8話 母の帰国

*****


愛してると伝えたら

ありがとうって返事をくれたね。


どうしてだろう。

その続きを聞く勇気は無くて

私は自分の両手をこの身勝手な気持ちと一緒に隠したんだ。


*****




『カツカツカツカツ…』




成田空港のロビーに現れた女は無表情で少し早口気味に誰かと電話をしている。




その女はベリーショートでiPhone以外何も持っていない。カルティエのベニュワールの腕時計が良く似合う。



Jimmy Chooのヒールが上品に女の足元を彩っているが、その立ち姿、姿勢、歩き方、目線、声色、全てがこの女の品の良さを証明していた。



「えぇ、今日本に着いたわ。

すぐ病院に向かうから、詳しくはまたそっちで話しましょう。


あら、ごめんなさい。

ハニーから電話だわ。


それじゃ、切るわね。bye.


…。


Hi! Dan!

私の可愛い子供達はお行儀良くしているかしら?」



女の声は優しく弾むように問いかける。



「早くみんなに会いたいわ。

今回のお土産聞きたい??今回は!


あれ?もしもし?Hey!

もおーーっ、ダンったら!


まぁ、荷物はもう家に送ってあるんだけどね!

…カフェに送ればよかったかしら。


まぁ、いっか。」



女は、早くみんなを抱きしめたい。と呟き、先程までダンと話していたiPhoneを胸にあてながら深呼吸し、迎えの運転手が待つ車の後部座席に乗り込んだ。



*****



『ピンポーン。』






日向がインターホンに出ると佐川急便の配達員が2人がかりで大きな段ボールを運んでいる姿が映った。


そして、3人の住む家には国際郵便で大きな荷物が5つ届けられた。


3人の住むマンションは低層マンションだが、幾つもの長い廊下と無駄なロビーなどエントランスまでがとてつもなく遠く、荷物がドア前まで届けられる頃には配達員の額にじんわりと汗が滲んでいた。



「わー今回も凄そうだね。

毎回言ってるけど、カフェに運ぶものと家に置く荷物分けて欲しいよね…。」


音羽がパンケーキの皿を抱えながら荷物を覗き込んでいた。


日向の作るパンケーキはグルテンフリーで米粉から作っていてとっても美味しそうだ。


音羽はそれにチョコレートソースと生クリームをたっぷりとかけて焼きバナナを添えて食べている。



おもむろに冷凍庫に向かう音羽はアイスクリームを探しているようだ。




「あれー?ハーゲンダッツのアイスがあったような。

無いよー。食べないでって言ったのにー!」


音羽はソファでコーヒーを飲むダンにわざと聞こえるように言った。



「それはこの間カフェでみんなで食べたあのアイスの話してんのか?お前いつの話してんだよ。」



「えー。そうだっけ?忘れちゃったよ。」


そう言いながら今度は冷蔵庫からプリンを見つけて、アイスの話はどうでも良くなった音羽は鼻唄を歌いながらブランチを続けていた。





ダンのコーヒーが揺れる。

…ダンの手が少しだけ震えていた。






日向は段ボールを開けながら荷物の仕分けをしている。



「音羽、今日は病院に行く日だよ!

早く食べて準備してね。


僕はカフェに行くから付き添いはダンにしてもらって。」



荷物の仕分けを諦めた日向は今度はカフェに行く準備を始めた。


「お皿は自分で洗って出て行くように!

電気もちゃんと消してね、先生にちゃんとご挨拶するのよー」


もはや、兄なのか父なのか母なのか分からない口調で、日向はカフェに向かった。



「…ねぇ、ひな兄ってば、iPhone忘れてる。

そう言うとこあるよねー。

慌てん坊さんだなーお兄ちゃんは。」


キッチンに置かれたiPhoneをツンツン突きながら、画面に映し出された家族5人の写真を見て、音羽はそれだけで幸せな気持ちになった。



「Lalala〜♫

病院に行った後、カフェに寄ってあげようっ!」


お皿を洗う泡だらけの手で日向のiPhoneをつまみ上げて、ダンに投げ渡す。


泡が付いた日向のiPhoneはキッチンからソファに座るダンの顔目掛けて空を舞った。


「ぅおいっ!!!

音、泡!!!きっ…たね…


ていうか、カフェの前に病院遅刻するぞ。

車回してもらうから、まずは着替えろ。


あ、そういえば今日、母…」



ダンの話を遮り、音羽は元気な返事をして部屋に行ってしまった。


今日の音羽は何をしても何を言っても上機嫌のようだ。



突如静まり返ったたリビングでひとりダンは手に持つiPhoneに目を向ける。


その目はガラス玉のように透き通り、不純物は無く綺麗でそして冷たい。


目尻から流れる前に、瞳の真ん中から直接床に零れ落ちる涙。



『ポタンッ』



それは無表情のままダンの思いを床に叩き落とし、消し去った。



*****











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