらスパゲッティを茹でるための湯を沸かす。

 昨夜のマスターの料理と味比べをされそうなのでパスタは避けたかったが、パンも米も豆類もストックに乏しく、あるのはジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ……煮物向き、焼き物向き、揚げ物向き、と品種は揃っているが、ジャガイモの食べ方には人それぞれの流儀がある。急で早めの夕餉には不適当だ。


 それに思い返してみれば、朝食はピザ・トーストを自称する白煉瓦で、昨晩は憤怒のパスタだったのだ。最後の晩餐には早いが、一度くらいちゃんとしたの国の料理を味わっておきたい。

 幸い、使用頻度が少ないのかバターと各種チーズと香りの弱ったハーブ類は豊富にあり、肉も生肉はないが(いつからあるのか不明だが)ハムとベーコン、ソーセージがある。あとはキノコとキノコとキノコとキノコと……マスターはキノコが好きなのだろうか。

 デリはちらりとカウンターに並ぶ二人と一人(キングは別勘定だ)、それに内側にいるマスターの趣味嗜好に思いを馳せる。

 

 シュメールさんは匂い好き。少し変わった強い匂いが好き。

 グミさんは駝鳥みたいに悪食。なんでも食べるし、色々いいつつ全部食べちゃう。

 マスターは料理下手だけど味覚はたしか。キノコが好きなら入れたいけれど、それとチーズでは昨日と同じだ。これだけあるのに昨夜は肉なしだったから、もしかしたら苦手かも。

 最後にキングさん……は、なんだか痩せたから、元気になるもの……卵かな?

 時間を揃えて、似ている味で、でも細かなアレンジができるのは、


「……カルボナーラ?」


 チーズは量が残ってるパルミジャーノ・レッジャーノで代用。シュメールさんとグミさんはベーコン多めで、キングさんにはポヴェレッロ風に目玉焼きを追加。マスターと僕のはキノコ中心で……そうだ、昨晩は美味しくないとボヤいていたし敢えてのたっぷりキノコと粉チーズにするのはどうだろう。


 うん、と小さく頷いて、デリは包丁を手に取った。


 おいしい食事を提供しよう。

 漠然とそう決めたとき、最も重要なのは『おいしい』の定義だとデリは思う。

 行ったことも食べたこともないし、本で読んだことから想像するしかないけれど、きっと高級店のフルコースは美味しいのだろう。川縁かわべりや裏路地にうずくまる貧しい子供は、そのなかの一品でも目の前にあれば、涎を垂らすかもしれない。

 

 しかし、おいしいかどうかは別だ。

 もし、その貧しい子供に飢えた兄弟がいたとして、自分しか食べられないと知ったら、おいしいと思えるだろうか。

 想像上の兄弟に自分を重ね、僕ならきっと無理だとデリは思う。

 兄弟に必要なのは二切れの固いパンであり、自分しか食べられない宮廷の鴨ではない。


 未知の美味は味そのものに価値があり、既知の味は知っていることに価値がある。

 死刑を待つ罪人は、最も慣れ親しんだ味を求めるという。

 祖父に教えられた他国の歴史が、そう語る。


 殺人を犯したある男は、パサパサのミートパイを望んだ。故郷の、祖母のつくる不味いパイが美味いのだそうだ。

 ある国の王女は、まさしく宮廷で出された鴨を望み、供されないと知るや次から次へと料理の名をあげ、最後には無理を承知で言ったという。

 乳母がこっそり分けてくれた、ぽろぽろ崩れるジンジャー・クッキーを半分。


 料理とは、食事とは、おいしいというのは、そういうことだとデリは考えている。

 人に合わせ、記憶に合わせ、舌に合わせて作る。シェフが違えば味は違う。完璧はいつだってはるか遠くにあり、最善を尽くす他にない。それゆえに、

 ぶちいたときの悦びは他のなににも代えられない。

 デリは期待と不安に胸高鳴らせて、手早く五つの皿を仕上げた。


「おまたせしました。カルボナーラがふたつに、目玉焼きつきがひとつ、それから、キノコのまかないパスタがふたつです」


 シュメールは皿を見つめ、しぱしぱと瞬き、つぶやくように言った。


「嘘でしょ……? ファジーセットでちゃんとした料理が出てくるなんて……ねぇグミ、私もしかして死んでたりする?」

「死んでる死んでる――って、ずるい! キングのだけ目玉焼きがついてるじゃん!」


 え? そこ? と、デリは少し呆れた。まるで子どもだ。

 キングはサッとグミのフォークから目玉焼きを保護して勝ち誇る。


「ハッハァ! くれてやるか! 高給取りの会計士様には特別な料理をってなもんだ!」


 ポヴェレッロ風――すなわち貧乏人のパスタ風という名前は黙っておこうと思った。


「……私のだけ……キノコ……いっぱい……みんなと……違う……」


 すぐ横の、少し寂しげにも聞こえるマスターの声に、デリは慌てて補足した。


「えっ、あの、僕のと同じです! まかないだからカウンターの中だけは同じになってるんです!」

「……デリと……同じ……」


 マスターは自分とデリの皿を見比べ、次いでシュメール、グミと見て、最後にキング。


「……キング……仲間はずれ……ふふっ……」

「――マスターが笑った!?」


 シュメールが声をあげた。


「見た? グミ。マスターが魔法を使うとき以外で笑ったわよ?」

「はへるほひひほはひぃ(食べるのに忙しい)」


 グミは祈りの言葉もなしにパスタを頬張り、エールを飲んだ。

 もし次の機会があるなら、一緒に何を飲むのかも検討に入れたほうがいいかもしれない。

 キングが目玉焼きに舌鼓を打ち、シュメールが穏やかに鼻を動かしながら食べ始めたのを見て、デリは内心で胸をなでおろしながらフォークを取る。が、


「あ、あれ?」


 キノコの量が盛りつけたときより増えていた。もしやと思って首を振ると、まさにマスターが自分の皿のキノコをデリの皿に移そうとしていた。


「……えっと……マスター……?」

「……キノコ……苦手……」

「……じゃあ、なんで昨日はキノコのパスタを作ってたんですか……?」

「……………………克服中……」

「……えっと、作り直したほうがいいですか?」

「……平気……食べれるように……なる……」


 ほんのり自信ありげに言って、マスターはひょいとキノコをもうひとつ移し、誤魔化すようにデリの頭を撫でた。

 初戦は一勝二分け一敗、といったところか。

 一番の難敵はマスターかな、と情報を修正しつつ、デリは敗北の味を噛み締めた。

 赤々と燃える食卓の支配者ルーラーたる矜持。

 次こそは、次こそはぶち貫いて、悦ばせる。

 胸のうちで闘志を漲らせるデリをよそに、グミは一足先に食事を終えエールを頼んだ。


「ふっはー、美味しかったぁー……しっかし、明日っからはどうすっかねぇ?」


 カウンターの気配が変わった。

 シュメールは手を止め、迷惑そうに言った。


「どうするもなにも、あの女、スーキー? 何者なの? 倒せるの?」

「あー……どーだろ。今の私じゃ不意打ち、奇策、運が良くてやっとこかもなー」

「グミ、あなた、本当にあんなのに勝ったことがあるの? 化け物じゃない、あれ」

「まぁサークルいちの猟犬だしねぇ……でも勝ったことはあるよ。一回だけだけど」


 グミは脇腹の包帯を撫で、新しいエールの瓶に口をつけた。


「ただまぁ、あんときも奇襲だったし、私、コウィン派の魔法も使えたからなぁ……今の私って、コウィン派の魔法はまったく使えないんだよね」

「おいおいおい、なんだそれ。シリアナの魔法ってのは後から仕込まれたのか?」


 キングも最後の一口を食べ終え、マスターにエールを頼んだ。


「ああ? 違うよ。逆。コウィン派の魔法ってのが後から仕込まれたほう。いっても、私なんか全然仕込まれてないほうだし……だから使えなくなったんだけどさ」

「倒すには準備が必要か……っていうか、あいつ、なんでタイミングよくあそこに来たの? あなたの『世界の理 第一章 第三節』まったくアテにならないじゃない」


 乱暴にパスタを巻いて口に入れ、シュメールはジョン・コリンズをステアで注文した。

 マスターはもぐもぐしながら頷き、飲み込んでから、……カクテル……面倒……食べたら……作る……、と答えた。


「世界の理、第一章、第三節」


 と、グミ。


「スーキーが警察ってのは本当っぽいけど、サークルにゃ黙って動いてる」

「なんだそれ。もう警句でもなんでもねぇじゃねぇか」


 キングがくつくつと笑った。


「世界の理は自分の目で見つけるもの。もとから警句なんかじゃないよ。いいかい? 私らがデリを保護してから一日。コーウェンが消えてから三日だよ? 警察だったらあの部屋は見つけられる。でもって、スーキーはこの三年間、自分を調教しまくったサークルの導師たちが大っ嫌い。やりかえすつもりなんじゃない? コーウェンが隠してた何かってのを見つけてさ。……まぁ、まだ何かわかってないっぽいけど」

「……コーウェンは……なにを……隠してたの……?」


 けぷ、と満足げな息をつき、マスターがジョン・コリンズの準備に取り掛かった。注文を忘れたわけではないらしい。尋ねておいて答えを聞く気はないようだが。

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