第3話-2 追憶の夢を見た日のこと
――さあて、理不尽のお出ましですよ。
私は一つ息を吐いてから大和田君が現状抱えている仕事を思い出した。大手から依頼されていた、顧客データのライブラリ化が一つ。そして企画会社から請けているティザー広告。これは確か紙媒体でクリエイティブの段階から茶屋町さんと大和田君がチームを組んでやっていたはずだ。
パソコンを立ち上げ、現在の進展状況を確認する。
「……事前のシート通りに進んで、遅れの報告もナシ」
どちらの仕事も、管理しているデータ上では順調に進んでいる。これを一から確認しなおして、報告に齟齬がないか、辻褄が合わない箇所はないかをすべて確認していく。
納期の変更、なし。印刷所との連携も不備はなし。と、いうかライブラリ化の方はパッケージまで終わってるから、トラブルがあったとすれば広告の方ね。
うちの会社では、何かトラブルがあった場合には『火が着いた』というような表現をする。それが火事だとまで言われてはかなりの大事だ。
そんな大事にも関わらず、データ上では何の異変もない。
「茶屋町さん!」
「分かったか!」
「はい、進行表の上では異常なしです」
「ってこたぁ、突発的なモンか」
仕事の進展具合や内容は、それぞれの社員から報告を受けて私がデータとして管理している。報告する方は少々手間だろうが、この方法のいい所は、困ったらとりあえず私の所へ来ればいいと指針ができることだ。
そうして状況を一から判断し、対応を考えるのだ。
「それで茶屋町さん。
「印刷所が使えねえんだと。しかも相手さんが言うにゃあ、うちには断りを入れたんだそうだ」
「伝達漏れでしょうか。では、別の印刷所を探しましょう」
よくあることだ。紙媒体での広告は数が減ってきたとはいえ広告の主力の一つであり、その流通には多くの人が携わる。どこかで一つ工程が狂えば、計画はあれよあれよとずれ込むのだ。
「それが簡単に出来るなら
なるほど、印刷会社もそれぞれ扱えるものが違うのは当然だ。たかが紙、されど紙。見た目の色味も違えば手触りも違うので紙媒体の広告では重要なファクターである。
日報を読み直しながら、私は今回使う紙の種類を見た。
「えーと……今回使うのはこれですね。ウッドホワイト220kgなんて、またえらく分厚い紙ですね」
「紙っつーか、まんま木の材質の新素材っつーか……サンプル持ってくるわ、待ってろ」
茶屋町さんが小走りに自分のデスクに行き企画会社との打ち合わせで使っていたであろう紙のサンプルを見せてくれた。
木目が綺麗な紙だ。いや、手触りも匂いも木そのものに思える。
「どっかの製紙会社の新製品なんだと。本物みたいだろ。で、今大和田にその製紙会社に問い合わせをさせてる。扱える印刷所を聞いて、そこに直接頼み込む」
茶屋町さんは頭をがしがしと搔いた。納期がずれるのは出来る限り避けたい上に、会社の利益分なども考えるとそう遠い場所にある印刷所に依頼を出す訳にもいかない。
「なるほど。社長にはもう?」
「ああ、下手すりゃ損益だからな。かといって今更降りられん。損して得取れ、だとよ」
「社長らしいですね。《直角の茶屋町》の出番ですか」
「どうかな。《折りたたみ茶屋町》が炸裂するかも知れん。ってか、この呼び名はいい加減どうにかならんか」
「面白いので継続使用を希望します。文句なら命名者である琴科さんにどうぞ」
二言三言、軽口を交わした。
確かにトラブルではあったが、取るべき対応がしっかり分かっていれば心に余裕も生まれるものだ。もちろん、予断を許す状況ではない。代わりの印刷所はまだ見つかっていないのだから。しかし、現状では打てる手がないことが分かった。
ならば下手に気を張るよりも自然体でいる方が良いものだ。
「とりあえず、大和田の連絡待ちだな。手をかけたな、白井」
「お仕事ですから」
しかし気になるのは、駄目になった方の印刷所だ。うちに断りを入れたらしいが、私はそんな連絡を受けた覚えはない。
席を立って先ほど置き去りにした弁当を片付けようと振り向くと、竹内ちゃんが泣きそうな顔をしていた。
「どどど、どうしたの竹内ちゃん! あ、違うのよ? 火事っていうのは言葉のアヤで実際に燃えてる訳じゃ……」
「あの、ちが――」
「どうしたあ? 竹内」
「ちょ、予告なしに半径1m圏内に入らないでください。茶屋町さんは顔が怖いんですから。竹内ちゃんが怯えています」
「私が、あの、私のせいなんですッ」
竹内ちゃんは私たちに向かって深く頭を下げた。
おお、これは《直角の茶屋町》にも引けをとらない見事なお辞儀っぷりだ。ちなみに《折りたたみ茶屋町》とは、土下座をした茶屋町さんのことである。
ん? 今なんて言ったかしら。竹内ちゃんのせい? 何が?
「あ? どういうこった」
「ひぅ……」
「だから顔が怖いんですってば」
「あの、印刷所からの連絡、前に私が受けて……」
聞けば、連絡を受けたのはちょうど私が徹夜明けの後藤さんと共に突発的に外回りに行った日だった。私が定時までに帰ってこなかったのでメモを机の上に置いて帰ったらしい。
大方、メモが飛んだか何かの資料に紛れたかしてしまったのだろう。
「わ、私が印刷所を探します! 私のせいでご迷惑を」
竹内ちゃんの言葉を遮るように茶屋町さんが拳骨を作ってコツンと彼女を小突いた。ずるい。今から私がその役目を果たそうとしたのに。
「竹内。お前に仕事の心得ってもんを教えてやる。良く聞け。一つ、ミスしたんならまずはごめんなさい、だ」
「はい、本当にすみません! 私がちゃんと白井先輩に伝えていれば……」
そこで再び茶屋町さんの拳骨が竹内ちゃんに落ちた。先ほどのものよりも若干威力が強い。あんまりやると社長にいいつけますよ。そもそも、
「そして一つ。たらればの話は時間の無駄だ。今自分に何ができるか、どうすればいいかを考えろ」
「……はい」
みるからに竹内ちゃんが落ち込んでいる。言い方は多少乱暴だが、言っていることは間違っていない。
「ただまあ、一ヶ月やそこらで何が出来るかなんて分からんだろう。印刷所を探すのも、大和田の連絡を待ってからの方が合理的だ」
「でも、じゃあどうすれば……」
茶屋町さんがふう、と溜息をついた。みたび、茶屋町さんの拳骨が竹内ちゃんに届く前に、私は手の平でそれを制した。これ以上竹内ちゃんをいじめることは私が許しませんよ。そしておいしい所は私がもらっていきます。悪しからず。
「竹内ちゃんは自分の非を認めて謝った。それはとても大切なことよ」
「おう、下手に誤魔化そうとしなかったのは良かったぞ、竹内」
「でもね、今、あなたが出来ることはないの」
「んだよ、白井の方がキツイじゃねえか」
竹内ちゃんの目に涙が溜まっている。自分の失敗を自分の力で挽回できないのが悔しいのだろう。大丈夫だ。その気持ちが何よりも次に繋がるのだから。
「それに、誰のせいだと言うなら、引継ぎを疎かにした私のせいよ」
「違っ、そんなっ! そんなことはありません!」
弾かれたように顔を上げて言う彼女をしっかりと見て、私はゆっくりと首を横に振る。
「引継ぎができなかったのは、あの日、後藤さんと急な外回りに行ったから。じゃあ後藤さんが悪いのかしら?」
ぶんぶんと竹内ちゃんが首を横に振る。
「徹夜になるような突発的な仕事をとってきた琴科のヤロウのせいでもある訳だな」
「そもそも、こまめに印刷所に伺いを立てなかった大和田君のせいかもね」
「ははぁ。ってこたぁ、チームの監督不行届きで俺のせいだなあ」
意図を汲んで茶屋町さんが後を続けてくれる。ぽかんとした顔をして、彼女は私と茶屋町さんを見た。
「誰かだけのせいなんてのはね。ありえないのよ」
社会人としてしっかり反省したなら、ミスは他の人がカバーする。小さな会社なのだから、私たちはチームだ。そして私は竹内ちゃんもチームの一員だと思っている。
小さく、竹内ちゃんが頷いた。
「だから、あとは先輩に任せなさい。それも立派な後輩の仕事よ」
「はい、すみませんでした」
小さく鼻を啜る竹内ちゃんの肩に手を置いて、私は穏やかな顔でこちらを見ている美和子さんを見た。ありがとうと言ってくれているような気がして、なんだか面映かった。
○ ○ ○
大和田君から連絡があり、二つほど県を挟んだ所に代わりの印刷所は見つかったらしい。輸送にかかる費用などを考えるとうちとしては赤字だろう。
納期だけは最優先でおさえたいこともあって、茶屋町さんは企画会社に出向いて対策を立てると言った。相手先と連絡をとり、「じゃ、ちょっと行ってくるからよ」と急いでオフィスを出ようとした所で竹内ちゃんが茶屋町さんに何か言いたそうにしているのが目に入った。
「茶屋町さん。しばしお待ちを」
「あん、どうした。土産は買ってきてやらんぞ」
「いりませんよそんなもん。それより――」
私は視線を竹内ちゃんの方に向けた。つられるように茶屋町さんもそちらを向き、竹内ちゃんは一度口を固く結んでから、思い切ったように言った。
「わ、わたしも連れて行ってください。何も出来ないのは分かっています。それでも……」
「竹内。お前、さっきの白井の話を聞いてたか」
相手を信頼して、任せるべきところは任せろ。そういう話だったよな、と茶屋町さんが念を押すように竹内ちゃんを見る。それでも彼女は退かなかった。
「はい、責任を取れるなんてもう思ってません。茶屋町さんを見て勉強したいんです。お願いします」
上の立場の人間がどう責任をとるのか。それを直に感じたいのだという。少しの間、茶屋町さんは表情一つ変えずに竹内ちゃんを見た。そしてくるりと振り返って「行くぞ、早くしろ」と言い捨てて歩き出した。竹内ちゃんの顔が明るくなり、小気味良い返事を返して彼に続いた。
茶屋町さん、声が嬉しそうでしたよ。私にはお見通しです。物事の道理を分かっている人間は好きだと常日頃から言ってますもんね。しっかりと茶屋町流の責任の取り方を見せてあげて下さいね。
二人が出て行ったオフィスでは私と美和子さんだけが残っている。私は思いついたように美和子さんに言った。
「茶屋町さんの拳骨の件、社長に報告しても?」
「そうねえ、可愛い姪っ子が二発も小突かれたんですもの」
和やかに笑う美和子さんを見て、私は親指をぐっと立てておいた。
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