ゾンビ食堂
古池ねじ
第1話
ゾンビ食堂の飯はまずい。ゾンビが作っているからだ。
俺の目の前にはなんだか色合いが微妙におかしな親子丼。親子丼ってどこで食べてもそんなに色鮮やかなものでもないが、この親子丼の元気のなさ、活気のなさはなんだ。こんな丼で再会してしまった親と子が気の毒になってくる。まあ、そもそも死んでからバラバラになった親と再会も何もあったもんじゃないが。
小さな食堂は定期的なクリーニングサービスが入っているので清潔だが閑散としていて、什器も備品も古びて、活気がない。俺以外に客はいない。いつもいない。高い位置にあるテレビは夜のニュースをやっている。
「多数の死者と社会に混乱をもたらしたゾンビ禍がワクチンの開発と治療法により収まり、二十年になります……」
チャンネル替えたい。俺は俯いて親子丼を口に運ぶ寸前で、手を止めた。
変な匂いがする。
腐ってはいない。多分、腐ってはいないけど、いや、腐ってんのかな? 卵と鶏肉のどっちなのかはわからないけど、なんか、酸っぱいような、妙に平坦な匂いがする。食べ物の新鮮さがすべて死んで、これから腐敗のフェーズに入りますよって匂いだ。まあ、食えないほどじゃない。食えないほどじゃないので、口に入れる。ニュースは続く。
「新たなゾンビの発生はここ二十年確認されていませんが、社会には今でも当時にゾンビ化した方々が、様々な活動を送っています。今月の特集、「社会の中のゾンビ」ではゾンビ化した方々の現在を追います」
「ウまいカ?」
大将が聞いてくる。太い腕はグレーがかっていて、ところどころに切り取り線のような傷が走り、そこで色が変わっている。実際に切り取り線のようなものだ。切り取って縫い付けた跡。清潔な白衣に包まれた巨躯からうっすら腐敗臭のようなものが漂ってきて、親子丼の匂いがまぎれる。腐りかけを腐ったもので誤魔化す。誤魔化しきれてない。いくらなんでもまずすぎる。最初の一口がいつも一番きつい。いつ食っても新鮮にまずい。まずさだけが新鮮だ。素材のまずさを殺さない絶妙に生臭い火の通り。それなのに底のほうは火が通りすぎて卵がぼろぼろだ。むせるほど塩味がきついのに、妙に水っぽくもある。米はべちゃべちゃだが、噛むとざらざらしている。ここの米は米に似た成分の粉を無理やり米のかたちに固めた代用品かなにかなのか。
料理を作るのって、ものすごい高等な技術なんだなと思い知らされる。まず素材を選ぶ。火加減、水加減の見極め。味付け。そして何がうまいのかという判断。レシピの文字の間にあるものを、解釈と気づかないほど自然に人間は解釈して料理する。それが料理だ。ここにあるのは料理の死体だ。ゾンビの作った料理のゾンビ。俺は何かの試練のように最低限の咀嚼をすると、水を飲んで流し込む。ここの水はサーバーからセルフで取ってくるタイプだ。食器を洗うのは食洗機なのでコップも綺麗。ここの食堂で、唯一うまいのが水だ。水ってうますぎる。つめたくて滑らかでほのかに甘くさえ感じる。水さえあればいい。
「……うまいよ」
「ソうカソうカ。ゾンビがツくっタナんテ思えナいだロ?」
何かを擦った音を人間の声っぽく合成したような、ゾンビ特有の聞き取りにくい声。ここのところ毎回同じ会話をしている。二十年ほど前は、本当にここは飯がうまくて評判の食堂だった。大将は人間だったし、人間の中でもいい腕だった。安くて何を食べてもうまい町の食堂。大将がゾンビになってしまってからも、しばらくはゾンビが作ってるとは思えないほどうまいと評判になって、開店前から行列ができたそうだ。ゾンビ食堂、あくまであだ名でちゃんとした名前があるのだが、ゾンビがやっているゾンビ食堂はちょっとした地元の名所みたいになっていた。ただすべて、過去の話だ。過去の話は、むなしい。今ここにはゾンビの大将とがらがらの食堂、そして最悪の親子丼があるだけだ。
俺はもう一口食べる。鼻で息をしないように、口に入れているときは極力息もしないように。そうするとだんだんましになってくる。人間はこれほどのまずさにも慣れる。人間はすべてに慣れる。
二十年ほど前、どこかの国の変わった動物を誰かが食べたか、噛まれたか。どっちだったか忘れたしそもそもはっきりとわかってるかどうかもうろ覚えだがとにかくそういうことがきっかけで、妙な病気が流行った。感染すると、一週間ほどで心臓が止まる。だがそのあと多くの場合、死体がまた動き出す。動き出すだけならまだいいが、言葉は通じないし、最悪なことにまだ感染していない人間を襲うのだった。そして、噛まれた人間もまたそれに感染してしまう。
正式名称や、正式な略称はあったが、すぐにその病気と感染者は「ゾンビ」と呼ばれるようになった。
はじめは遠い国でのことだと思っていたのが、感染者は一週間ほどの潜伏期間中に一体どうやってと思うほどのアクティブさで移動して、あらゆる国をゾンビ禍に巻き込んだ。当然日本もだ。感染した多くの人間は隠し通そうとし、それがまた感染の拡大に味方した。自分の感染を隠蔽して移動しようとすることも症状の一つなのではないかと言われていたが、これも詳しいことはわからない。俺だって多分あの頃感染していたら隠すと思う。初期の感染者だと判明した人間がどんな目に遭わされたか。噂も含めて本当にひどい話ばかりだったし、中にはそもそもその人は感染していなかった……というケースもたくさんあった。人間は愚かで、一つの病気をきっかけに、命の価値のような、根本的な価値観が食い荒らされていった。あの頃は誰かが亡くなったとき、覚えるのはまず悲しみではなく恐怖だった。亡くなったばかりの身内が恐怖や憎悪の対象になる。葬式なんかとんだ愚行だと言われるようになり、死体は急かすように火葬され、火葬場がいっぱいになったら死体をばらばらにした。そんな中でも社会はぬるっと常識を非常識にして、残虐なことを倫理的なことのように移行して、続いていた。人々はそういうことに慣れて、でも少しずつすり減っていった。そんな暮らしを続けていくのは、いくらなんでも無理があった。
もう世界はおしまいなのかもしれない……という、なんとも居心地の悪い、うっすらとした絶望が世界全体を覆った頃、突然ゾンビ禍は収まった。感染者にある薬剤を注入すると人間を襲うことがなくなると判明した。そのあとすぐにワクチンも開発され、あの混乱が何事もなかったかのように、本当にあっさりと社会は平穏を取り戻した。あれは人類にとっての汚点で、多くの人にも忘れ去りたい個人的な過失がいくつもあった。過去に置き去りにするために、人類はこれまでにないほど懸命に働いた。
それでも否応なく向き合わざるを得ない問題がいくつもあった。その一つが治療された感染者、つまり「ゾンビ」だ。ゾンビ禍当時は病気と感染者全体をそう呼んでいたが、今はゾンビと言えば動いている感染者のことを指す。治療された感染者も心臓は止まってしまうが、ただの死体とは違う。動き出すのだ。なんと一度バラバラになった死体でも、ある程度修復できれば問題ない。鈍るとは言え視覚と聴覚はあるし、知能は衰えるが理性は失わない。むしろ人間よりも穏やかになる。ゾンビの犯罪率はそれ以外の人間よりずっと低いし、犯意が認められたものはほぼゼロだ。代謝が止まっているので当然長時間経てば腐敗してしまうのだが、エンバーミングに似た処置と経過観察によって、二十年経ってもまだ活動しているゾンビもいる。ゾンビの寿命がどの程度なのかはわからない。まだ寿命を迎えたとされるゾンビはいないが、経過により少しずつ、あらゆる身体機能や知能が衰えていくのは確かだ。「そのうち理性を失ってまた人間を襲うようになるかもしれない」という、特に根拠のない、だが深刻な疑いは晴れていない。なのでゾンビが居住している地域では「殺ゾンビ剤」が手に入る。入手には身分証の提示が必要だが特に難しいことはない。俺だって持ってる。小さなスプレーで、簡単かつ迅速に、人体に無害な薬剤を噴出してゾンビを「殺す」ことができる。二度と生き返らない。そういう均衡の元、ゾンビは社会に受け入れられている。二十年経って、減っていく一方のゾンビだが、まだ細々とゾンビの宿舎での管理と、定期的なケアを受けながら暮らしている。職を持っているものもいる。たまに真面目な特集番組が組まれるし、教育番組のレギュラー出演者になっているゾンビもいる。いても基本座ってるだけだが。
ニュースの「社会の中のゾンビ」には、女性のゾンビが映っていた。出勤のためにゾンビ用の宿舎から送迎のバスに乗っている。長い髪はおそらくかつらだろう。艶のある髪が肌のよどみを目立たせている。教師をしているらしい。ゾンビたちはマイクロバスの座席に行儀よく座り、前を見て黙っている。ゾンビ同士は雑談をしない。
「教師ハタいへンだよナ」
と、そこに立ってテレビを見ていた大将が言った。ゾンビの声は感情が読みにくいが、そこにしみじみとした共感が乗っているようにも聞こえた。
「飯はレシピ通リに作レばなンとかナるけド、人間相手じャそウはイかナいだロ」
「飯も大変だろ」
現にまずいし。
「飯モはジめは大変ダったナあ。味モワかラナいし、目モ鈍ッてるシ。でモあアヤっテ、」
テレビではゾンビの女性が行う模擬授業を、別の教員が指導している場面が映っていた。
「俺モ店やル前にハいロイろ指導しテモらッたヨ。ゾンビデも読ミヤすイレシピとカ、使イヤすイ器具とカ、いロイろアるンダよ」
「はあ」
「力加減モ感覚も前トハちガうし、匂いモわカらンシ色ノ見分ケも難しイカら、肉が特ニ焼き加減ガ難しインだナ。ソれデもウまいッて言ッてモらッタとキは嬉シカっタなア。前と同ジ味だッテ」
「そうなんだ」
「一日に一メニューガ限界だケドな。二十年ズッとソう。ゾンビは慣レテうまクなるッテこトがなイラしい。客は飽キチまウよナ」
最初のころは繁盛してたんだ、という大将の声に、俺はどういう感情を読みとったらいいのかわからない。そもそも、ゾンビの感情が人間のものと同じものかもわからない。感情があるのかも。こういう一見筋の通った会話全部、生きていたときの感情の残響みたいなもので、本当はここには何もないのかもしれない。
「人間ハ飽きッポいヨナあ。俺は二十年毎日料理作ッて、飽きるっテこト全然なイケどナ」
大将は話し続ける。俺の反応は気にならないらしい。話しながら相手の反応を見るというのが難しいんだろう。俺はまずい親子丼を、無理やりかきこむ。最初のころ食堂に来ていた人たちは、飯がまずくなっていることを、指摘しなかったんだろうか。しなかったんだろうな。俺もしない。そんなことはできない。黙って食う。
もうほぼ安全だとみなされているとは言え、人間に危害を加えた歴史があり、外見や、声や動き、匂いまで快いとは言えないゾンビだが、手厚く支援されている。おそらく、ゾンビ禍があまりにも人間の悪の部分を剥き出しにしたために、安全になったゾンビたちに埋め合わせたいという感情が働いたのだと思う。ゾンビたちはほぼ全員望む職につけたし、就業訓練や支援、補助金もあった。二十年経っても同じだ。ゾンビ禍の記憶は薄れているし、そもそも知らない世代も生まれてきた。それでもゾンビたちを表立って迫害するような人間はおらず、手厚い支援もそのままだ。おそらく、ゾンビがある意味理想的なマイノリティだったからだろう。彼らはもう増えない。減る一方だ。そしてほぼ主張をしない。ゾンビを政治家にしようとした人間は何人かいたが、どの試みも成功しなかった。当選どころか出馬も不可能だった。引き受けるゾンビがいなかったのだ。謙虚というか、ゾンビは権力に関心がない。もともとついていた職を続ける以上のものは求めない。そしてたいていの場合、ゾンビになったのは裕福ではない人たちだった。政治家や富裕層はゾンビ禍の早期に外に出なくていい体制を作ってしまったのだ。なのでゾンビの多くは市井の、慎ましい、見ようと思わなければ見なくて済む変わった静かな存在に過ぎない。視界にいれて一瞬我慢すればいいし、その一瞬の不快感、人間相手ならほぼ伝わってしまうその不快感に、ゾンビは気づかない。本当に、都合のいいマイノリティなのだ。そして、都合のいいマイノリティであるゾンビは、公的な支援はそのままだが、個人的な支援や親切からは、どんどん零れていく。ゾンビの大将の身体機能が落ち、味が落ちていくにしたがって、客がどんどん食堂に立ち寄らなくなっていったように。みんな忘れていく。でもそれが正しいのかもしれない。忘れられたってゾンビは構わないのかもしれない。親切にするのも、見ないふりをするのも、忘れるのも、忘れないのも、いつまでも思っているのも、すべて、人間の都合に過ぎない。
「うマイか?」
さっきと同じことを尋ねる。こういうことも、最近になって増えてきた。少しずつ壊れていく。一体いつ限界を迎えるのかは、誰にもわからない。
「……うまいよ」
俺の一瞬の戸惑いは、伝わらない。大将の目に、俺はどう映っているんだろう。誰もいなくなった食堂にやってくる物好きな客。多くの人間にとって、ゾンビがただそこにいるゾンビでしかないように、大将にとっての人間も、ただそこにいる人間でしかないんだろうか。それぞれの過程、それぞれの思惑をもってそこにいる個別の存在ではなくて。
「そうカソうか。ゾンビガ作ったナンて思エないダろ?」
「うん。そうだね」
テレビではゾンビの教師が、若い女性と宿舎で会っていた。ゾンビは「生徒さンが会イに来テクれタ」と言っている。横の若い女性の目は涙で潤んでいるが、ゾンビにはそれがわからないらしい。気にせず話し続けている。「生徒さンが会イに来テクれタ」「生徒さンが会イに来テクれタ」「生徒さンが会イに来テクれタ」……繰り返しだ。ナレーションが入る。
「ゾンビ化した方は、人の顔を見分けることがもともと苦手です。そして人が年月を経て容貌が変わるということを、感覚的に理解するのが難しいようです。こちらの方も、宿舎に住んで別居しているうちに、自分の娘さんのことがわからなくなってしまいました」
「……悲シイなア」
と大将が言った。
「……そうだね」
「俺も息子ニ会ッタらこンナんなのかな。じャあ会わナイほウがいイカもナ。向コうも親ガゾンビじャ、嫌ダロうシ」
「……そっか」
この話も、何回もしている。大将の息子。二十年ずっと、離れて暮らしている。ずっと昔、この食堂が流行っていたころ、息子はいつもここにいた。学校が終わったらまっすぐここに来て、テレビを見ながら宿題をして、忙しくなったら配膳を手伝って、大将の作る夕飯を食べて、二人で家に帰った。あの日、何もかもが変わってしまった。そのことを、大将は恨まない。ゾンビは恨まない。国も、身内の感染者を報告しなかった近所の住人も、自分を置いて逃げた息子のことも、死体をばらばらにすることを選んだ息子のことも、何も恨んでいない。ただ食堂を続けている。
「息子ガ親子丼好キダったンダよナ。顔ハわカんナクてモ、味ハ変わンナいかラまタ食べニ来てクレたライいノにナ」
俺は親子丼の最後の一口をかきこんだ。
まずい。
まずくてまずくてまずくて、涙がにじんだ。俺の表情に、大将は気づかない。
かつてここの親子丼は、うまかった。俺は親子丼が大好きだった。どんなに食べても飽きなかった。でももう、どんな味だったのかも思い出せない。俺の親子丼はもう、このゾンビが作ったまずいまずいまずい親子丼だ。これしかない。
「うマイか?」
大将が尋ねる。何度でも尋ねる。
「……うまいよ」
と、俺は答える。何度でも。どんなにまずくても。
ゾンビ食堂 古池ねじ @satouneji
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