ストリークの王

「サフェロントン、グミ。相変わらずイジメ甲斐のありそうな顔してる」

「おしゃぶりが上手そうな発音をどうも。また上手くなった?」


 グミの小馬鹿にしたような言葉に、スーキーの笑みが硬度を増した。


「バター犬の分際で……一回勝ったくらいで調子に乗ってるのかしら?」


 言葉遣いとは裏腹に粗野に聞こえてくる声だった。古い知り合いだと、姉弟子だったと言っていたが、友好からは遠いらしい。

 グミは紫色の双眼に力を込めてスーキーを睨んだ。


「そのバター犬にヒィヒィ言わされてたのはどこのどいつだったっけ?」


 男たちを見回し、視線を戻し、続ける。


「自前でこんなに兄弟増やして、欲求不満もたいがいにしときな、変態」

「貴女が逃げたせいで、老人どものシモの世話までさせられてたのよ? 欲求不満にもなるわ? そうでしょ?」

「私はてっきり好きでやってるんだと思ってたよ。ジジイの股ぐらに顔突っ込んでケラケラ笑ってたからさ」

「お黙りなさい、グミ。しつけがなってないわね。今は誰に飼われてるのかしら?」


 スーキーの薄ら笑いが固着したような顔に、怒気が滲み始めていた。

 グミは肩越しにデリたちに視線を走らせ、左半身をスーキーに向けた。躰の陰に隠した右手でキングとシュメールにハンドサインを送る。


「私が誰に飼われてるかって? 誰にも。私を飼えるのは私だけ。シリアナの女王が全てを飼い手懐けるのさ」


 スーキーは嘆かわしいとばかりに首を振り、冷笑するように言った。


سيرياناシリアナ――懐かしい。どう? 逃げ出してから一度くらいは帰ったのかしら? 本物のシリアナの姿は目に入れた? 全然、違っていたでしょう――なんて。見てるわけないわね。貴女に帰る勇気なんてあるはずない。でしょ?」

「……勇気だぁ? なに言ってるんだか。必要ない。必要ないんだよ、私には」


 苛立ちを隠そうともしない。グミは人差し指をこめかみに当てて言う。


「私の故郷はここにある。ここが私の世界で、世界が私に従う」

「……まったく。のも大概にしなさいな……一番に可愛がってあげたというのに情けないったら……いいわ、もう一度、私がしつけしなおしてあげる」


 両手を大きく広げ、スーキーは誇らしげに男たちを示した。


「アルファとブラザーは消えたけど、ドープからラブまでいるわ? そこのガキと、お前と、なんなら後ろの二人もついでに、全員をこの子たちの穴兄弟にしてあげる」


 穴兄弟の意味は全くわからなかったが、デリは得体のしれない恐怖おぼえた。

 ブラザー・ドープから(おそらく)ブラザー・ラブまでの九人が垂らした舌をゆらゆら揺らすした。すると、舌が唾液を滴らせながら伸び、二股に裂け、割れた先でまた割れて――まるでイカやタコの触手のように複数に分かれた舌をうごめき出した。

 グミは嫌そうに顔を歪め、石畳に唾を吐き捨てた。


「キッモ。こんなのにナメさせてたの? 私らは丁重にご遠慮させて頂きますわよ」


 茶化すように言った次の瞬間、グミは左手に握り込んでいた指輪たちを放射状に投げた。両腕を黒く染め上げながら躰を霧とし散った指輪のひとつを追う。指を通し、ブラザー・多分FかGのどちらかに新たな指輪を投げつけ、さらに、その間に。


「いぃぃぃぃよっしゃぁぁぁぁぁ!」


 キングの大絶叫が通りに響いた。あまりの大声に、慣れきっているグミとシュメール以外の視線が集まる。思考停止を象徴する視線を一身に浴び、キングのキングが屹立していた。


 ――え、なんで? 


 デリが一足飛びで混乱の極地に至ると同時、キングは右手で上着とベストとシャツとネクタイを一緒くたに掴み、左手でスラックスを握りしめ、剥いだ。

 全裸だ。

 いや、ジグザグの縞模様が入ったビキニパンツ一枚が――柄を揃えた長靴下と革靴も残っているか。他の、一見ちゃんと拵えられたように見えた衣服は、すべて簡単に切れるしつけ糸で縫い合わされていただけだったのだ。


――え、なんで?


 同種の混乱を極めていくデリが、臨戦態勢に入っていたブラザーたちが、そして奇声に思わず目を向けたであろうスーキーまでもが固まった。


「おぅっっっっっほぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんんんんん!」


 野太い嬌声が建物群に反響する。動く人影がふたつ。ひとつはグミ。もうひとつは脊柱にそって下がり丸く膨らむ筋肉群に挟まれた穴にゴツい指輪のついた黒色の細腕を突っ込まれた、ブラザー・DかGのどちらか。拳の形に腹が大きく膨らみ、ボゴリと大きく波打った。

 絶叫に二人の人間が我に返った。まずはスーキー。


「グミに構うな! 男を押さえて!」

「デリ! こっち!」


 続いてシュメール。いきなり現出した地獄絵図に怯むデリの手を取り、仁王立ちするキングのビキニパンツの腰紐を握らせる。


「な、なに? なに!? なんですか!?」


 疑問しか口にできないデリ。少年の世界に往来をビキニパンツ一枚で歩く人間はいない。揃いのソックスと革靴の存在が逆に腹立たしい。


「ウィーーーーーーーーーーー! ハーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 大絶叫。デリは腕を引っ張られるのを感じた。キングが走りだしたのだ。股間にそびえるキングのキングがビキニパンツを目いっぱいにつっぱらせ、陰に隠れながらも雄々しく胸を張っていた。


 咄嗟に目を逸らしたデリは、世界が飴のように溶けていくのに気付いた。

 時間が遅く――違う。

 加速している。

 狂喜疾走するキングと、ビキニパンツの腰紐に掴まるデリとシュメールが。


 石の街が色混ざる光の渦となり、矢のように流れ去っていく。人馬は比較の対象になりえず、車も、弾丸でさえ勝負にならない速度。

 時間にして一秒、あるいは二秒。

 飴のように溶けていた世界がとうとつに元の色形を取り戻す。


「――ッキャァァァァァァァァァァァ!!」


 すっかり消え失せていた音が、絹を裂くような悲鳴とともに戻った。


「えっ、ここ、えぇぇっ!?」


 大通りのひとつだった。悲鳴は往来をいく御婦人があげたもの。すぐに続く爆笑は紳士たち。つかの間の休息を終え仕事場に戻る労働者。それを見送る商店の主人。店先で隙をうかがう貧しい子どもら。辻馬車を操る御者と荷台に乗る客。街を彩るあらゆる人々が、先頭を走るキングを指差し、思い思いの声をだす。


「ほぅぅぅぅぁぁぁぁあ……やっば……超絶キモチイイィィィィィィ……」


 キングはさんさんと降り注ぐ陽の光に晴れやかな笑みを向け、聴衆の激励に応える政治家のように両手を振りつつ、足の回転を続けた。

 嘲笑と感嘆と恐怖と歓喜と、あらゆる感情の中心に自分たちがいる。

 デリはいかんともしがたい羞恥に俯く。墓穴があれば迷わず飛び込んだだろう。

 すんすん鼻をすするデリに、傍らを走るシュメールが呆れ顔で言った。


「これがキングの魔法。キングのあだ名を覚えてる?」

「《フラッシャー》? フラッシャーって、写真館の――」

「いいえ、デリ」


 シュメールは首を小さく横に振り、嫌悪と侮蔑を混ぜたような声で言った。


「フラッシャーの意味は、露出狂よ」

「ろしゅ、つ、きょう……!?」


 デリは絶句した。そんな。なんで。会計士は信用が命ではなかったか。

 顔も丸出し、陰部も……丸出し直前。新聞で街の工業化を批判し自然への回帰を謳う言説を目にしたこともあるが、自然回帰主義にしたってやりすぎだ。


「ああぁぁぁぁ、思い出すぜぇぇぇぇぇ……寄宿学校の、あの頃の夜をさぁ……」


 ひとり悦に浸った様子でキングが語る。


「寄宿学校は女人禁制、俺は五年も女を見ていなかった。ババアすらだ。どいつもこいつもエロスに飢えて、みんな夜毎に槍を磨いた。四人部屋だぞ? あの頃の苦しさったらない!」

「き、聞きたくないです!」

「暗黙の了解だ! 誰もしてないことになってた! バレたら鞭打ちだからな! でも慣れるとあの痛みもまた快感になってくるんだよ!」


 デリの必死の拒否も、縞々王ストリーク・キングの耳には届かない。


「あの日は格別だった! 女学生たちが来るっていうんだ! コーラスの練習だかなんだかで大聖堂を借りたいってな! みんな大興奮だ! もちろん会えねぇ! でも来たって事実で十分だった! 嵐が来そうだから泊まってくってんで、どの部屋も熱気でムンムンしてたさ! 俺はいつものように中庭でこの槍を磨いた!」

「いつものように――!?」


 四人部屋のくだりはわからなくても、裸で外にでる異常さと、あまつさえ槍を磨いたという言葉がもつ倒錯っぷりは察せた。


「ああ! 俺はいつも外だった! しかも、あの日は女学生がいた! 嵐なんざこなくて静かなもんで、月に照らされた渡り廊下に、人影があったんだ!」


 声質だけで、キングが当時の熱狂を反芻はんすうしているのが分かった。

 はっ、とシュメールが顔をあげる。


「ちょっと! あんたまさか――」

「こっちを見てた! 笑ってた! 恥ずかしそうに目をそむける子もいた! こっちを指差して笑ってんだよ! あああああああ! 俺は走った! 今日みたいに! 今みたいに! 走って走って走り続けて、俺は知った!!」


 キングの声が高まっていく。デリは耳を塞ぎたかったが、片手はビキニパンツの腰紐で、もう片方の手は新聞紙に包まれた紙幣の塊で塞がっていた。


「ちょっと! キング! バカなことは――」

「あああ! 見ろ! 見てくれ! 俺をぉぉぉぉぉぉっっッッッッフッッ!!」


 ぴたりとキングの足が止まった。

 聴衆たち、というべきか、人々が、

 オゥ……と、ため息にも似た声をあげた。


「あ、え、えっと……?」


 掴んでいたビキニパンツの腰紐が、急速に張りを失っていく。


「まさか、キング……?」


 というシュメールの震える声に、


「ああ、お天道様が見てる。どこに隠れたらいい?」


 キングは哀愁あふれる声で答えた。


「バカ! あそこの裏路地に行くわよ!? 走って! キング! デリも!」


 シュメールはビキニパンツの腰紐を手離し、デリを裏路地へと引っ張った。


「おおい、待ってくれよぅ。足に力が入らねぇんだってぇ」


 背中に投げかけられた腑抜けた声に振り向――こうとしたが、


「見なくていいわ! 早くこっち!」


 と、デリは裏路地へと引っ張りこまれた。

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