第1話-3 再会した元彼が居候を申し出た日のこと

 エレベーターで部屋に向かいながら、私はなんとなく考えていた。おそらく、たぶん、きっと、三鍋は何の苦もなくありあわせの材料でなんとかしてしまうだろうなあ、と。

 それが、私のかつての記憶が引き起こした三鍋へのイメージなのか、ただの勘なのかは分からないが、ともかくこの日、わたしは理不尽かつ不可解なこの男と再会してしまったのだ。


「ところでカタコ、食材は何が残っている?」

「……え、と。さぁ?」


 冷蔵庫の食材なんて、覚えていない。いや、冷凍食品やパックのご飯は適当にあったと思うけれど。一人暮らしの食事事情なんて、外で食べたり出来合いを買ってきたりした方が安いし美味いものだ。

 その期待を越えてくれるものを作ってくれるのだろう、と勝手に期待しておく。どうだ、ハードルを上げてやったぞ。嬉しかろう。


「もう夜も遅いので、胃に優しいものがよかろうな」

「その辺も含めてお任せするわ」

「お任せ、ほど料理人にとって困るオーダーもない」

「じゃあやめとく?」

「まさか」


 三鍋は不敵に笑った。よほど自信があるのだろう。

 部屋に入るなりキッチンに向かい、食材、調理器具をあれこれ確認する。そして一言「これは酷いな」と言った。


 待て待て待て。レディの食材事情に対して開口一番酷いとはなんだ酷いとは。別に賞味期限を切らした調味料や食材はないはずだ。


「何よ。腐ってるものなんかないでしょう?」

「そもそも食材が少なすぎるのだ。味噌も醤油もないではないか」


 そりゃあ、使わないものは買わないに決まってる。いいか、よく聞け三鍋。私は社会人で、毎日毎日、仕事と向き合って生きているのだ。時間を捧げ、その対価としてお給料をもらうのが仕事だ。時間というものは有限なのだから、料理や片付けに取られる手間は惜しいに決まっている。美味しいものを食べたいなら、外で食べればいい。そのためのお金でもある。


 お金は、ものが買えるのだ。これは世の中の真理だ。当たり前すぎてあまり重要視されていないが、それなりに重要な真理。


 だから、基本的には冷凍食品や長期保存の効くものが冷蔵庫を占拠している。あと、お風呂上り用のビールね。


 三鍋は人差し指でこめかみの辺りをとんとんと叩く。

 これはあいつのクセで、何か考え事をしている時や悩んでいる時はよくああしていた。


 ちょっとだけそうやっている三鍋を眺めていたが、飽きてきた。


「うむ。15分で作ってやる」

「じゃ着替えて待ってる」


 そういえば、部屋に入れるのに全然抵抗なかったな。まあ、元カレという名の顔見知りだからな。それに何より、危険な空気とか感じないし。


 着替えを終えて、頬杖ついてダイニングテーブルから三鍋を眺める。


「懐かしい光景ね」

「……そうだな。昔は、よくこうして飯を作った。どうした、そちらこそ感傷に浸りたくなったか?」

「冗談。あんたは突如いなくなった元カレよ。私の家の敷居を跨げただけ感謝しなさい感謝を」

「それほど高い敷居でもなかったがな」

「あはは。バカねえ。一言謝ってもいいんじゃないかって言ってんのよ」

「いいや謝らんぞ。俺はしっかりと旅に出ると言って日本を発ったのだからな」


 はて。一切記憶にない。

 勝手にいなくなったものだとばかり思っていた。まあ、いいか。仕事に追いやられて記憶から消える程度のものだったならば、そこまで気にすることでもないだろう。

 大事なのは、今、おいしいものが食べられるかどうかだ。


 三鍋は大きなリュックの中から小瓶を取り出しながら調理をしている。何かの調味料だろうか。食事に対してはどこまでも真摯であることは知っているので、変なものを入れるとは思わないけれど、何を使ったかくらいは後で説明してもらおう。


 そして出てきたものは、パックのご飯を使った雑炊のようなものだった。

 まあ、そんなフレンチフルコースにあるような洒落たものを期待していたわけではないけれど、もうちょっとこう、どうにかならなかったの?

 そんな視線を三鍋に向けるが、何食わぬ顔で食えとばかりにスプーンを渡された。


「ロクな器もなかったので見た目は貧相だが、味は良いぞ」

「ふうん。そんじゃまあ。いただきます」


 雑炊だ。

 どう味わっても雑炊だ。

 けれど、寄せ鍋の最後の締めに作る、野菜やら肉やらの旨味がぎゅっと詰まったあの味わいだ。


 うちにそんな食材はなかったはずだ。レンチンパックの米と調味料だけでこの味が出せるわけがない。


「何入れたの?」

「冷凍食品をいくつか。あとは、旅先で譲ってもらった秘蔵のタレを少々」

「むう。適当に鍋にぶちこんだだけのお手軽料理か」


 それでも、美味いと思えてしまったのだ。「くそぅ」と伏し目がちに呟いたのを、あいつは聞き逃さなかった。私の頭をぽん、と叩いて「合格とみて良いな」とにやりと笑った。


「……認めるわ。鍋師とやらの実在は信じていないけれど」

「これが鍋師の実力の一端だ。これから期待しておけ」


 見たことがないものを信じろと言われても、はいそうですかとはいかない。逆に、見たもの、感じたものは信じると決めている。三鍋の作ったよく分からない雑炊は、確かに美味かった。


「とりあえず、おかわりもらえる?」

「あいわかった」


 合理的に考えれば、生活費を出してくれる家政婦を雇ったようなものだ。おいしいご飯が出てきて、生活費も負担してくれると言うのならば、それがたまたま元カレであることくらい、些事である。


 使っていなかった部屋を三鍋用にすると決めた。

 明日は食材やら食器やらの買い出しに行くと言う。まあ、何もないもんね。自炊道具なんか。


「そういえば、布団なんかないわよ」

「寝袋で事足りる。数日内に適当に揃えるが構わんか?」

「家の中で寝袋生活の三鍋ってのも見てみたいけど、別にいいわよ」


 鍋師の試練とやらが終わる時には処分でもすれば良いだろうし。


 風呂に入って戻ってくると、三鍋はすでに物置となっていた部屋に入っていた。ダイニングのテーブルの上にメモがあり、「長旅でいささか疲れた。寝る」と書かれていた。風呂入ってから寝ればいいのに。

 きっちりと後片付けまでされたキッチンを見て、まあこれも悪くないなと思っている自分がいる事に気づき、私は冷蔵庫から取り出したビールを一気に飲み干して、本日二度目の「くそぅ」を言い放った。


 こうして、私と自称・鍋師の妙な生活が始まったのだ。

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