ズラリとならぶ世界のコトワリ
キングは安心したように肩をすくめ、コンテナルームに顎を向けた。
「まぁ、そんな気持ち悪がってやらないでくれよ。俺やシュメールみたいなアマチュアと違ってコーウェンとかグミはプロだ。欲望のコントロールもレベルがちげぇよ」
「プロ?」
「プロフェッショナル。サークルに入ってたわけだからな。ほら、たとえば――」
キングは右手を棒を握るような形にして上下に振った。
「チンコを
「え?」
盛大に顔を歪めるデリ。キングも同じように顔をひん曲げ、右手を開いた。
「えーと、まぁ、今はわからねぇだろうけど、気持ちいいんだよ。時間が経つのを忘れるくらい……えーと、ほら、あれだ、お気に入りの本を読んでるとき、みたいな?」
「本を、読んでるとき、みたいな?」
ちんちんを擦るのと読書が同じくらい気持ちいいと言われても、まったく意味がわからない。しかし、本を読んでいるときは時間を忘れてしまうという感覚なら、かろうじて意味がわかった。
「んで、こう、欲望のコントロールってのは一番いいときにすぱっと止められる理性みたいなもんなわけだ。ようは、『やべぇ。イキそう』ってときに『そうだ、洗濯しとこ』ってな?」
「……えっと……?」
いまいちわからない。わからないが、わからないなりに想像すると、読んでる本が面白くなってきたところで、いきなり読むのをやめ、別のことを始める、ということだろうか。
できるできないで言えば、できないこともない、気がするが。
「……それって楽しんでるんですか?」
「そこよ!」
キングは我が意を得たりとばかりに人差し指をデリの顔に突きつけた。
「普通はそう思うだろ? それがアマチュア。けどグミみたいなプロはちげーのよ。本気でむちゃくちゃ興奮してるときに、『あ、やめよ』とかできるわけ! 欲望が自由自在っつーか、だから常識なんか軽く越えられるし、相手に《業》を背負わせたりもできるってわけでな?」
「《業》って、お店でも言ってましたよね?」
「そうそう! 簡単にいうと相手に新しい性癖を植えつけるみたいな話さ。まぁ呪いをかけるとかなんとか言ってたけど――」
「あの」
デリはキングの話を遮った。
「それと、人形と、どういう関係があるんですか?」
「ああ――えーと」
照れ隠しなのか、キングは目をそらして頬を掻いた。
「デリはあの人形をみて、キモい、ってなったわけだろ? 《業》はその逆で、気持ちいい! ってなんの。なんでそうなるかっつーと、魔法を使われてるからで、逆に言えば――」
「お祖父ちゃんの作った人形は、魔法で作ったわけじゃない?」
「かも。わかんねぇけど」
わかんないんだ、とデリは唇を結んだ。
最後の言い訳がなければ完璧だった――のだろうか。
人形が魔法でなかったのなら、祖父はたいして面白くも楽しくも性的に興奮しながらでもなく、デリ人形を作っていたことになる。それはそれでひどく不気味だ。
逆に魔法だったのなら、祖父はデリを模した人形をつくることで……
デリは廊下の壁に手をつき、えづいた。すぐにキングが背中を撫でようと手を伸ばした。
デリは大丈夫だと片手をあげ、喉に絡みつく息を飲み下す。気持ち悪さに変わりはない。種類が変わっただけだ。こんな事実なら知りたくなかった、というのは
「ふぅ~うぁ~」
と奇妙なため息をつきながらグミが出てきた。
「だーめだわー……ごめんね、デリ。いろいろ見てみたけど、これしかないわ」
言って、グミは異国の古新聞らしき紙で包まれた長方形の塊を見せた。
「いえ、そんな」
と、疲れた顔のグミを気遣いながら
「えっと……え? え、これ……」
「どれ?」
キングは万力で押しつぶしたように小さく畳まれた紙幣を広げ、口笛を吹いた。
「おいおいおい、すげぇな、デリ。お前、今日から億万長者だ。女王陛下――じゃなくって王様ンとこに持ってきゃ
「ここに本物の女王陛下がいるだろぉ? 愚かな
ピッとグミはキングの手から紙幣を回収し、デリに返した。
「おんなじ塊がもう一本、机の下に隠してあった。持ってってもいいんだろうけど――なんだろ、こう、もし、万が一? コーウェンがその……」
「生きているかもしれないから。分かります」
デリは両手で塊を抱えたまま小さく頭を下げた。
「連れてきてくれてありがとうございます。あの、これ、お礼というか……」
言って、デリは札の塊を、そのままグミに差し出そうとした。
だが、グミは一瞬の迷いも見せずに包を押し返す。
「それはデリの。ヒントがあるかもと思ったけど、単にデリに渡したかっただけかもしれないしね。それにまだ、ぜんぜん終わっちゃいないよ? お金はいくらあっても困らないさ」
「……あの、ありがとうございます」
再び頭を下げるデリ。その髪をくしゃくしゃとかき回してグミは言った。
「いいって。私らはお礼を言われるような人間じゃないし、そんなに何度も頭を下げられるとデリの善性に当てられて全員とろけちゃうよ」
グミは遅れて出てきたシュメールを一瞥し、冷たい声で言った。
「人形は置いてくように。デリの気持ちにもなってやんなよ」
「ケチねぇ。こんなところに放置するより家で可愛がってあげたほうがいいのに」
そう言って口を尖らせるシュメールに、デリは乾いた笑い声をあげた。
建物を出ると、直上にあがった太陽の光線が目に刺さるようだった。よほど空気が澱んでいたようで、馬糞の匂いが混じる路地の香りにすらデリは安堵感を覚える。
だが、グミの
「世界の理、第一章、第三節」
という呟きに、大人たちが気配を鋭くした。
「善人は日のあるうちに悪徳を――」
それと気づかず昨晩の言葉を
グミは閑散とする路地に油断なく視線を巡らせ口を開いた。
「日の下で人は消えない」
「え? あの」
「気にしなくていいぜ、デリ」
とキング。
「ええ。グミはいつもこうだから。『世界の理 第一章 第三節』って本だと思えばいいの」
聖書になぞらえ覚えていたデリの脳内に、金文字で『世界の理 第一章 第三節』と打たれた分厚い本が出現した。両隣は二節と四節で、ずらっと並ぶ。変すぎる。
デリを混乱せしめる想像を遮るように、往来に同じ型の自動車が三台滑り込んできた。停車と同時にドアが開き、黒服の男たちが次々と姿をみせる。
服装、気配、覚えがあった。
「ブラザー。飼い犬どものご登場か」
キリリと歯を軋ませて、グミは肩掛け鞄のスリングを引き締めた。左手をサイドポケットに突っ込み、じゃらりと十数個の指輪を掴みだす。
ブラザーと呼ばれた男たちが大きく口を開き、逆五芒星の刺青をいれた舌を垂らした。男たちとグミの距離はおよそ十メートル。警戒か、威嚇か、近づいてくる気配はない。
グミの指輪を握る左手が、ピクリと動いた。
膨れ上がる闘争の予感。
弾ける寸前、新たな車が遅れて一台あらわれた。
先に降りたブラザーが後部座席のドアを開く。しゃなりと足が滑り出て、細剣の切っ先の如きヒールで石畳を削らんばかりに突いた。
「あぁん♪ どこかでみた顔があるじゃない♪」
スーキー。陶器のような白肌は日の下で見ると病的にすら見えた。
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