お医者さんごっこ(外科)
ファジーセットの扉が
「あッッッぶな! グミ! なんで笑おうとしたのかしら!?」
グミはくつくつと肩を揺らしながら、彼女の白濁液で汚れた右手を指差す。
「だってシュメールと同じ――クフッ、って、
声を殺して笑うたびに腹に力が入ってしまい、傷が引きつるようだ。
うぅあ、グッロ、どうすんだ、とキングが聞き取るのも難しい声でぼやいていた。
それすらも可笑しいのか、傷が熱でも持ち始めたのか、グミはしっかり傷を押さえたまま泣き笑った。
「――はー、笑った笑った。さて、と――この傷、どうしようかね?」
どかした手の下でぱっくりと肉が割れ、赤い裂け目が見えていた。傷自体は綺麗なもので、強く圧迫していたからか出血はだいぶ抑えられている――が、長さ十センチの傷をそのままにしておくのは辛い。
「うぉぉ……グッロ……どうする? 医者、呼ぶか?」
キングが今にも吐きそうな顔をして言うと、すぐにグミは片手を振った。
「却下。せっかく隠れてるのに誰か外に出たら台無し。でしょ? マスター」
振られたマスターはこくりと小さく頷く。
「……隠れたら……動かない……かくれんぼの必勝法……見つけてもらえなくなるけど……」
「でも隠れていたい私たちからしたら好都合、ですものね」
シュメールはため息をついて立ち上がり、キングが腰に巻くタオルで手を拭った。
「グミ、その傷、穴には見えないの?」
「自分でほじって塞げないかって?」
言って、グミが血まみれの指を傷に沿わせる。即座にキングが、いますぐやめろください女王陛下、とえづいた。
「いちいち人の顔見てえづかないでくれるかなぁ。なんか傷つくよ」
グミは小さく笑いながら傷を指先で押し、顔をしかめた。
「――無理だねぇ。めちゃくちゃ痛い」
くすくすと笑いながら何度か腹の傷を押し、ついに顎をあげた。
「はー……スーキー……あいつ、多分、それを見越してナイフにしたんだ」
「切り傷なら穴に見えないから魔法でもどうにもできない、ってこと?」
「だいたいあってる。自分が一番強いってのに奴隷を前に出したからね、気になってはいたんだ。あれ威力偵察みたいなもんだよ。今の私の魔法を見ようとしたんだ」
「――私が生きてられたのって、グミに後ろを取られないようにするためだったりする?」
シュメールがどんよりとした顔で言った。
「あるかもねぇ。殺ろうと思えばいつでも殺れた的な? あいつ、昔っから嫌な奴だったんだ。あの手この手でガード固めて、降参してもやめないでさぁ……ああ、思いだしたら
吠えた瞬間、腹からぷっと血が
「ああ、もう痛いし、辛いし、泣きそうだし……デリぃ、黙ってないで、ちょっと慰めたりしてくれないかねぇ?」
冗談めかして言って、グミが辛そうな笑顔をあげた。
やりとりを聞いていたデリは、何もできそうになかった自分にもできることがあるかもしれないと気づき、マスターに尋ねた。
「マスター。お湯を沸かしてもらえますか? それと、針と糸、ありますか?」
「……お湯と……針と……糸……分かった……」
なにに使うのかも聞かずに奥に引っ込むマスター。いったいどうしたと瞬くグミ。
シュメールだけが表情を固くし、デリに訊いた。
「針と糸って……ちょっと、まさか……?」
「はい。縫合します。基礎はおじいちゃんから習ってますし、経験もあります」
「おぉ……頼もしいね、デリ。お医者さんごっこは私も好きだよ」
グミが茶化すように言った。
「でも普通、お医者さんごっこは内科か婦人科じゃない? どんな傷を縫ったのさ」
傷と疲れのせいなのか、冗談にもいつものキレがなくなっている。
デリは上着を脱いで椅子の背にかけ、シャツの袖をまくった。
「傷っていうか、スタッフドチキンとかです」
「……すたっふど、ちきん? ってなに?」
グミは顔をしかめてシュメールを見やった。小首を傾げるシュメール。次にキングを見やると彼は、うえぇ、と舌を出して首を左右に振った。
がちゃん、とキッチンで鍋を下ろす音がした。
マスターが、……これ……、とカウンターに飴色をした裁縫箱を置き、グミに言った。
「……スタッフドチキンは……ローストチキンのともだち……鶏のお腹に……野菜をつめて……蒸し殺す……」
「殺っ!? ――えと、ちょっと順番が違いますけど……」
デリは引きつり気味の愛想笑いで答え、カウンターのスツールによじ登るようにして裁縫箱を覗きこんだ。数十種類もある針に、色も材質も様々な糸、大きく重い布切狭――一度でも開いたことがあるのかと疑ってしまうほど几帳面に整理されていた。
「えっと、お湯が沸いたら、この針と糸を煮てください。それから綺麗な布をたくさんと、あと、お店で一番強いお酒を」
「……やること……多い……覚えきれない……」
真顔のまま困ったような雰囲気を漂わせるマスターに、死にそうな顔のキングが手を挙げた。
「俺やる。手伝う。外科のお医者さんごっことか見てられねぇ。絶対吐くわ」
「……お医者さんごっこ……デリ……今度……私とする……?」
「えっ? あの……」
「ちょいちょいちょいちょいちょーい!」
困惑するデリの背に、グミの声が飛んだ。
「けが人ほったらかしでナースと乳繰りあう気かい、ちっちゃなドクター? あと、いま、ローストチキンの友達とか聞こえたんだけど?」
「そうです。スタッフドチキンはお腹に野菜とかお米を詰めて炙り焼きにするんですけど、中身が溢れないように穴を閉じるんです。縛るだけでもいいんですけど、ハーブとか薄くスライスした野菜の茎とかで縫っておくと見た目も綺麗だし――」
デリは受け取った布をシュメールに渡しながら言った。
「ちょ、ちょっと待って」
グミの笑顔が引きつった。
「私は鳥じゃないし、お腹に玉ねぎだのニンジンだの詰められたくないんですけど?」
「セロリを忘れちゃダメです。あと刻んだキノコとかも美味しいですよ?」
言いつつ、厚布で傷口を拭った。痛かったのか、グミがうめきながら躰を捩った。
デリは、布を持たされたまま所在なさげに佇むシュメールに言った。
「シュメールさん。それを手に巻いて、グミさんの口に押し込んでください」
「ちょ、え、デリ?」
グミの顔がこころなしか青ざめて見えたが、デリは無視を決め込んだ。
シュメールは布を右手に巻き付け、グミの後ろに回った。
「手足も押さえたほうがいいかしら?」
「はい。お願いします。あと、手を口に入れたら、噛みちぎられないように力を入れてください。きっと、とっても痛いから、すごい力で噛んでくると思います」
「ね、ねぇ? ちょっと? デリ? シュメール? 本気で言ってる?」
グミの瞳が揺れだした。
「……デリ……針と糸……煮た……あと……昔の……ドライ・ジン……水を足してないから……強い……」
マスターが布に載せて持ってきた針と糸、それに古い時代のドライ・ジンを受取って、デリはふっと短く息をついた。
「それじゃあ――いきます」
およそ縫合には向かない針と糸を手にしての宣言。グミが悲鳴をあげるより早く、シュメールが布を巻いた手を口に突っ込んだ。バタバタ暴れる足をマスターが無感情に押さえ込む。
「まず、消毒から――」
デリは酒瓶の口を傷に傾ける。それを涙目で見つめ、むーむー唸りながら、グミが首を左右に振った。シュメールが両手足を駆使して、腕と首をガッチリ固める。
――苦悶。
そう表現するしかない空気の震えは、およそ十五分つづいた。もちろん、痛みに耐える張本人にとってみれば、その三倍くらいには感じられただろうが。
「……あとは、包帯で固定して終わりです」
パツン、と糸を切り、デリは汗を拭った。グミが虚ろな瞳から涙を零しながらパクパクと口を開閉した。すぐにシュメールが耳を寄せ、うん、うん? と訝しげに
顔を離したシュメールは、眉根に深い山脈を作り、デリを見た。
「……天井の染みを数えてれば終わるって聞いてたのに、だって」
「……え?」
デリは当惑しながら天井を見上げた。いったいどうやって掃除しているのか、染みどころか埃の影も塵のひとつすらも見当たらない。
「……デリ……いい子……頑張った……」
相変わらず無表情なマスターが、べちょり、と血まみれの手でデリの頭を撫でた。
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