あすのご予定は

「まぁなにをするにしても」


 グミはエールの小瓶に口をつけて顔をしかめ、手をあげた。


「コーウェンがなにを引き渡そうとしてたのか探らないとね。スーキーの狙いもきっとそれだし。デリはなにか見たり聞いたりしてない? どんだけ細かい話でもいいからさ」


 新しいエールを受け取るグミの手を横目に、デリは祖父との暮らしを思い返した。

 規則正しい生活ではなかったように思う。週に何日か、朝か昼に家を出て、すぐに戻ってくることもあれば夜遅いこともあった。

 最初は食事も祖父が用意していたが、いつの間にかデリが担当するようになった。特に決まりがあったわけではない。たまには祖父が作ったが、料理が下手なのかデリの好みを分かってないのか、あまり美味しくはなかったように思う。

 家にいるときは勉強も教えてもらった。文字の読み書き、計算、外国の歴史や地理、人体模型のデニーに協力してもらって人体の仕組みを教えてもらったことも。

 けれど。


「ごめんなさい……僕、お祖父ちゃんのことなにも知らない……」


 やりきれなかった。

 祖父が書斎でなにをしていたのかまるで分からない。外でなにをしていたのか。どんな仕事をしていたのか。魔法はおろか、家の中ですらなにひとつ知らない。

 分かった気でいた。知った気でいた。

 手料理を食べるとき、祖父は喜んでいると思い込んでいた。実際は分からない。

 黙り込むデリを見かねてか、グミは砕けた口調で言った。


「だよねぇ。一緒に暮らしてたからって、なんでもわかるわけじゃないしね。しかもコーウェンじゃ……教え子の私らにも、どんな魔法を使うのか話さなかったし」

「教え子……?」

「えぁ?」


 グミは店内の客たちを示すように片手を広げた。


「さっきので気づかなかった? 今日この店に集まってるのは、コーウェンに本当の好みを見つけてもらった奴だけだよ。キングとシュメールには別の用を頼んだから、まだ来てないけどね」


 デリが首を振ると、気づいた客の何人かがグラスを掲げた。いずれも見た目だけなら普通の人のようだが、みんな特殊な好みを持っているのだろうか。


 でも、見つけてもらうって……どうやって?

 まさか、実際に試したりとか? 試すってなにを? たとえばグミだったら、穴を指でほじると興奮するというし――


 デリはぎょっとしてグミを見た。想像してはいけないおぞましい光景が脳裏を過ぎったのだ。

 グミは驚いたふうに何度か瞬きし、慌てて両手を振った。


「違う違う違う! 変な想像しないでって!」

「だ、だって……」

「いや違くて! なんかこう、郵便屋がぶら下げてるでかいバッグあるでしょ? あれにすっぽり収まるくらいの変な機械を使うの。なんだろ、変なコードがいっぱいついててさ。コードの先っぽにタコの吸盤みたいなのがついてて、服の下とか髪の毛の下に貼るわけ。んで、その状態で普段どおり生活してると分かる……って、そうか」


 グミはポンと手を叩いた。


「あの変な機械を欲しがってたとか? デリ、見たことない?」

「いえ……お祖父ちゃんの書斎には何度も入ってますけど、一度も……」

「そっかぁ……なんっかおかしいんだよなぁ……コーウェンはなにかを取引材料にコウィン派から守ってもらおうとしてた。同時に、捕まったときに備えてデリに私の話をしといた。でも、それだけじゃ片手落ちだ。コーウェンがそんなミスするとは思えないし、絶対ヒントを残してるはず……もしかして相手がスーキーだって気づいてたからとか……? いやでも……」


 と首を捻るグミ。祖父――いや、コーウェンという魔法使いを信頼しているのだろう。

 戻れなかったときのためにメモを残し、子どもが持つには多すぎる金を残し、それから消えた。尋問をしたスーキーは、祖父はなにも喋らなかったと言っていた。

 喋らなかったのなら、命をかけてでも取引材料を守りたかったということ。


 祖父は、自分が口を閉ざせば隠し通せると思ったのだろうか。

 ありえない、とデリは思う。おそらくグミもそうだろう。デリを守るためなら、沈黙はむしろ危険をもたらす。本人がダメなら家族を狙うなんて誰でも思いつきそうだ。

 だとしたら、デリを逃がそうとしたのは別の理由がある。

 理由とはつまり、グミに自身の危険を知らせること。隠した大事ななにかを見つけさせ、守り通すため。スーキーたちより早く見つけさせなくては意味がない。


 デリは思い返す。

 なにか他に、祖父に渡されたものはなかったか。かけられた言葉はなかったか。祖父が行動を開始したのは三日前。その日のうちに捕まったのだとして、間にできたことは――


「――あの手紙だ」


 デリは言った。


「手紙?」


 と、グミ。


「スーキーが来た日、郵便屋さんが来たんです! だから僕は逃げられた――」


 デリは上着を探り一通の封書を取り出した。逃げるときに握りしめたからクシャクシャになっていた。丁寧に皺を伸ばす。差出人はコーウェン。受け取り手の名は、


「……僕になってる」

「デリ、そういうのは早く言ってよ」

「ご、ごめんなさい。すごく慌ててたから、すっかり忘れてて……」


 苦笑するグミに謝りながら、デリは封筒を開いた。一枚の便箋。


『デリへ。言いつけを守るように』


 その文面に厳しい顔をつくる祖父を見た気がして、デリは頬を緩めた。同時に少し悲しくなった。他にはなにも書かれていない。


「ダメみたいです……これしか書いてありません……」

「どれどれ……? 」


 グミは受け取った便箋を眺めて尋ねる。


「言いつけって?」

「朝になっても帰ってこなかったら、すぐにシリアナの女王に会いに行けって……」

「ふーん? なのに手紙は三日後に届いた……つまりコーウェンはデリが動かないのを見越してたってことかな? どっちにも取れるように……まぁ、きっとヒントだ」


 グミは便箋と封筒を眺め回した。ひっくり返し、封筒を開いて紙の表面を指先で擦り、明かりにかざし、匂いを嗅ぎ、唸り、もう一度ひっくり返して、あ、と言った。

 封筒の折り目――糊づけされて隠れていた部分に、滲んだ文字が並んでいた。


「デリ宛の手紙はそっち、私宛はこっちって感じだね。コンテナルームの住所だ」


 グミは空き瓶を脇にやり、ドライ・ジンをグラスに注いだ。酒気のせいか目が潤んでいた。


「明日の朝……や、昼ちょい前くらいかな? 一緒に見に行ってみようか。コーウェンがなにを隠してたのか、デリも興味あるよね?」

「はい!」


 と勢い込んで返事を返すデリだったが、すぐに首を傾げる。


「って、昼前ですか? そういうのって暗い時間の方がいいんじゃ……?」


 なにしろ追われている身だ。グミがスーキーの手下になにをしたのか知らないが、デリの逃走を助けた以上、おおっぴらに外を歩かないほうよさそうに思えた。

 グミは、ニヤリと笑ってグラスを傾けた。


「善人は日のあるうちに悪徳を積み、月が出れば慎み深く過ごす」

「え……なんですか、それ……」

「世界の理、第一章、第三節。私の言葉さ」

「えぇ……?」


 グミはくつくつと肩を上下しながらスーキーの名刺を指の間で回していた。


「警察は悪人を捕まえるために夜目を光らせる。善人でいたいと思うなら、昼のうちに悪いことをするべきなんだよ。悪人にされずにすむからね。――ま、この街に七七七も分署があるはずないし、スーキーが警察だなんて怪しいもんだけど、セオリー通りにいこうってこと」


 ピン、と名刺を弾き上げ、落ちてきたそれを指で挟むと、グミはカウンターに声を張った。


「マスター! お腹へった! なにか作って!」


 なぜか、店内に緊張が走った。

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