第9話「相棒」
夏の日差しが照り付ける。暗褐色のホームベースの上。片方のスタンドからは勝利の歓声。もう片方のスタンドは落胆の声が聞こえる。
観客の注目の中心。グランドの中、相手は互いに試合の勝利を称え合う。
ただこちらは、それぞれがそれぞれのポジションで項垂れる。けれども全員の頭の中は同じことが思い浮かんでいる。暑さと寒さと汗と血が混じった記憶。そして今、その記憶の最終ピリオドに涙が混じった。
最後の夏、バッテリーを組んだ相棒との会話がフラッシュバックする。
「はっ」目を覚ます。
なんで今更こんな夢を見たのだろう。既に40年も前の記憶だ。けれども色あせることのない記憶は頭の根底に眠っていたようだ。
別にドラマのような感動劇があった訳でもなく、甲子園に出場できたわけでもない。地方大会の予選の一つに過ぎなかった。わずか3年の期間が今でも消えていなかった。
あの夏の日から早くも40年は経過していた。高校も大学も卒業し、就職をし社会人になった。周りに比べれば少し遅れたものの妻ができ息子は二人もできた。
平々凡々ながら幸せな家庭を持った。それでもあのひりつくような3年間でできた仲間とは今でも交流が続いている。
目が覚めたついでに時計を見る。まだ夜中の2時、起きるには早すぎる時間。もう一度寝なおそうと布団をかぶりなおす。ところが家の外から音がする。雨風のような自然音に紛れて人の歩く音が聞こえる。人間が徘徊する音だった。
寝ている息子を起こし家を任せ、自分はバット一本持って家の外に出る。
外を確認したものの誰もいなかった。それどころか自宅周辺に人の気配はなかった。聞こえるのはカエルの大合唱のみ、少しの不自然さを感じながらも安全を確認できたので自宅に戻る。
「なんで木製バット?」
家に入った瞬間に息子が訊ねる。
我が家にはバット2本置いてある。1本は今自分が手にしている木製バット。もう1本は趣味の草野球用の金属バット。護身用であれば間違いなく金属バットの方を選ぶのが普通である。なのにこの時には木製バットを手にしていたのである。
「分からん」この時はそう答えるしかなかった。
その数時間後。もう一度眠りに入った俺を起こしたのはいつもの目覚まし時計ではなく枕元に置いた携帯の着信音だった。
「誰だよ、こんな時間に」
時刻は朝の6時、けれども電話をするにはかなり非常識な時間。かけてきた相手は灼熱の3年間の相棒だった。
文句の1つでも言ってやろうと思い電話に出る。
「優斗の母です。和人君でお間違えないですか?」と電話口に聞かれる。
嫌な胸騒ぎがした。
「間違いないです」
「朝早くからすみません、息子が今日息を引き取りました」
あまりの衝撃にそこからのことは詳しく覚えていない。死因が癌であること、葬式の日取りだけが記憶に残っていた。
葬式の日、彼の母から死の数日前の話を聞いた。
「俺が死んだらさ、和人に真っ先に知らせて」
「もう一度だけ皆と野球したかったな」
なんて言っていたそうだ。そこからわずか数日後の夜中2時に息を引き取ったらしい。不審な足音がした夜中2時だった。
葬式が終わり帰宅した。玄関で靴を脱ぐ最中にふと傘立てを見た。そこに立てかけたバットを見て夢と足音に納得した。
「素振りの一つくらいすればよかったな」
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