探偵たちの討論会
「いやあ、罵詈雑言というのは堪えるねえ」
「こちらへ来た途端に表情を崩すな」
ドアを閉めるや否や、疲れた表情で来客用の椅子にもたれ掛かるサワラビ。ソイツを見た俺は、あまりの気の抜けっぷりに思わず茶々を入れてしまった。
「いやあ、無理だよ。キミの精神保全とサーニャ嬢のプライバシーのために詳細は省くけど、のっけから乙女が発しちゃいけない単語が飛び出したからね? ありゃあ随分と溜まってたよ」
しかし彼女はなんのその。ぐったりとしたまま顛末を語った。俺は書類に表情を隠しながら、事情を聞き取る。なるほど。たしかに俺は、随分と酷いことをしでかしたらしい。だがなあ。
「俺に
「うわ、それを言っちゃうの?」
「言わざるを得ないだろうよ。言葉にされなきゃ、わからんものはわからん」
「なんてことだ。不合格だよ不合格。この探偵失格。唐変木。ノットタフ」
「ぐぬぬ」
どうやら俺は地雷を踏んだらしい。サワラビから飛び出して来た罵声の山に、俺は唸ることしかできやしない。しかも地味に痛いところを突いて来ている。砕けて言えば、『こうかはばつぐんだ!』というやつだ。痛い。痛過ぎる。やはり腐れ縁の共犯者なだけはある。指摘の一つ一つが、的確だった。
「……と、まあ。探偵失格だろうがなんだろうが、選んだ以上はこき使うんだけどね。だから話を戻そう。ボクには、彼女の決断がかすかながらに予想できる。聞く気はあるかい?」
「ない。探偵は推理をするのが真骨頂だ」
「あとは聞き込みと足。そしてツテ……かい?」
「そういうこった」
当意即妙……だったか。そんな東の言葉が似合うような返事に、俺は思わず顔を上げかけた。危ない。いずれにせよ、俺にだって嬢の選択は想像がついている。ただし、大人ってのは面倒だ。あくまでソイツを、ボディーブローを喰らったかのように受けなきゃならない。それが、この状況を呼び込んだ……
「……だったら、ボクは独り言を吐こう。キミは、彼女の選択を読み切っている」
サワラビが、唐突につぶやく。俺は顔を見せない。だって、独り言だからな。
「読み切った上で、思い切り殴られたかの如く振る舞おうとしている。今の状況を作り上げた、その罪をすすぐためにだ」
俺は無言を貫いた。この独り言は、受け流さねばならない。長い付き合いで知り尽くされていようとも、ここ一番だけは貫かせてもらう。そいつが、俺の意地だ。
「ボクは反対だね。キミは大人で、暫定ながら彼女の父親でもある。彼女を護らなければならない」
「……」
新聞に隠した顔が、にわかに歪む。わかっている。あの娘は依頼人でもある。依頼人に危険を冒させる。探偵として、あっちゃあならないことだ。師匠に知られたら、探偵の資格を剥奪されるかもしれん。だが……だが。
「ハッキリ言って、今は手詰まりだ。ヘタに動き回るくらいなら、一度沈んだ方が良い。ここは忍耐の一手。それが最善だ」
「……」
俺はなんとか、最後まで無言を貫いた。サワラビの独り言を、独り言のままに終わらせられた。ではどうするか? 俺も独り言を返す。それだけだ。とはいえ、ソイツが一番難しいんだがな。
「言いたいことを言い切ったなら、俺も独り言を言わせてもらうぜ」
「いいよ」
サワラビの返事を受けて、俺は敢えて背中を見せた。当たり前だ。サワラビは表情から俺の感情を見抜いてくる。独り言には、適さない。
「まず一つ。俺は全部わかってるつもりだ。わかっちゃいないかもしれねえが、わかろうとは試みている。アイツの決断を受け入れることのヤバさも、そのことが探偵として失格に近い行為であることも、だ」
「うんうん」
俺が絞り出していく言葉を、彼女は事もなげに受け止めている……ようには感じる。だが先刻、彼女は疲れた素振りを見せた。つまるところ、決してダメージを受けていないわけではない。と、すれば。俺にできることは。
「続けて二つ。俺が、自分の罪をすすごうとしているという指摘だ。ああ、事実だ。紛れもなく、事実だろうよ。俺が、自分のために動いていて。そのために探偵の禁忌を犯そうとしている。間違っちゃいねえ」
俺は、諦観混じりに言葉を吐き出す。さもありなん。今に至る状況は、すべて俺が作り上げてしまったものだ。俺がどこかで判断を変えていれば、こんな現況は起き得なかった。選択を誤った、俺の責任なのだ。だから。
「多分、多分だ。本来はお前の言うことに従うべきなんだろう。一回どこかに潜り、街の外へ出て。雌伏の時を過ごすべきなんだろう。だがな。それをやると、泣く奴が出る。俺はそいつが、許せない。そうなるようにしてしまった、自分も含めてだ」
「……」
サワラビからの、反応は窺えない。そりゃそうだ。俺は未だに、背を向けている。これでも心ん中じゃ、腸が煮えくり返っているんだ。自分にも、
「だから、お前の独り言は飲み込めない。サーニャ嬢がするであろう決意を、俺は汲む」
「……」
無言の間が、訪れる。俺は、密かに心臓を波打たせていた。コーヒーでも持っていたら、水面がカタカタ震えていたことだろう。まったく情けない。どこが探偵なんだ。俺は探偵失格だ。でも、それでも。
「……平行線、だねえ」
しばらく経ってから、サワラビの声が聞こえた。それは、絞り出すような声だった。だが、その心情を読み取ることはできない。俺は、読心術者じゃないからだ。そんな能力があったら、もっと楽にやってこれた。今までも、これからも。
「聞いたことはあるかい? 『他人は、変えられない』」
「……ああ、変えられないな」
サワラビの問いに、俺は応じた。独り言では、ないからだ。そう。師にも口酸っぱく言われた。『依頼人がどんなに頑なであろうとも、俺たちにそれを変えることはできない』と。
「
「……つまり?」
「ボクは説得を放棄する。ここでボクたちが争うのは得策じゃない。代わりに、交換条件を提示する」
俺は、思わず振り向いてしまいそうになった。ここで説得を放棄し、交換条件を出す。その意味は。
「そうだよ。キミなら察しが付くだろう。ポイント・オブ・ノーリターン。捜査の限界点。戻れない場所。今ある位置は、そのギリギリだよ。だから」
サワラビが、一呼吸置く。ああ、わかる。わかってしまう。これからやってくるのは、間違いなく俺の沽券にもかかわる話だ。
「彼女に少しでも危険が訪れたら。たとえそれがどんなに好機でも、事務所を畳んで地下に潜ってもらう。それがボクに出せる、最低条件だ」
「……」
俺は考えた。この言葉は、おそらくサワラビの最大譲歩だろう。これを断った先には、もはや無益な論争しか残されていない。だったら、俺にできることは。
「わかった。飲もう。サーニャ嬢に危地が訪れたならば、なにがあっても俺は事務所を畳む。約束だ」
俺は振り向き、サワラビを直視しようとした。しかし彼女は、目を背けた。一体、どんな顔をしていたのか? 疑問はあった。だが、俺は敢えて、頭の中から突き放した。
閑話・完
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