第5話-1 後輩のデートを覗きに行った日のこと

 梅雨も明けようかとする時期になって、少し困ったことが起きた。いや、困ったことでもないと言えば困ったことでもないんだけれど、何というか、あれだ。私は三鍋の事をどう思っているのだろうとか、どう思っていたいのだろうとか、そういった方面の悩みだ。

 私と三鍋は、大学時代に付き合っていた。これは事実だ。事実は認めなければならない。そして、現在は付き合っていない。これも、事実だ。いや、事実なのだろうか。私と三鍋はしっかりとサヨナラしたはずではあるのだ。三鍋か海外に行くと(今となっては、それが鍋師の修行のためだったのだと分かったけれど)言って、私を置いて旅立った。かつての私は、別れを告げたのだろうか。それとも甲斐甲斐しく待っているとでも言ったのだろうか。


 その辺りがどうにも不鮮明で、三鍋に対してどんな態度を取ればいいのか分からなくなってきた。それがここ最近の悩みである、困った事なのである。


「センパイ、どうしたんですか? コピー、終わってますよ」

「ふゃ? あ、ああ、ありがとう。ちょっとぼーっとしてた」


 私はコピー機から紙束を取ってまとめた。竹内ちゃんに相談する訳にもいかない。なんせ、同棲してるってばれたら、竹内ちゃんのダメ男センサーに引っかかるからなあ。それはつまり、私がダメ男キャッチャーだと思われるということで、私の評価が下がるという事だ。先輩の威信にかけて私は良い先輩でいなければならないのだ。


 三鍋は相変わらずうまい弁当を持たせてくれるし、家に帰れば暖かいご飯が待っている。たまに私が会社の人達と飲みに行くような時は、軽い夜食を作っておいてくれたりもする。先に寝ている時もあれば、起きて待っていてくれる時もある。

 生活費を出してくれている以上、別に三鍋はヒモではない。そして私もダメ男キャッチャーではない。そうとも。きっとそうだ。しかしそれを竹内ちゃんに打ち明ける勇気はない。


「センパイ、今日のお昼は外に出ませんか?」

「今日もお弁当なのよ。どうしたの?」

「いえ、あの、ちょっとご相談が……」


 そう言って目を逸らす竹内ちゃんの頬が少し赤い。ははあん。例の伊賀とやらのコトか。確か、社長には内緒だと言っていたからなあ。美和子さんにも知られる訳にはいかないということなのだろう。


「分かった。じゃ、ランチしに行きましょうか」

「あ、いえ、公園で食べませんか。あたしもお弁当なんです」

「たまにはいいわね。じゃ、そうしましょう」


 外でお弁当を食べるというのも珍しいものだ。それに、梅雨のせいでここの所は雨が多かった。今日は久しぶりに晴れているのできっと気持ちが良いだろう。

 コピー機から取った紙束をとん、と揃えて私と竹内ちゃんはそれぞれ仕事に戻った。外に出る用事をいくつかまとめて、美和子さんに仕事ついでに今日は外で竹内ちゃんと食べてくると伝えておいた。




   ○   ○   ○




 銀行や郵便局など、いくつかの事務を竹内ちゃんと共にこなし、私たちは会社の近くの公園のベンチに腰を降ろした。雲は多くなく、梅雨明けが近いこともあってか風が気持ちよかった。

 今日の竹内ちゃんのお弁当はニンジンのきんぴらが入っている。家庭的で素晴らしい。おかずを交換しながら仕事の進展やら何やらを話したり、最近の社員連中の働きについて論じたりする。


「大和田さんって、イイ人ですよね」

「最近、仲いいもんね、大和田君と」


 竹内ちゃんと大和田君は趣味が同じであることが、竹内ちゃんの歓迎会で発覚した。今では仕事終わりにオンラインで一緒にゲームをする仲らしい。


「同士に出会えることなんて、めったになかったんですよう。でも、お付き合いしてるワケじゃないですよ」


 私は微笑ながら「伊賀さんがいるものねえ」と言う。どこの誰とも知れぬ相手に竹内ちゃんを渡すつもりはさらさらないが、彼女の味方であることはアピールしておく。竹内ちゃんに忍び寄る魔の手は大和田君だけではない。大和田君なら物理的に邪魔できる位置にいるが、件の伊賀とやらは、私は容姿すら知らないのだ。


「竹内ちゃん、噂の伊賀さんとは最近どうなの?」

「その、あんまり話題がなくて……。あんまりこちらからばかり連絡するのも悪いなあ、と」


 今日の相談事の肝であろう部分に私は踏み込むことにした。


「向こうからはこないの? 連絡」

「ないんですよう」


 竹内ちゃんはそういってしゅんと肩を落とした。なるほど、伊賀とやらは社長の姪であることに遠慮してなのか、積極的な行動には移っていないようだ。良き哉、良き哉。


「センパイ。お、大人の男の人ってどういう話題を好むんでしょう」


 ううむ。これは答えてあげるべきなのか。いや、答えたくない気持ちの方がもちろん強いのだが、答えられないというのが正しい。何せ、私の交際最終履歴は三鍋だ。これは不名誉極まりないことである。答えあぐねていると、視界の先でひらひらと手を振る人影が見えた。

 公園の入り口の辺りに琴科さんが立っている。私は座ったまま軽く礼をして、その仕草を見た竹内ちゃんがつられて公園の入り口を見る。そして私と同じように頭を下げた。

 柔和な笑みを崩さずに、琴科さんはゆったりとした足取りでベンチの近くまで歩いてきた。なんだよう。私と竹内ちゃんの至福のひと時を邪魔するつもりですか。


「やあ、外で食べているのも珍しいね」

「久しぶりに晴れましたので。気持ちの良い昼食でしたよ」

「それは何より。間もなく梅雨も明けるね。そうすれば忙しくなる。心の余裕は大切だね」


 律儀におかえりなさいと言う竹内ちゃんはやはりいい子だ。それに引き換え、乙女の会話に入ってくるのはどうなのですか琴科さん。私が乙女でないことは重々承知しておりますが、ここはあれです。言い回し的なあれとしてご配慮いただければ。


「琴科さんはもう食べられたのですか」

「ああ、近くの蕎麦屋で済ませてきた」


 ならばもう用はないのではないですか。いや、しかし男性の意見を聞く貴重なサンプルなのかも知れない。竹内ちゃんもどうやらそう思ったようだ。

 伊賀の名前は出さないように、気になっている人がいることと、もう少し親密になりたいこと、そしてデートに誘ってみようかと悩んでいることを話した。琴科さんは隣のベンチに座り、ふうむ、と空を見上げた。


「これは聞いた話なのだけれどね」


 あ、出た。琴科さんの語りが始まるぞ。何だ、今回は何を言うつもりだ。


「世の中には、二種類の男がいるという。買い物に付き合える男と、そうでない男なのだそうだ。前者はあまり存在しないらしいけれどね」


 そう言って、琴科さんは「僕もあまり得意ではないんだ」と続けた。確かに女性の買い物に同行すると男性は気疲れするとはよく聞く話だ。竹内ちゃんも、うんうんと頷いている。


「男の人はお買い物が嫌いって良く聞きますね」

「そう、男性の思考は、目的を達成するようにできているのだよ。竹内嬢。もし男性をデートに誘うなら、目的を設定させるのさ」


 目的を、設定? つまり、何かを達成するために何をする、というものを事前に決めれば良いということだろうか。


「山登りがしてたみいからキャンプへ行こう。新作の服が欲しいからショッピングにへ行こう、と言った具合さ」


「でも、達成できなかったりすることもありますよ。目移りしちゃって、他に欲しいものができたりとか……」

「そこを容認できるかどうかが、男の器というものだろうね。しかし、男性にとって達成できるかどうかは問題ではない。遂行したかどうかに重きをおく男性が多いのだと覚えておくといい」


 そんなものだろうか。つまり、限定の品物を買いに行って、『店に行ったが買えなかった』は良いが、『途中で目移りして買わなかった』は駄目だということだろうか。


「融通が利きませんね、男性諸君は」


 私はやれやれと首を振って言った。女性は、少なくとも私は、そういった変化も含めて楽しいと思える。目的のためだけに品物を買うのならば、わざわざ店頭にまでいく必要がないではないか。最近ではネット通販も充実しているのだから。


「あのう、琴科さん」


 少し遠慮がちに竹内ちゃんが言う。


「ん、何だい」

「私とデートしていただけませんか」

「いいとも」


 おい、ちょっと待て二人とも。今の会話の流れでどうしてそうなる。琴科さんもちょっとくらいは驚くとか迷うとかしてもいいんじゃないですかね。今、ノータイムで承諾したぞコイツ。


「た、竹内ちゃん。いきなりどうしたの?」


「慌てずとも良いよ、白井君。僕はデートの練習台だ。そうだろう?」

「気を悪くしてしまったらすみません。でも、琴科さんって、何だかその、似てるんです。あたしが気になってる人に」

「それは光栄。僕はいつでも大丈夫だから、日取りはお任せするよ」


 そして手をひらひらと振って、琴科さんは去っていった。私は遠慮がちに竹内ちゃんに言った。


「伊賀さんって、あれに似てるの?」

「外見は違いますけど、なんて言うんだろう、雰囲気が」

「……あの天狗に似てるのかあ」


 なら、伊賀とやらはそれなりに変人だということになる。琴科さんは自称・天狗の末裔だ。それを恥ずかしげも無く公言するあたり、少し普通ではないのだから。


「天狗って、琴科さんのことですか?」

「そう。詳しくはデートの時にでも聞いてみるといいわ。天狗の末裔なんだって。琴科さんって」

「面白い人なんですねえ」


 面白いで片付けるつもりか。竹内ちゃんもなかなか器が大きいじゃないか。くすりと笑う竹内ちゃんを尻目に、私は青空を見上げた。彼女がうちの会社の色に染まってきていることが嬉しいような悲しいような。できれば純粋なままの彼女でいてほしかった。

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