逸れ者たち
朝の顛末を神妙に頷きながら聞き、キングは昨晩と同じテーブルの椅子を下ろした。お気に入りの席なのだろう。
「なぁーるほどなぁ……大変だったな、デリ」
「そーですね……」
デリはジト目でキングを見つめている。信用できなくなっていた。
悪かったって、とキングは苦笑交じりに両手をあげ、真剣な目をしてデリに顔を近づける。
「……で、どうだった?」
「……なにがですか?」
「……ヤッたんじゃねぇの?」
「……やった?」
デリはかくんと小首を傾げた。だぁぁぁぁっはぁぁ! とキングが大げさにため息をつきながら仰け反った。すぐに、ぐわん、と躰を揺り戻し、左手の人差し指と親指で輪っかを作り、右手の人差し指を抜き差しする。
「だーら、ヤった? って」
「や……ヤッた!?」
言葉の意味を察し、デリは真っ赤になった。
「ヤッてません! 一緒のベッドで寝ただけです! 指一本……くらいは触ったかもしれないけど……」
トーンダウンして俯いた。どうしてこの人たちは徹底してからかいにくるのだろうと涙目になり、魔法使いの話を思い出す。おそらく、これが彼らの平常運転なのだ。通常業務なのだ。
「っくあぁぁ、いいなぁー! 柔らかかったか!? いい匂いしたか!? 味は!?」
味? と眉を寄せ、デリは記憶をたぐる。答えなければ終わらなそうな気がした。
「……レモンみたいな香りがしました……」
「レモン! いいなぁ。しっとり汗ばむ琥珀色の肌に、レモン。まるでレモン・ドリズルケーキじゃないか! なんでかぶりつかなかったんだ!?」
信じられないとばかりの言い様に、デリは唇を尖らせそっぽを向く。
「それより……こんな時間からどうしたんです? まさかもう飲む気ですか?」
「おいおい、グミから聞いてないのか? デリ、お前を手伝いに来たんだぜ?」
キングは見せつけるように襟を正した。昨日の全裸にビキニパンツと対極に位置する極細ストライプの入った灰色のスリーピース。ハットと傘があれば霧の街では紳士の一人に含まれるだろう。
「キングさん……普段はなにをされてるんですか?」
「おいおいデリ! 犯罪者を見るような目はやめろ! 俺は会計士様だぜ? 会計士ってわかるか? 他人様のやましい金を勘定して、薄汚れた正しい金に変える錬金術師だ!」
「え……本当ですか?」
会計士という仕事はよく知らないが、もし他人のお金を数える仕事なら――。
キングは自らの胸を叩いて答えた。
「そう! 信用が大事! 安心しろよ、客ならともかくグミやコーウェンの身内に嘘ついたりしねぇからさ」
「……信用が大事なのになんで昨日はあんな格好――」
「――それがキングの《業》だからよ」
急に聞こえてきた声に目をやると、腕組みをしたシュメールが扉に寄りかかるように立っていた。いつからいたのだろう。ずっと会話に入るタイミングを図っていたなら少し可愛いかも、とデリは思った。
「……聞いてる?」
シュメールはサングラスをずらして訝しげな目を見せると、腰を絞った真っ赤なデイドレスの裾を揺らしてデリの隣に椅子を下ろした。
「魔法の話は聞いたでしょ? 魔法を使うには世界の理を忘れるくらいの強い欲望が必要。それが《業》よ」
言って、シュメールはサングラスを戻しデリの髪に鼻を近づける。昨日の不快がありありと思い起こされ、デリはひゅっと息を飲んだ。
目を瞑り、恐怖にぷるぷる震えていると、スン、と鼻を鳴らして気配が離れた。
「――そんなに怖がらないでもらえる?」
デリが恐々瞼を開けると、シュメールが髪をかきあげ妖しく笑んだ。
「嫌がられると、ますます興奮しちゃう」
「ぴっ――」
と短なデリの悲鳴。
「おいおいおい、シュメール。あんまイジメんな。変な《業》背負ったらどうすんだ? デリくらいのころにおぼえた性癖は一生モンなんだぞ?」
キングはシュメールの肩を押し、デリから遠ざけた。
助けてくれた――のだろうか。
性癖だの《業》だの、わからないことだらけだ。こらえきれないため息が積み重なる。
しかし、シュメールは委細構わず鼻を鳴らした。
「……あら。デリ、あなた大人になったの?」
「なん……だと……!?」
キングが目に力を込めた。
「デリ! お前! 俺に嘘ついたのか!? やっぱヤったのかよ!」
「ふぇっ!?」
唐突に向けられた理不尽な牙に、デリは躰をかばうように身を引いた。
「し、してません! なにもしてませんってばぁ!」
必死の否定もむなしく、キングは目を血走らせて両肩を掴んだ。
「正直に言うんだ、デリ。ヤったのか? シリアナの女王を抱いたのか!?」
「ひぃ……っ」
口から悲鳴が漏れ出た瞬間、キッチンの奥から呆れ顔のグミが出てきた。昨日と同じく露出度激しい格好だが、上にロングカーディガンを羽織り、肩掛けカバンを下げていた。
「ヤっちゃいないよ、バカったれ」
グミはカウンターを軽々と飛び越え、キングの魔の手からデリを引き離した。
「――ま、ちょっと危なかったけどね」
なぬ、とキングとシュメールの目がグミに向く。
「……えっ……?」
涙目で見上げるデリに、グミはニッと笑ってみせた。
「知ってた? 眠りの国に住まうキミは、わりと激しめな抱きつき癖がある」
「抱きつき……癖……!? 激しめ……!?」
そんなことって、と頬が熱くなった。
グミは背後からデリの胸元に手を回し、いくつもの指輪をはめた指でリボンタイを解く。
「そうだよ? 寝付いたからちょっと離れようかと思ったら、がっちりきっちりホールドされちゃった。正直、ちょっと可愛かったよね」
「かわ……うぅ……」
否定しようにも眠っている間の行動まで自信はもてない。ぬいぐるみや人形を腕に収めて眠った記憶はないが、朝起きたら本や枕が顔のそばにあった経験は何度もあった。
いじけ気味に頬を膨らませるデリに、グミは銀色の指輪を見せた。
「これ、お守りにタイに通しておきたいだんけど、いいよね?」
「もう好きにしてください……」
涙目で、もうどうにでもなれと拗ねていた。
グミはクスクス笑いながら結び目に指輪がくるようにタイを結び、ポンと叩いた。
「これでよし、と。それと、これ、デリに返しとくね」
言って、鞄から一冊の本を取り出した。
「ウチの店に落としてったっしょ? 昨日、返しそびれて忘れてたよ。ごめんね」
「あ、え、これ――」
デリは受け取った本をどうすべきか狼狽えた。ちょっとえっちな小説だ。キングやシュメールに気づかれたら――
「あら。珍しい本じゃない。ちょっと見せて?」
遅かった――と、デリは諦念から瞑目し、シュメールに本を差し出す。
「珍しい? ただのエロ本ぽかったけど?」
「グミさん読んだんですか!?」
そっちは想定の外だ。
しかし、本を手にしたシュメールは、厳かな口調で言った。
「エロ本? とんでもない。これは三百年以上も前に書かれた幻想ロマンス小説よ? 抑圧の時代に若者の性に自由を与えてやろうと戦った、時代の底に埋められてしまった傑作だわ」
シュメールは恋人の肌に触れるように本の表紙を撫で、鼻を寄せ、頬を緩めた。
「デリ、あなた、この本を抱いて寝たでしょう。匂いがついてる。それにこれは……コーウェンね。彼もこの本が……とっても好きだったみたい。それから……ふふっ」
シュメールは鼻を動かしながら
「色々な人の手を渡り歩いてきたみたい。ゾクゾクしちゃう。ただ、装丁がちょっと雑いのが気に食わないわね。コーウェンったら、言ってくれたらよかったのに」
「……えっと?」
と、ぱちくり
「私、普段は
「……えと、本の修理、ですか?」
「そう。まぁ修理ばかりじゃなくてプレゼント用に装丁したりもするんだけど……」
「本の匂いを嗅ぐためにやってるだけだし、感動するような話じゃないよ?」
グミがニヤリと笑った。
「……え。本の、匂い、ですか?」
いままさに、ちょっと感動しかけていたのに。祖父の書斎にあった数々の古い本は誰かに手直しされていたのかと、そうまでして受け継がれた本を読んでいたのかと、すごくいい話を聞いたような気がしていたのに。
「誰かが触った本だし、直したいくらいに読み込んだ本よ? 最高じゃない! まず鼻に飛び込んでくるのは
シュメールはうっとりとした面持ちで挿絵の入った頁を開き、鼻を突っ込んだ。すぅぅぅぅ、と音に聞こえるほど深く吸い込み、天井を見上げてパチパチと瞬く。
「ここがみんなのお気に入り……挿絵だけ後から組み入れて……すごい……ねっとりと喉にからんでくるくらい濃厚な……きっとコーウェンだけじゃない……ふふっ」
楽しそうに。妖しげに。再び鼻を突っ込もうとするシュメール。
「はいそこまでー。これデリの本だから」
から本を取り上げグミは言った。
「はい、デリ。隠しとかないとまたシュメールにエロい悪戯されるよ?」
それグミさんが言います? とは指摘できなかった。
本を持ったまま行くわけにはいかないのでカウンターの裏に隠しておくことにして、デリは念の為に匂いを嗅いでいた頁を確認した。挿絵だ。扉の隙間から覗いたような構図で、激しく交わる妙齢の女性が悦びに濡れた眼差しをこちらに投げかけている。
無論、デリは大慌てで本を閉じた。
……どういう状況!?
冒頭から少ししか読んでいないデリは想像を膨らませかけたが、グミの呼びかけにそれを中断、首を左右に振って店を出た。
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