善性という病

 人目を逃れた裏路地で、性懲りもなく繰り返された戦争を経て世に蔓延る悲しみ全てを背負ったような顔でうなだれるキングに、シュメールが烈火のごとく説教をしている。


「なにイッてんの!? 店までコントロールしなさいな! バカなのかしら!?」

「久しぶりだったんだ。勘弁してくれ……今はそんな言葉、嬉しくないんだって……」


 そのときデリは、こっちを見ないようにと言われたので、二人に背を向けて考えていた。

 ブラザーとは、あの人の形をしたバケモノたちはなんなのだろうか。

 あんなのに囲まれて、グミは無事なのだろうか。

 どうしてグミは、僕を、キングさんやシュメールさんを逃したのだろうか。

 デリは二人の姿を見ないように手庇てびさしで両目を隠しつつ、小さな肩越しに顔を向けた。


「あの――」

「ほら! 早くもう一回勃てて! ファジーセットまで行くわよ!?」

「んな無茶な。男はそんな便利にできてないんだ。繊細なんだって」

「言ってる場合!? あのスーキーとかいうの、絶対に追っかけてくるわよ!?」

「分かってるよ! 俺だって今がんばってんだ! しょうがねぇだろ!? 俺はグミやお前みたいな性欲オバケじゃねぇんだっての!」

「あの!!」


 喧嘩をやめようとしない二人に苛立ち、デリは目を伏すのを諦め振り向いた。すかさずシュメールがキングの姿を背中に隠した。


「なに? どうしたの? まさかあいつが――」

「そうじゃないです!」デリは大声でシュメールの声をつまらせ、静かに続けた。「……すいません。ちょっと、教えてほしいんです。あの、僕たちは、逃げるしかないんですか?」


 今のデリにとって、それはとても重要なことだった。


「それは――」


 言いよどむシュメール。すぐにキングが「隠したってしょうがねぇだろ」と言葉を継いだ。


「そうだ。逃げるしかない。シュメールは戦えるっちゃ戦えっけど、俺は無理。というか、俺もシュメールも、いざというときにデリを逃がすためについてきたんだ」

「私やキングは本当の意味での魔法使いじゃないの。グミは魔法を使って相手の性癖――難しく言えば、相手の主観的世界を歪められる。魔法を使えなくさせられるの。でも、私たちの魔法にはそこまでの力はない。使い方だって限られてる」

「ようはさ、俺の裸を見て、興奮して、性癖が歪むかって話よ」

「傷ついたりはしそうですけど」


 デリはシュメールに匂いを嗅がれたときを思い出し苦笑する。


「その傷の痛みが気持ちよくなるってことも、ないことではないわ。時間もかかるし、相手も選ぶけど、できなくはない」

「でも、グミさんみたいには」

「無理ね。グミは本物の魔法使いだもの。――それに、あれ、戦闘向きでしょ?」


 戦闘向きという奇妙な言い回しに、しかしデリは納得する。

 グミがなぜ穴に魅せられているのかはしらないが、宙に投げた穴を追う力、小さな穴に指や腕を通す力は、たしかに犠牲者の価値観を歪めるには適している。


「これは確認ですけど……戦えないんですね?」

「戦えないんじゃなくて、向いてない……でも、同じね。そう、私たちは戦えない」


 悔しそうにいうシュメールに、デリは微笑みかけた。


「分かりました。だったら、もう終わりにしましょう」

「――え?」「なんだって?」


 シュメールとキングは二人揃って信じられないといった顔をした。

 デリは、決心が鈍る前にと言葉を重ねる。


「僕、あの人たちにお願いしてみます。これで許してください、って」


 デリは抱えていた紙幣の包を揺らした。


「結構あるんですよね? これを渡したら、諦めてくれるかも」

「いやいやいやいや、それはねぇって」


 キングが険しい顔をして言った。


「あいつらコーウェンを殺したんだろ? そんな奴らが金で引き下がるわけねぇって」

「えぇ、そうよ。絶対にダメ。心配しないで? 戦えなくても――」

「いいんです。お祖父ちゃんは、きっと誰に狙われてるのか知らなくて、だから戦えるグミさんを頼れって……たぶんみなさんに迷惑をかけるつもりはなくって、だから、いいんです」


 涙をこらえきれそうになく、デリは慌てて頭を下げた。


「助けてくれて、ありがとうございました。僕、行きますね。このお金があれば、きっと、なんとか――なんとかできると思います。本当にありがとうございました」


 汚れた石畳に、涙が落ちた。早く立ち去らなくては、また迷惑をかける。時間をかければ恐怖で足がすくむ。デリは急いで背を向ける。だが、


「待って、デリ」


 細い手がデリの肩を掴み、強引に振り向かせた。

 シュメールは悩ましげに眉を寄せていて。


「ああ、もう! デリ、なんでそんなにいい子なの!? コーウェンはなにを考えてそんな……なんで!?」

「ほんとになぁ……いい子すぎて苦労しそうだ」


 キングは昔を懐かしむような目をし、シュメールはなるほどとばかりに鼻で息をついた。


「あのグミが照れるからおかしいと思ってたのよ。今なんでかわかった。この子は真っ白で、眩しすぎて――まるで希望ね」

「希望かぁ……守りてぇなぁ。守りきれば俺たちの勝ちだ。こんな俺たちでも生きてていいんだって思える」

「でもあの、僕は、そんな――」


 綺麗な存在じゃない、と続けるより早く、シュメールが指先で口を塞いだ。


「デリ、私たちの心配より、あなたはあなたの身を守ることだけを考えて。あなたは聖杯。これは聖杯を取り合う善と悪の戦いよ」

「そんな大層なもんかぁ? 善人ヅラした悪党と、善人ヅラした変態だろ?」

「キング! あんたは腐してないでキリキリちんぽおっ勃てなさいよ! この匂い、わかんないの!? なんだか、凄い勢いで近づいてきてるのがいるわよ!?」

「マジかよ……日に二度も三度もってのはキツいぜ」

「あの、僕、ほんとに――」


 険悪かつ緊迫した気配をみせる二人に、デリは自身を生贄にするべきだと進言しようとしたが、しかし、耳元で聞こえた呼吸音に声を押さえ込まれた。

 ――動けない。

 初めてシュメールと会った日と同じように、指一本、動かせくなっていた。


「ごめんなさいね、デリ。動けないのは今だけだから」


 囁くように言いつつスカートをたくし上げ、ショーツを下ろした。

 ――え? とデリは困惑する。だが躰は動かない。

 なにやってるんですか!? 

 そんな疑問も音にはできない。

 シュメールはショーツを丸めてキングに投げた。


「キング! それ使ってさっさと勃てて!」

「おいおいおい! お前と一緒にすんな!? こんなんもらっても俺は――」


 ――来る。

 重い気配が、頭上から。

 シュメールはデリの躰をキングの側へと押し飛ばし、気配の前に立ちふさがる。

 羽音。風圧。大鴉よりも大きな黒い羽が周囲に散った。


「ボンジュール、可愛い可愛い子猫ちゃん?」


 スーキー。

 旋風つむじかぜの中心で、黒衣の女が笑んでいた。

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