磁器製のガラテア

「はぁ、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」


 と、どこかすっきりしたような深い息をつき、気怠そうにグミが躰を起こした。


「や~、さっすがコーウェンだわ。分かってるわ~……やばい。やーばい。ほんと、ちょっともう、やばい……軽く……やーば……」


 ……あたまがおかしくなっちゃったのかな? とデリは思った。思い浮かべることすら許されないような悪い言葉だ。

 しかし、自然と浮き上がってきた。

 頭は呆れきっているのに躰の方はそうはいかなない。いったいなにを見せられていたのかという感覚と、妙な期待に疼く躰。僕ゼッタイどこかおかしい、とデリは股間を両手で隠した。


「グミ……あなた――」

「――それ以上いわない」


 シュメールのねっとりとした声にジト目で釘刺し、グミはホットパンツをグイッと引き上げた。ドアノブを捻ると、扉はだらしなく内側をさらけだした。


「おっと……これは……?」


 グミの呟きに、シュメールが嬉しそうに続く。脇を通り過ぎるキングの怒張を隠そうともしない態度に、デリは妙な感心をおぼえ、慌てて頭を振り、一番うしろから覗き込んだ。


「――だ、誰か、いる……?」


 デリは部屋の奥で光る瞳に声をあげ、思わずグミのカーディガンの裾を握った。


「大丈夫だよ、デリ」


 グミはデリの小さな肩を引き寄せながら言った。


「人形だよ。一番奥のも、ね」

「に、人形……?」


 狭く薄暗い部屋に目を凝らすと、なるほど部屋の最奥に等身大の子どもの人形があった。

 グミは鞄から厚布を引っ張り出し、振り向きもせずキングに投げた。


「廊下とドアにくっついたエクトプラズム拭いといて」

「えぇ? 俺だけ除け者かよ?」

「キング。頼むよ」


 チン、と電灯の鎖を引く音がし、部屋が淡い橙色の光で満たされた。


「うわ……」


 人形、人形、人形――床から天井まで七段ある壁棚に、五十センチほどの抱き人形がびっしり並んでいる。いずれもきちんと服を着、息遣いを感じてしまいそうなほど精巧で、手回しミシンの据えられた作業机をじっと見つめていた。

 そして、なによりも一番奥の、作業机を横から見守るように置かれた等身大の人形。

 くるくるとした金色の猫っ毛に、黒檀のような黒い瞳……。


「等身大のビスク・ドールなんて初めて見た」


 グミは感心した様子で最奥の人形の上着を開き、刺繍された名前を読み取る。


「デリ・K……エッセ? エジー? デリがモデルみたいだね」

「えっ……僕の……?」


 デリ・K・エッセ。知らない人には名乗らないようにと言いつけられていた、フルネーム。

 シュメールが壁棚の人形のひとつを手に取って言った。


「そうみたいね。それも――ここにある人形、全部」


 人形の服は、すべて小さな紳士服――少年のために誂えられた服だった。


「――すげぇな」


 床とドアを拭き終えたらしいキングが呆れたように言った。デリが顔を向けると、彼は黙って作業机の前の壁を指差していた。


「――ッ!?」


 デリを撮った写真が壁に貼ってあった。一枚や二枚ではなく、壁一面を、整然と並ぶデリの写真が埋め尽くしている。ぞっ、と肌が粟立った。


「人形づくりの資料にしてたのかしら……?」

「にしちゃ、ちょっと度が過ぎてない?」


 そう答えながら、グミは一枚の写真に触れた。椅子に座るデリの写真だ。膝丈の半ズボンを穿いているから、七歳か八歳。朧気だが記憶にある。


「僕、覚えてます。季節が変わるころになると、お祖父ちゃんと写真館に行くんです。お祖父ちゃんは、いつなにが起きるかわからないからって……」

「で、二人で撮った記念写真の、デリのとこだけ切り抜いた?」


 グミの撫でた写真の、デリの右肩に、老人の手が置かれている。祖父の手だ。しかし、肝心の祖父の全身像は切り落とされていて分からない。

 すべて、デリしか写っていない。それに、


「横顔に後ろ姿に見返りに、外で撮ったのもあるわね」

「コーウェンはよっぽどデリのことが好きだったんだなぁ……」


 キングのとぼけた感想に、当のデリは背筋に冷たいものが流れていくのを感じた。急に、背中に投げかけられる人形たちの眼差しが、意味を変えた気がする。

 

 ――きみは、なんで動けるの? 


 そう尋ねられているような気配。


 なんできみだけが? どうして? きみがデリ? 僕らもデリって言うんだ。


 聞こえるはずのない人形たちの声。

 同じ名前を持つ人形たちの言葉。

 デリは目眩をおぼえ、作業机に手をついた。壁に貼られたデリたちの視線が、背後に並ぶデリと名付けられた人形たちの視線が、椅子のすぐ横に立つ等身大のデリの視線が、壁が、床が、天井が、ぐるぐると回った。


 目の焦点が合わない。息をするのも苦しい。疑問ばかりが湧く。

 祖父は、コーウェンは、なぜ僕にこの部屋を見せようとしたのだろう。

 なぜ祖父は、こんなにたくさんの人形をつくり、全てにデリと名付けたのだろう。

 デリが好きだったから。

 そんな単純な理由だろうか。


 この部屋は後ろめたいもの隠すために、人目を憚る行為のためにある。

 人形は祖父にとって後ろめたく、人形づくりは人目をはばかる行為だったのだ。

 なぜそれを、今になって見せるのか。

 グミによるコーウェン評が正しいのなら、これらはなにかのヒントで、なにかの答えだ。


 コウィン派に渡すはずのものなのか。

 スーキーが探していたものなのか。

 それにつながる手がかりなのか。

 執拗なまでに精巧に作られた人形たちの意味とは。

 それを、デリに見せる意味とは。

 鉛のように重い疑問が腹の底に沈殿する。

 デリはこみ上げてくる強い吐き気に口を押さえた。


「キング」


 グミが言った。


「デリを部屋の外に。ここは私とスーキーだけで調べるから」

「あいよ。デリ、こっち来な」


 キングに手を引かれ、デリは廊下に出た。明かりは天井から下がる裸電球だけ。薄暗さは相変わらずなのに、途端に息が楽になった。

 デリは埃っぽい空気を肺に詰め込み、青白くなった顔をキングに向ける。


「ごめんなさい……」

「いやぁ、デリのせいじゃねぇよ。なんせ窓がねぇからな。空気が悪ぃ。だろ?」

「……ありがとうございます」


 キングはわざととぼけてくれているのだと、今になって気づいた。入る前から、部屋の様相が異常であることくらい、分かっていたのだ。

 祖父は魔法使いで、グミもシュメールもキングも祖父の弟子――あるいは教え子。異常な性愛、異常な性欲、異常な価値観、異常な、異常な、異常な……

 ひとりひとりが全く異常な、主観的世界の住人なのだ。

 デリは、真っ先に否定したい予想を口にした。


「あの人形は、お祖父ちゃんの魔法なんでしょうか」

「あー……どうだろうなぁ。コーウェンがどんな魔法を使うのか知らねぇし……案外ただの商売かもしれんぜ? デリをモデルにしてんのがバレたら怒られるかも、とかさ」

「そんなの……」

「いやぁ……知ってるか? 最近、海の向こうで流行ってる人形があってな。『キユーピー』っつーハゲ頭の赤ん坊みてぇなキャラなんだが、俺の寄宿学校のときのルームメイトが全くおんなじあだ名でよ? また若いうちから頭が薄くて、しかもデブで赤ん坊みてぇなツラでさ。この間ひさしぶりに会ったら、まぁすげぇ怒ってたのよ。俺は大西洋を渡って訴えてやる! とかつって。そのツラがまた『キユーピー』そっくりで」


 言ってキングが見せた変顔に、デリは吹き出しかけた。


「俺は会計士としてアドバイスしたよ。『不良品って書いたメモを貼れば着払いで行けるぜ』」

「――プッ……クッ……プク……ダメだ!」


 デリはとうとう我慢できなくなって吹き出し、アハハと声をあげて笑った。

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