スーキーはいつだってこう
デリにとって食事の時間は貴重なコミュニケーションの場だった。
物心ついた頃には両親ともに亡く、祖父は仕事で書斎に籠もるか家にいないか。祖父に勉強を教わることもあったが、基礎を学んだら自習が中心になる。食事の時間がなければ、話し相手は本だけになっていただろう。
デリが初めてつくった料理は絵本に出てきたベーコンエッグだった。ひどい出来だ。ベーコンは黒炭のように焦げつき、破れた卵の黄身はまるで布団に広がるおねしょのようだった。
しかしそれでも、祖父は美味しいと、ありがとうと言ってくれたのだ。
その瞬間から、デリは料理に取り憑かれている。続けて祖父が口にした、次は焦がさないようにしてくれると嬉しい、の一言に心を奪われたままでいる。
長い長い孤独。深い暗黒に沈む時間。いっとき浮上し息を吸う、煌びやかに彩られた食事の時間。その一瞬を、昏い顔に汚されてなるものか。
料理は質素でもいい。問題は味。味わう者の顔。声。瞳。愉しませなければならない。悦ばせなければならない。見たいのは愉悦に振り回されて心乱れる者の
与えられるばかりのデリが、唯一、与え、支配できる至福の一時。みるみる内に減っていく皿を見るだけで胸がすくような思いだった。仏頂面で突っ立ているくらいなら、ブラザー・アルファとブラザー・ブラザーも席につけばいいのにと思う。
そうしたら、あげないこともないのに。
一人分の量には少し足らないけれど、絶対に落胆させたりしないよ?
そう思いながら、デリはうっとりとスーキーの食事を眺め続けた。やがてオートミールはすべて胃袋に消え、チン、と硬質な音を立てて銀色の匙が皿に寝そべる。
「――ふぅ、美味しかった……」
満足そうに言って、スーキーは両手で顔を扇いだ。ただ食事をしていたとは思えないほど上気し、額には細かな汗まで浮いている。
でも、もう少しだけ、とデリは欲望に突き動かされるようにして言った。
「おかわりはいりますか?」
「――いただけるなら、ぜひ」
素早い返答に興奮をおぼえながら、デリは空の皿を受け取った。すぐ後ろの台所に舞い戻り、鍋に残るオートミールをよそい、二杯目の舌に合わせジンジャーパウダーを加えて食卓に。
スーキーは皿を前に一瞬空気を舐め、匙に手をかけた。
「――ああっ……いい! いいわね! 本当に! さっきはからかったりしてごめんなさいね? 貴方は、とってもいいモノをもってるみたい」
少し物憂げに言うスーキーに、デリは努めて優しく答える。
「気にしないでください。それより、食事を楽しんで」
「ありがとう。本当に」
スーキーは柔らかく微笑み、もう一口食べ、冷たい目をした。
「でも、あんまりのんびりしてられないの。私、お仕事で来たんだもの」
食事中に仕事の話だなんて、と少しむくれるデリ。
その顔色を窺うように、スーキーは一匙すくって上目遣いで言った。
「貴方のお祖父様の話、聞かなくていいの?」
「え?」
そうだった。スーキーはそのために来たのだ。遅めの朝食を食べに来たのでは――
「貴方のお祖父様、死んじゃったのよ♪」
――え?
デリは自分の耳を疑った。聞き間違えたんじゃないか。スーキー流の、ちょっとキツい冗談なんじゃないか。またからかわれてるんだ。そうに決まってる。
「――お祖父ちゃんが死ぬなんて」
ありえない、と続けようとしたところを、スーキーが歯を立てて食いとった。
「もう本当にびっくりしちゃった。すごいあっさり死んじゃうんだもの。まだなにも喋ってないうちによ? ぜんぶ持ってるはずが、なにも持ってないの。もう大変だったんだから。この家を探すだけで三日。三日よ? おかげでご飯も食べられなくて――」
「ま、待って! 待って下さい!」
デリは慌てて両手を伸ばし、スーキーの話を止めようとした。しかし、
「いいえ? 私は待ったりしないわ?」
スーキーは片笑みを浮かべて舌を鳴らした。
「私たちは貴方のお祖父様と取引することになっていたの。貴方のお祖父様が凄いものを見つけただとか作っただとかという話を聞いたのね? それで三日――いえ一週間前だったわね。話をしたのは。ともかく、ブチ込まれたくなかったらそいつを寄越せとお願いしたわけ。でも貴方のお祖父様ったら、きっぱり断ってきて。そのうえ逃げる準備まで始めたっていうじゃない? だから私たちは『やり直そう』って言ったの。そしたら、お祖父様、どうしたと思う?」
「あの」
「すごいのよ。また断ってきて。それどころかショイン派と接触をもったって話まで出てきたわけ。だからもう大急ぎで手を回してとっ捕まえて話を聞く予定だったんだけど――」
ずるり、とスーキーは口から匙を引きずり出し、指揮棒の如く振った。
「コロ、って。もう、なに死んでんだテメェ死んでいいなんて一言もいってねぇぞ、って感じよね? ね? そうでしょ?」
ようやく口を開く機会を与えられたとき、デリの世界は灰色になっていた。視界が水っぽくなった。頬をなにかが伝い、と、と食卓を汚す。
「なんでですか?」
スーキーは大きく首を傾け、振り子のように姿勢を戻した。
「なんでって。私の話を聞いてなかったの? お祖父様はショイン派と――」
「ショイン派とかそんなの知りません! お祖父ちゃんは!? お祖父ちゃんはどこなんですか!? あなたたちが殺したんですか!?」
せりあがってくる感情に任せてデリは叫んだ。涙が溢れて止まらなかった。
しかしスーキーは、穏やかな微笑みを浮かべたまま、さぷり、と匙を口に運んだ。
「殺したのは私じゃないわよ? そもそも殺すつもりなんてなかったし」
「じゃあ、なんでお祖父ちゃんを……?」
「貴方のお祖父様が見つけたあるいは作ったものが欲しくて在り処を聞こうとしただけよ。だから探しに来たってわけ。あ、貴方はなにか聞いてない? たとえば~……そうだ。お祖父様が魔法使いだったのは知ってる?」
えっ? と、デリは呆気に取られた。またからかわれているのだろうか。なにかの比喩か。たとえば祖父は職人で、その技術をして魔法使いと呼ばれていたりとか。
「あら、そんなことも聞いてないの? じゃあ、なにを聞いても無駄そうね」
呆れたと言わんばかりに肩を竦め、スーキーはオートミールを食べた。
――なに、それ。なにそれ。ナニソレ。
デリは胸の奥で苦みの強い感情がふつふつと沸き立つのを感じた。
「あなたたちは、いったい、なんなんですか?」
罵倒しようにも汚い言葉をほとんど知らない。口にしてはいけないと祖父に教え込まれてもいる。デリにとって最大級の罵倒は、迂遠な言葉で問いただすことだった。
スーキーはスプーンを咥えたまま訝しげな目をした。ぬるん、と銀の匙が引き抜かれる。
「――ごめんなさいね。私ったら――」
スーキーが銅色の名刺ケースを出すのを見て、デリは苛立ちを隠さず口にした。
「名刺なら、さっきもらいました」
人目のある食事の席で失敗を指摘するのは侮辱に等しい。支配権を奪われつつあっても、この家の食卓を統べるのはデリだ。ブラザー・アルファとやらと、ブラザー・ブラザーとやらの目があるなかで、これみよがしに間違いを正すのはいけないことだった。
スーキーは歯と唇の間に麦がはさまったのか口中で舌をもごもごと動かし、笑った。
「――読み方が分からなかったかしら? 文字は読めるわよね?」
デリはむっとしながら名刺に目を落とす。
「バンドネオン市警 第――」
「不正解♪」
えっ? と顔を上げるデリに、スーキーは人差し指の先を向けた。
「読み方が間違ってる。それはね、こう読むの!」
両腕を肩の高さで広げて言った。
「『私たちは何をしても許されます。文句があんならブチ込むぞ!』」
ニィッと吊り上がる唇の両端。チェシャ猫の笑み。
「――そんなわけで、今から家探しするわね? 徹底的に。容赦なく。貴方のお祖父様にしたように。そりゃあもうしっちゃかめっちゃかに引っかき回して探すわよ。でも誰にも文句は言わせない。文句があるならブチ込むだけ。オーケイ?」
「そん――」
「反論は認めないって言ったでしょ? ブチ込むわよ? まぁ私には貴方と違ってブチ込むモノがぶら下がってないけど、なにかしらをブチ込む。オーケイかしら?」
「で――」
「三度目はないわよ? なにか知ってたら今すぐゲロっちゃって? じゃないと、まず、お祖父様の部屋をぐちゃぐちゃにして、次に貴方の部屋を引っ掻き回して、次は家中を、最後は貴方を引き裂く。反論するなら順番は入れ替え。いい? 聞くわね? よく考えて答えて」
スーキーは言葉を切って、匙で皿をかき混ぜた。
「オーケイ?」
デリは酸欠の魚のように口をぱくぱく動かし、女の目に宿る本気と狂気に言葉を失い、やがてコクリと頷いた。
「よかった!」
パン! と両手を胸の前で打ち、スーキーは皿を片手に立ち上がった。
「BA、BB、始めて」
「ウィ、スーキー」
ブラザー・アルファとブラザー・ブラザーは声を揃えて返事をし、廊下に戻った。デリも慌てて席を立つ。自分はとんでもない返事をしてしまったのではないかと焦っていた。
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