10話 パンドラの箱
*****
ギリシャ神話に出てくるパンドラの箱は
決して開けてはいけない。
その箱の中にはあらゆる災いが閉じ込められている。
決してその箱を開けてはいけない。
*****
『カツカツカツッ—!』
「やっぱりここにいたのね!」
春の風と共に颯爽と現れる女。
「母さんっ!」
音羽はそう叫ぶと女に抱き付く。
「音羽。ただいま。
いい子にしてたかしら。
ん〜、また少し身長のびたかな。
ダンもこっちに来て。ハグして頂戴。」
そう言うと、女はダンを抱き寄せた。
「あぁ、お帰り。母さん。会いたかったよ。」
ダンも安心して身を委ねている。
優のオフィスとカモミールの効果なのか
この場所は音羽とダンにとってとても居心地の良い場所ようだ。
「マリア、元気だった?
君の分もお茶を入れてくるよ。
さぁ、座って。
まだ、日本に着いたばかりでゆっくり出来ていないんじゃない?」
そう言うと優はその女、マリアをエスコートすると事前に用意されたいたカップにカモミールを注ぐ。
「これ、日向君が作ったスコーンだよ。
君の好きなチョコチップもたっぷり入っていて、日向君は本当に母親思いなんだね。
今日会えないのが残念だよ。」
「あら、この後カフェに寄るんだから一緒に来なさい。日向もとっても喜ぶわ」
マリアはそう言うと、チョコチップたっぷりのスコーンを頬張った。
優は何かを思い出したように、微笑む。
「そうだ。僕はまだ音羽さんのカウンセリングしてないんだったね。
少し部屋を移動しようか。」
そう言うと、優は音羽を診察室に連れて行った。
*****
診察室は、先程いたテラスとほとんど変わらず、遠くでは微かにダンとマリアの笑い声も聞こえてきた。
風が気持ちよく、ここでみんなで一緒に昼寝をしたら気持ちいいだろうな。と想像して、音羽は目を瞑ってニッコリと笑っている。
「そんなに自然体で笑っているって事は
安心して大丈夫そうだね。
少し、睡眠安定剤を減らしてみようと思うんだけどどうかな。
少し、夢の話をしてみてくれるかな。」
優はそう言うとカップに温かいカモミールを注ぎ、音羽の前に置いた。
「最近は幸せな夢ばかりみるおかげで
気持ちが凄く落ち着いていると思う。
残酷な夢は見ないように、なんだろう。
泳いでいるというか、説明するのが難しいんだけど、
夢の中だと私の言葉が反映されている感覚があるの。
前は、話しかける事は出来ずに、ただ頭の中に入ってくると言うか…」
音羽は身振り手振りで優に説明している。
頭の中を直接のぞいて欲しいと言わんばかりに
頭をコンコンとノックする仕草は、どこにでもいる高校生の女の子だ。
「そう。それでね、怖い夢は消えて。っていうと、消えてしまうの。
私の言葉が伝わってるのかな。
ん〜。よく分かんないや。
私説明するのがとても下手ですね。」
音羽は一通り説明を終えるとある事を口にする。
「でね、優先生には昔話したことがあると思うんだけど、最近また同じ人の予知夢を見るようになったの。
そう。ここと少し似た景色も見えた。
でも、思い出そうとするとまた、痛っ!
なんだか頭痛がして、もやがかかったみたいに思い出せなくなってしまうの。
そこに出てくる人は凄く綺麗な人でね、誰かに名前を呼ばれていたわ。
…えぇっと、今思い出すから。
んん、ん。その女性はル…
あれ?今日も見たはずなんだけど。
先生、待ってね。」
音羽は少し興奮気味になっていた。
優はゆっくりと音羽の手をとった。
「無理し過ぎはいけませんよ。
頭痛も心配ですね。
脳に関しては、これからマリアさんに見てもらいましょう。
私は音羽さんの心を安定させて不安を取り除く事がお仕事です。
また今度思い出した時にメモに残すといいですよ。
日記をつけてみるのも良いかもしれませんね。」
優はゆっくりと言い聞かせるように話し、音羽を落ち着かせる。
音羽は少し落ち着いてから、その話を続ける。
「私、その人に会ってみたいと思うの。
どうしてかしら。
その人の夢を見ると不思議な気持ちになる。
まるでもう1人の私をみているような気持ち…
違う。
感じた事のない感情、ずっと前から知っているような、でも触れてしまったら壊れてしまうような儚さ。
よく分からないの。
触りたくて、愛おしくて、でもとても怖い…
きっと何かが変わってしまう気がする。」
音羽はそう優に伝えると、微笑みながら涙を流していた。
瞳から溢れ出すその涙は、絶え間なく零れ落ち頬をつたい、音羽の膝にポタポタと落ちていく。
優が困惑しているのを感じた音羽は顔を両手で覆い、笑ってみせた。
「ごめんなさい。
でも本当に最近はとっても幸せな夢ばかりなの。
今の夢の話だって私の心を満たしてくれる大切な夢なの、悪くないの、変な話ですね…そ」
優は両手で顔を覆っている音羽をゆっくりと抱き締めた。
片手は頭を包み込み、もう片方の手は背中をよしよしと摩っている。
まるで小さい子供をあやす様に子守唄を歌う優は音羽を安心させた。
「ふふふ。
なにその歌。先生って本当に不思議な人だね。
私もう16歳だから子守唄はやめて。」
泣き止んだ音羽は照れ臭そうに先生から離れようとする。
そんな音羽を離そうとしない優は同じ心臓の音を奏でながら耳元で優しく静かにこう話す。
「音羽さんのことは生まれる前から知っています。
子供のいない私にとっては実の子供のように大切に思っています。それは日向君、ダン君も同じです。
泣かないで。とも言いません。
ですが、涙を隠さないでください。
私には全て話して欲しいんです。
必ず私があなたを助けますから。
分かりましたか?
子守唄だっていつまでも歌ってあげますからね。」
音羽と優はお互いに顔を見合わせると、クスクスと笑い合った。
ひとしきりカウンセリングを終えると、音羽と優はダンとマリアの待つテラスに戻った。
テラスに戻るとマリアとダンがハンモックで眠っていた。
「待ちくたびれちゃったか。
ごめんね、 疲れちゃってるよね。」
音羽はそう呟くと、眠るマリアの頬を手の甲で優しく触れた。
音羽は優に聞かなかった。
その子守唄を夢の中の女性も歌っていた事を。
音羽の背中を隣のハンモックでそっと見つめるダン。
「パンドラの箱の中には
何が残ったんだっけな。
もしも、希望なんだったら開けた方がいいのか?
…教えてくれよ。
パンドラの箱を閉ざしてるのはあんただろ。
ルナさん…。」
*****
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます