躍動する探偵

 夜。十時も過ぎた六番街からは、人間一人の気配さえもかき消えていた。市場の大通りに立つのは、俺とサワラビのただ二人のみ。俺はもちろんいつもの一張羅、サワラビもいつもの白衣にクマの濃ゆい顔をしていた。


「人払いか」


「だろうね」


「ありがたい。……ところで」


「ん?」


 適当なところで俺が話題を本題に移すと、サワラビは怪訝な顔を俺に向けた。その手には、撮影用のビデオカメラ――無論彼女の謹製品だ――がおさまっている。


「ジョナサン・D・モールトじゃなくてもいいのか?」


 そんな彼女に、俺は問う。その辺の準備もあるかと思って早めに飯をとったというのに、結局は説得に時間を費やしただけだった。ちなみに家政婦もどきは、今も事務所で大いに不貞腐れている。本当に、厄介な話だ。


「あー。映像の件ね。色々と考えたら、キミの存在を映す方が危ないという結論になった。だからお犬様を映して、『こんな危ないものだと、どうして言わなかった!』という方向にしようかと」


 サワラビの言い分に、俺はふむと考え込んだ。なるほど。たしかにジョナサンがジョーンズだとわかるのはマズい。そしてジョナサンが装甲探偵だと知れても良くない。つまるところ。


「俺はいない方が良かったと」


「有り体に言えばね。前回の時に、もう少し機転が利けば良かったんだが」


「仕方ねえ。あまりにも事態が緊急すぎた。昔にいた動画配信者だって、そこまで回らねえよ」


 冗談交じりに言葉を返した時。ヒュウ、と風が吹いた。俺は鼻を蠢かせる。どこからか、獣臭さが漂ってきた。さては頃合いか。俺は、どこか軽口のように言葉を回した。


「久方ぶりだから耐えられるか不安だが……『二回』で良かったな?」


「ああ、『二回』だ。大丈夫。キミなら耐えられるさ」


 サワラビはいとも軽く言ってのける。たしかに、この後ブルって苦しむのは俺だけなんだが。他人事だとちと困る。メンテナンス的な意味合いで。


「ああ、そうだ」


「む?」


 思い出したかのように、サワラビが一言つぶやいた。俺は思わず、気を取られる。この共犯者は時折、なにを考えているのかわからなくなるところがあった。


「例のワンちゃんとは、とりあえず接近戦でやってほしい。キックとか浴びせると依頼が台無しになるのもあるけど、一応、ボクには打ち手があるのでね」


「……わかった」


 前回の戦を思い出すと遠距離戦の方がどうにかなりそうだが、事実として俺ができることもそこまで多くはない。懐へ飛び込まなければいけないのがちと苦しいぐらいか。そう考えた時、にわかに獣臭さが増して……


「来た」


 サワラビが、声を上げた。俺も視線を合わせる。一般的な成犬の十倍はあろうかという巨大な犬が、悠然とこちらに向かって進んでいた。喉奥が鳴り、身体がわずかに震えた。


「……」


「震えてるのかい?」


「武者震いだ」


 俺はとっさにごまかした。すでにカメラに目を向けてるのに、よくもまあわかるものだ。鈴を付けていたかと、思わず目で身体を探ったほどだった。


「わかるさ。共犯者だからね」


「言ってろ」


 彼我の距離が、おおよそ二百メートルを切った。しかしサワラビは引かない。カメラで、大犬を捉え続けている。


「そろそろ」


「眉間の星を捉えていない」


「なら下がれ」


「キミは映せない」


「チッ!」


 俺は舌を打つと、右に向けて走り出した。無論、視線は犬に向けたままだ。横走りに駆けつつ、右の奥歯を、瞬間的に噛み締める。いつもの閃光が走り……いや、ちとまばゆいか。ともかく俺の身体は、装甲・第二段階をまとっていく。


「上手く行ってるね」


 横合いから声。だが、俺は無視する。やはりと言ってはなんだが、キマイラ・ビーストの力を引き出した分だけ、気分が高揚する。脳裏に駆け巡る思考も、いつもより随分と荒々しいものになっていた。


「どけっ!」


 こみ上げる衝動を声に変え、俺は犬に向かって駆け出した。奴にパンチやキックを仕掛けるのは自他ともに危険極まりないが、今の俺には一つだけ手段があった。不意討ち程度にしかならないだろうが、やる意味はある。


「ハッ!」


 瞬く間に五十メートルを切ったところで、俺は大地を踏み切る。アスファルトにヒビが入るが、今の俺にはその響きさえも届かない。走り幅跳びの要領で跳ね上がり、奴に背中を向けるように回転する。狙いは、キックではない。


「おらよっ!」


 ビシィッ!


「キャインッ!?」


 俺の尻から伸びるムチ――鋼鉄の蛇の尾が、奴の頬をぶっ叩いた。俺はなにも、今まで第二段階を使ったことがないわけではない。ただ、気が荒くなる上に後が面倒だから使ってこなかっただけだ。つまるところ、俺は自分の武装を心得ていた。


「ハァッ!」


 尾をぶつけた後の回転を利用して、俺は右の旋回蹴りをぶちかます。一回転で着地なんてもったいない。トリプルは無理でも、ダブルアクセルぐらいは決めてやる。


「ギャンッ!」


 犬の悲鳴がこだまし、奴がたたらを踏む。俺は着地し、勢いに乗って間合いを詰める。しかし。


「ガアアアッッッ!!!」


「ぬおっ!?」


 奴からの、想定外の反撃。それは音だった。強烈な咆哮が耳を叩き、俺をひるませる。随分と強烈な音波なのか、建物さえも揺れているように見えた。いや、よく見れば建物たちのガラスが割れている。


「ジョン、下がれ! 危険だ!」


「いんや!」


 いつの間に距離を取っていたのか、遠くからサワラビの声。しかし俺は、あえて踏ん張る方を選んだ。耳を晒し、低く突っ込む。奴の雄叫びを止めるには。


「シャッ!」


 右、左。ステップを踏み、的を絞らせないように調整する。事実として、奴の前足は俺が数秒前にいた場所を通過していった。風圧がきついが、それも強引に耐える。すると奴は、牙をもって俺を狙って来た。顔が近付く。ドアップになる。


「ガアアア!」


「そこよぉっ!」


 俺は、奴の口に向かって拳を伸ばした。少々手荒になるが、牙を叩き折るぐらいなら必要経費になるだろう。治療費を請求されたら? その時はその時だ。今はこの犬を、なんとしてでも倒さねば。


「ぎゃいんっ!」


 狙いは正確。俺の鉄拳は、奴の犬歯、その一本を無事に叩き折った。必殺のあぎとを空振った大犬は、痛みを自覚したのかその場でのたうち回った。


「ぎゃいんぎゃいん!」


 うるさく喚く大犬は、その暴れっぷりだけでも街に被害をもたらしそうだった。俺はトドメを刺すべく奴へと近付く。そこへ向けて、飛んでくる物があった。俺は片手で、ソイツを受け止める。中に液体の入った、注射器だった。


「それを使うと良い。鎮静剤と抑制薬を、少々濃い目に混ぜたものだ。針は鋭く作ってあるから、皮膚も通るだろう」


「……恩に着る!」


 俺は注射器を右手に引っ提げ、改めて犬へと向かった。左右にのたうつ大犬の背に、軽めの蹴りを打ち込む。すると軽くうめいて、動きが止まった。ピクピク震えてはいるので、死んではいない。そのくらいの手加減程度は、なんとかできた。


「よし、いい子だ」


 脳内で喚く動物愛護団体を黙らせながら、俺は奴の首の後ろに針を刺す。すると一分ほどで手足の震えが治まり、次の一分で口の端から泡をこぼし、五分後にはガクッと動きを止めた。そして十分後。


「おお、可愛いもんだね」


「このくらいなら、話は早かったんだがな……」


 眉間に星型のアザをたたえた若い犬が、サワラビの腕にすやすやと抱かれていた。

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