第5話-3 後輩のデートを覗きに行った日のこと

 外装と共に、内装もまさにとにかくかわいいを押し出した雰囲気。メニューボード一つとっても、丸みのある独特の手書きのフォントで書かれたメニューに苦戦を強いられる。


「白井さん、白井さん。どうみても僕ら客層じゃないっす」

「分かりすぎるほどに分かってる」


 羞恥と共に座った座席はもふもふとした座り心地で地に足がつかない今の心情をしっかりと表してくれていた。しかし大きな代償の甲斐あって、標的の後ろの座席を獲得。背もたれは大きく、互いに顔は見えない。これなら会話の内容を聞き取ることは容易だ。


 小声で大和田君とやりとりをする。


「やったわね」

「僕は正直ちょっと後悔してます」


 耳を澄まして聞き取った内容によれば、ここは竹内ちゃんが行ってみたかったカフェのようで、パンケーキが有名らしい。店の雰囲気もあり、一人で来るのはどうにも気後れしていたとのことだ。


「パンケーキが有名らしいわよ大和田君」

「僕らさっきアンパン食べたばっかりなのに。パンに偏りすぎてませんか」

「せっかくだから同じもの食べてみたいじゃない」

「ま、それはそうですけど」


 背後から聞こえてくる楽しげな会話に耳を澄ませながら、職場の同僚と甘いパンケーキを頬張る。ごてごてと甘い。やけに甘い。


「白井さん、ギブっす」

「私も。甘いものが嫌いってわけじゃないけどこれは……」


 白旗を上げる私たちの後ろでは、竹内ちゃんが弾んだ声でおいしいと述べていた。これが、これが若さか。そして続けざまに、「香奈子センパイとも来たいなあ」と呟いていた。いや、まあ、気持ちはとっても嬉しいの。うん、気持ちは。でもね、このクリームと糖分と脂肪分の暴力は、私にはちょっとキツいかな。


「白井嬢は、甘い物よりも酒を好むと思うよ」

「そうなんですか? じゃあ、お酒飲みに行きたいです」


 ナイスアシスト、天狗さん。仕事以外であなたに助けられる日がくるとは思ってもいませんでした。ちまちまと甘ったるいパンケーキを口に運びながら、私は琴科さんに感謝を捧げた。


「時に、竹内嬢。ずいぶん仕事が手慣れてきたじゃないか。茶屋町氏も、伸びるタイプだと言っていたよ」

「いえ、まだまだ助けてもらってばっかりです。あ、でも最近、大和田さんがすごく助けてくれるんですよう」


 ほほう? それは聞き捨てならない事を。視線をじっとりと大和田君に移し、私は目で語る。竹内ちゃんに手を出すつもりかと。

 対して、彼は首を小刻みに横に振り、「違います、ええ、ほんとに。や、ほんとに」と早口でまくしたてた。

 後ろではその大和田君の話題がまだ続いている。大和田君が反撃とでもいうかのように話しかけてくる。


「白井さんこそ、琴科さんのことどう思ってるんです?」

「は?」


 私が? 琴科さんを? あの自称天狗を?

 ない。それはない。仕事ができる人ではあるが、異性として魅力的かと言えば話は別だ。きっぱりと、その答えはノーだ。


「どうしてそうなるのか全く分からないけれど、私は竹内ちゃんを見守りたいだけよ。だから、大和田君が彼女のことを好きだって言うなら――」

「だから違いますってホントに」


 そこで背後の話題が未だに続いている気配を察知した。

 しっかりと聞き耳立てて、竹内ちゃん本人の口から事の真偽を判断しよう。


「それじゃあ、竹内嬢は彼の事を異性としては見ていない訳だね」

「はい! そうですね……戦友、みたいな感じです」

「それはまた面白い例えだね」

「だって、大和田さんが仕事手伝ってくれるのって、家に帰ってからオンラインで一緒にゲームするためですから。私も大和田さんも、ソロプレイばっかりだったので、同じゲーマーに会えて楽しいんです。チャットとかしながら――あ、仕事はしっかりやってますっ。ほんとですよ!」

「ふふ、仕事をしっかりやっているのは見ているとも。大和田君は特に、良い仕事の仕方を心得ている」

「そうなんですか?」

「彼の良い所は、どんなメンタルの時でも仕事のクオリティにそれが影響しないことだ。いつでも一定以上の質を出せるのは、プロにとって大事な資質の一つだよ、竹内嬢」

「あ! 確かに大和田さん、マルチプレイ中、ミスがとっても少ないんです。納得です!」


 すごく評価されてるぞ、大和田君。

 本人、すごく居住まいが悪そうだけれど。うんうん。気恥ずかしいよね。第三者同士が褒めてるのを聞くのって。


「それにですね、大和田さんって好きな人いますから」

「ほう」


 ほう? 琴科さんとシンクロした気がするが、意外な情報だ。

 分かりやすく大和田君が目を逸らしたけど、ちょっと詳しく聞かせ――いや、聞きたいには聞きたいが、今はそうじゃないのだ。竹内ちゃんの話だ。


「興味深い話ではあるが、あまり本人のいないところで聞く話でもなさそうだね」

「それもそうですね! それじゃあ、琴科さんは気になっている女性とかないんですか?」

「おや、デート相手にそれを聞くのかい?」

「えー、そのはぐらかし方ズルいですよう」


 ううむ。めっちゃ盛り上がっとる。

 そして眼前の大和田君が何か考え込んだ様子でこっちを見てるのはどうしてなんだろう。


 声を落として「どうしたの」と小声で話しかける。

 視線を外して店内のあちこちを見回した後に、何事か決意したようにずいと顔を寄せてきた。


「白井さんって、琴科さんが好きなんですか?」

「だから違うってば」

「本当に?」

「ほんとだってば。どうしたの、真剣な顔して」

「僕は……えっと、白井さんの事が気になってます」

「えぁ?」


 ちょっと何言ったかよく聞こえなかった……いや、聞こえたんだけど何言ってるか分からない。え、何? 今日の私の服装が気になるとかそういう、のじゃないわよね、顔がね、マジだもんね。


「……すみません、聞かなかった事にしてください。ここ、僕が払いますから」


 呆然とした顔をしている私の前で、伝票をさっと取って大和田君が立ち去ってしまった。ちょっと待て。言いたいことだけ言って去っていくのはずるくないか。それは男としてどうなんだ大和田君。


 ちょっと後ろの席の会話を気にする余裕がなくなってしまった混乱の中で、いつの間にか竹内ちゃんと琴科さんが消えていた。

 くそう、理不尽だ。こんな事態になるとは誰が予想できただろう。


 標的は見失い、私の目の前に残されたのは甘いパンケーキのみ。


 竹内ちゃんと琴科さんはジンギスカンの店に行くと言っていたが、どこの店かまでは分かりようがない。ネットで調べてみたら複数件ヒットしたし。どれかに当たりをつけて行ってみた所で、外れたら私は一人でさみしくジンギスカンを食すことになる。これはいけない。




   〇   〇   〇




 おとなしく尾行を中断して帰路につく。昼から曇っていた空模様は、小雨に変わった。逃げるようにどこか雨がしのげる場所を探す。


 しかしなあ。大和田君が? 私のことを?

 いや、ほんとに?


 驚きはしたし、光栄だとも思うけれど、どうしたって職場の後輩というカテゴリを抜けない。きっと、女っ気のない職場だったからだと思うな。大和田君のことだから、これを気にかけて仕事がおろそかになるってことはあり得ないけれど。


 駅前の本屋に立ち寄って、何をするでもなくぶらぶら歩いていると、急に声をかけられた。声のする方には男女のペアがいて、女性の方がこちらに小さく手を振っている。

 どこかで見覚えがあるような……。


「白井さん! お久しぶりですね」

「あ、笠置君!? それに九ノ宮ちゃんも!」


 大学卒業以来、会っていなかったサークルの後輩に出会うなんてなかなかないことだ。短い歓声を上げて、再会を喜ぶ。


「あ、そういえば結婚したんだったっけ。おめでとう」


 サークルの後輩同士が結婚かあ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ複雑な気もするけれど、祝福したい気持ちの方がはるかに大きい。


「白井さんは、三鍋先輩とは?」

「どうしてそこであいつの名前が――」


 いや、出てきて当然か。付き合ってたもんね。そうだね。自然消滅したけどね。でも今一緒に暮らしてるけど。

 いや説明に困るわこれ。今の状況は黙っていよう。


「あー、五年前に別れたの。いつの間にかいなくなってた」

「え?」


 九ノ宮ちゃんがきょとんとした顔をする。あ、そういえば名字は笠置になったのかしら。九ノ宮になったのかしら。それとも別姓のままかも。まあ、どれでも当たり前だから特に気にするところでも――


「私たちの結婚式に来てくれたじゃないですか。三年前・・・に」

「三鍋先輩と一緒に招待して……もしかして、気まずかったですか?」

「……は?」


 ……は?

 え、いや、だって、三鍋が消えたのって、五年前で、そこから世界各地を旅してるって……え? どういうこと?


「私、あなた達の結婚式に行ったの?」

「え、ええ」

「三鍋と?」

「はい。仲が良さそうに見えました……よ?」


 記憶にない。

 いや、これは流石に仕事にかまけて忘れ去ったとかそういう次元の話ではない。そもそも、食い違っているのだ。今日、たまたま偶然ここで会った二人が嘘をついているはずもない。


「ねえ、二人とも。私、携帯の番号が変わったこと伝えたかしら?」

「どうでしたかね、ちょっと待ってくださいね」


 笠置君が携帯を取り出し、私の番号とアドレスを表示する。それは、今現在において私が使っているものと一致していた。

 番号とアドレスを変更したことを伝えていたらしいが、その記憶も、もちろん、ない。


「式の時って、私と三鍋、仲が良かった、の?」

「ええ、とても。お二人とも、“お祝いに白牡丹を咲かせてあげよう”って言ってくれましたけど……」

「どういうこと?」

「や、僕らもさっぱり。でも、次に会った時にはきっと分かるって……」


 一体、何がどうなっているのだ。なにも分からない。白牡丹? 意味が分からない。


「先輩、大丈夫ですか?」

「あ、うん、大丈夫……。ちょっと仕事の疲れが、ね。とにかく、二人ともおめでとう。これからも仲良くね」


 それだけ言い残して、小雨が体に纏わりついてくるのも構わず、逃げるように私は電車に乗って家へと急いだ。

 なにかぞわぞわとした感覚が、私の背筋にずっとこびりついていた。




   〇   〇   〇




 帰宅しても三鍋の姿はなかった。


「なんでこんな時に限っていないのよ」


 悪態をついたが、そもそも尾行の後にジンギスカンを食べて帰ってくる心づもりだったので夜はいらないと告げてあったことを思い出した。

 休日を言い渡したのだから、こちらからそれに干渉することは筋ではない。筋ではないが、今回ばかりは事情が事情なので三鍋へ「今どこ?」とメッセージを送った。


 返信はなく、電話もつながらない。

 雨は、いつの間にか窓の外で激しくなっていた。


 そして、三鍋はその日から、帰ってこなくなった。

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