分かってるドア
ふつう歓楽街の朝は穏やかなものだが、《諸悪人の路地》は一味違った。
あちらこちらに立つ街娼の顔ぶれが変わるだけ。通りを歩く客層が変わるだけ。足元を走るドブネズミが屋根にとまるカラスに代わっただけである。むしろ陽に
そこを紳士風の男と、赤いデイドレスの淑女と、肩掛けカバンのスリングをわざわざ胸の谷間に通す女性と、地上に堕ちた天使のような少年が歩くとなれば、もはや仮装行列だ。
デリは街娼や酔客の奇異な視線に縮こまりつつ、片端のグミを見上げた。
「……あの、僕たち、悪目立ちしてませんか?」
「んー? ああ、まぁデリは新参だし、可愛い顔してるからねぇ」
「そういうことじゃなくて……その、皆さんの服装が……僕もですけど」
デリはむずかゆさを覚えながら抗議した。
「んー? ああ、これ?」
グミは胸の谷間に通した肩掛けカバンのベルトを引っ張った。
「こうしとくと便利でね。おっぱいがデッカく見えるから顔を覚えられなくてすむ」
「お、おっぱ……」
平然と口にする態度に、まだ慣れない。
グミはうつむきがちのデリの手を取った。
「ま、こうしとけば姉弟に見えるから大丈夫でしょ。ね?」
血がつながってるようには見えないけど? と傍らのシュメールが楽しげに言い、グミは姉弟なんて似てないもんさ、と返しながらキングの肩を叩き道の先を指差す。
キングは小走りで辻馬車とタクシーの行き交う通りに出、甲高い指笛を響かせた。デリたちが追いつくのとほとんど同時に、二頭立ての四輪馬車が止まった。
デリは一瞬迷ったが、馬車の扉のすぐ前で足を止め、グミの握る手を背一杯伸ばして見様見真似の紳士的態度を示した。デリの手を借りて乗り込んだグミも、シュメールも、それを見ていたキングや御者までもが頬を緩ませていた。
馬車は霧に沈む古めかしい街並みをゆるゆると進み、やがて背の高い建物の前で止まった。
先に馬車を降りたデリは、建物の奇妙な外観に気取られ、女性陣に手を貸すのも忘れて見入ってしまった。
なるほど、
一見すると集合住宅のようだが、窓がひとつも見当たらない。
コンテナルーム、と言ったか。トランクルームとは用途が違うだろうか。
「ま、普通の暮らしをしてりゃ人生で一度も使わないだろうな」
キングは傍らに立ち、同じように建物を見上げた。
「簡単に言やぁ、人目を
「そう、たとえば――」
シュメールがデリの耳元に唇を寄せる。
「素っ裸になって大声でマスターベーションに励んだりね」
「裸で……ますたーべーしょん? ってなんですか?」
こそばゆさに耳を撫でるデリ。
シュメールとキングは真顔で声を揃えた。
「……え? そこから?」
「ホラホラ! いたいけな少年を誑かしてないで仕事だよ仕事!」
グミが両手を叩き、鞄から広げた封筒を取り出した。
「シュメール、この匂いを探して。キング、いつでも脱げるようにしといてよ?」
「――お任せあれ、我らが女王陛下」
名指しされた二人は演技がかった調子で答えた。
さっそく封筒の匂いを嗅いだシュメールが、グミの匂いがすると彼女の胸元に鼻を寄せてはたかれているとき、デリは、脱げるように? と内心で首を傾げた。
コンテナルームなる細長い建物は五階建てで、各階に五部屋ずつ備えてあった。上から下まで合わせて二十五部屋。驚くべき数字だ。キングのいうように住居ではないのだろう。
先頭のシュメールは階段を上りきるたびに廊下に出て、鼻をひくひく動かした。封筒の匂いを嗅ぎ直し、もう一度廊下の匂いを嗅ぎ、ないと悟るとまた上へ。とうとう最上階まできたところでほっと短いため息をつき、そのまま廊下の一番奥まで進んだ。
「……よりにもよって一番上の一番奥だなんて……ここしかなかったのか、よっぽど隠したかったのか……言ってくれれば部屋を探すのも手伝って差し上げたのに」
「いやぁコーウェンのことだしね。それも隠したかった方に十シリング賭けるよ」
言って、グミはシュメールと入れ替わるように扉の前に立つ。
「えと、鍵はどうするんですか?」
と、デリ。
「はっは」
キングが軽やかに笑った。
「我らが女王陛下にゃ鍵なんざ無用だよ」
「そういうこと。まぁ、鍵穴があればの話だけどね」
グミは片目を瞑ってみせ、扉の前で屈み込んだ。鍵穴を見つめながら、顔の前で手を一度握りしめ、広げ、舌で唇を湿らせた。
暗く、物音ひとつしない廊下に、グミの少し荒くなった鼻息だけが聞こえる。立てた人差し指を鍵穴に押し当て、こねくり回すようにして
はぁ、ふぅ、と吐息が妖しげな湿り気を帯びはじめた。すると、グミの指先が黒く染まりだし、みるみるうちに範囲を広げ、やがて二の腕まですっぽり包み込んだ。
「……さぁ、ほら、力を抜いて……?」
グミが囁くように言った。誰に言っているのか。
「ほら、柔らかくなってきた……もうすぐ入るよ……? 入っちゃうよ……?」
扉に向かって、まるで恋人に話しかけるかのように甘ったるい声で。
くちゅり、くちゅり、と粘着質な音まで聞こえ始めた。目を凝らすまでもなく、グミの指先と鍵穴が接する点からドロリとした液体が溢れた。
ごくり、とデリは生唾を飲み込んだ。なぜだかとてつもなく卑猥なものを見ているような気がしてきていた。指で鍵穴をほじっているだけなのに、なぜか、お尻がきゅっとなった。
「ほら、いくよ……?」
優しく言い、グミが指に力を込めると、ぬぷり、と人差し指が根本まで鍵穴に呑み込まれた。
「ほら、入っちゃった……。恥ずかしがらないでいいよ? 気持ちいいんでしょ?」
鍵穴に言っているのだ。より正確にいえば、グミに鍵穴を差しだす扉に。
廊下に響く粘着質な音が大きくなり、グミが指を動かすたびに、鉄でできた鍵穴が生き物のような弾性をみせた。ときに広がり、また収縮して――。
恥ずかしくなってきて目を逸らすデリの傍らで、シュメールが内股をすり合わせていた。階下を警戒していたキングも、肩越しにちらちらとグミの魔法を覗いている。
「ほら、ほらほら……もう一本いれちゃうよ? 力を抜いて……」
扉の――鍵穴の力とはなんぞや。
鍵穴に指をねじ込んでいくグミ以外に、その答えを知る者はいない。
動きは次第に激しくなり、鍵穴から溢れつづける粘液が次第に白く濁り始めた。息を荒くしながら二本、三本とかきまわす指を増やし、やがて手首を収めると、
「さぁ……いくぞぉ……?」
ニィ、と妖しく、狂暴に笑んだ。
グミは腕全体を使って鍵穴をこね回し、いよいよ前後に抽送し始めた。
鍵を開けようとしているだけなのに、なぜ鍵穴に腕を出し入れする必要があるのか。
グミ以外の誰にもわからない。
だが、その淫猥な交わ――鍵開けからデリは目を離せなかった。
見てはいけない。はしたない。こんなところで。いや、ただの錠前外しでは。
様々な感情が湧き、熱を帯びる下腹に混乱をおぼえ、デリは前かがみになった。
「ほら、どう? どうだい? なにかいいなよ……!」
激しく腕の抽送を繰り返しながら、グミが声をざわめかせる。扉がなにか言うわけないじゃないかとデリは思ったのだが、あろうことか扉が切なげに軋んだ。
軋む音は次第に
「ほら! ほらほらほら! イキなよ! イけ!
劣情をぶつけるかのようにグミが腕を肩口までねじ込むと、
扉は儚げな歓喜の声をあげながら一際おおきく身を捩り、
――ガキン。
と、重い音を立てて錠前を外した。
「はぁ、はぁっ、んっ……はっ、はぁ、ふぅっ、んぅ、ハァ……」
荒れ切った鼓動を宥めようとするグミ。大粒の汗玉がすっきりとした輪郭を伝い、顎先からポツンと
魔法の黒手袋に覆われていた腕が元の健康的な褐色を取り戻し、だらしなくぽっかりと口を開いていた鍵穴がヒクつきながら
後に残されたのは、怠惰な気配を
――ちんちんが、痛いくらい硬くなっていた。
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