気苦労を背負い込む探偵
結論から言えば、青年の訴えはひどく単純なものだった。むしろ単純すぎて青年の善性が尊く思えるほどだった。
「始まりはよくあることだった。文通相手に誘われて、大学の休暇中にこの町へ来た」
俺は人通りの少ない道を歩みながら、考えをまとめていた。夜風が身体に染み込むが、今の俺には関係なかった。人がいないのをいいことに、ブツブツと独り言まで吐き出していく。
「ところが文通相手は行方不明。上層で探し回って、全部デタラメとわかっちまった」
青年の、流した涙を思い出す。家出まがいに、貯金をはたいてこの街に来たという。なんなら、相手をこの街から連れ出してやろうとさえ考えてやって来たという。
「失意のままにやけ酒、下層へ追い出され、裏カジノにハメられて帰る金までほとんど使い果たす。傲慢が祟ったわけだが、気持ちはわからぁ」
タバコを取り出し、ニコチンを取り込む。【
「タウンナンバー
紫煙が町の風に流されていく。青年の言っていた場所は、恐らく近い。
「学生でなければ、無理は要らなんだ。本気で地道にやれば、いつか帰ることもできた。だが、あのガキは焦っちまった」
すべてを打ち明け、正気に返った青年は、泣き崩れていた。金をやり、外へ出す。そういう手段も、なかったわけではない。しかし、マスターも俺も、その気にはなれなかった。
『あの青年、学ぶ必要がありますね』
もう一度だけ向かったトイレのあと、マスターは言った。俺も同感だった。だから俺はすべてを聞き出し、こうして歩いている。憂いを元から、断ち切るためにだ。
「一発逆転をそそのかされ、【ビースト】のクスリをエサに強盗団入り。最近巷でうるさいとは聞いちゃいたが、粗悪品なら話はわかる。申し訳程度の警察じゃ、どうにもならんわな」
八番街の片隅。小さなビルの形をした廃墟。そのシャッターで、俺は教えられたリズムのノックをする。
「 」
「 」
教えられた通りの符丁を交わすと、シャッターが上がっていく。同時に俺は、奥歯を噛んだ。小さな閃光のあと、服の下に装甲が生まれた。
「はいっ、誰だ貴様ぁ!」
「探偵だ」
シャッターの向こうにいた一人目。軽くみぞおちに叩き込んで黙らせる。同時に奥からぞろぞろ、強盗団の連中が這い出してきた。身体のどこかに、揃いの色のバンダナを巻いている。目印なのだろう。武器はバットや鈍器。あるいは。
「死ねやあああ!」
粗悪品の【ビースト】によって、不完全に変質した手足や身体だ。
腕を伸ばし、襲い来る者。鋭い爪を備えた手の平を、縦横無尽に振り回す者。
「ガアアア!」
獣と化した頭部を、振りかざして来る者。獣じみた四足歩行で、俺を食い千切らんとする者。
だが。
「お前たちに用はない。すっ込んでいろ!」
俺の辞書に、容赦というものはない。【ビースト】は人を蝕む。いつかは人ならざる生き物へと堕ちる。気絶せしめ、しかる後クスリを抜く以外に生きる道はない。故に打ち倒す。
「なにぃ!?」
「んぐぅ!」
腕を跳ね除け間合いを詰める。手の平をかわし、顔面を殴る。
「っ!」
「ガゲエ!」
頭部を見切り、横っ面をはたく。身体を食わせることなく蹴りを入れ、腹を踏みにじる。そして最初に腕を伸ばした男を打ちのめす。一対多数とはいえ、奥から出て来るのであればそんなものだ。敵の数さえ調整すれば、一斉に襲われることはない。
鈍器をかわす。手足をかわす。あるいは装甲でもって粉砕する。そしてとどめを刺す。その繰り返しだ。明かりを消すような知恵でもあれば、また別だったか? いや、今考えることじゃあないな。
「ボスはどこだ」
「こ、この先です。ビース、あがぁ!」
戦意喪失した輩を尋問し、ボスの居所を聞き出す。あとは床に叩きつけ、気絶させる。【ビースト】? 関係ない。今の俺はあったまってるんだ。俺はさらに奥へ踏み込み、扉を開ける。そこには。
「ふーん。悪くないじゃないか」
いかにもな社長室……にも見える一室。ボディーガード臭い、坊主頭にサングラスの男が二人。最奥の机の向こうに、ブロンドの女が一人。ハッキリ言えば、美女に属する人間だった。
「強盗団のボスが女たぁ、驚いた」
「よく言われるね。だが関係ないよ。これでも【製薬会社】にいたんでね。恨み骨髄なのさ」
「へぇ」
相槌に隠して、俺は心の底から驚いていた。恐らくは偶然だが、まさか【製薬会社】につながるとは。
「その割には、流すのは粗悪品かい。みみっちいな」
「正規の品なんざ、一攫千金に這い寄ってくるハエにはもったいないよ。そう思わないかい?」
「違ぇねえ」
俺は一拍置き、息を吸った。装甲下の肌を、汗が一筋駆け下りていく。思惑を一つ、声に変えた。
「アレそのものが、人間にはもったない。俺はそう思うぜ?」
「そうかい。じゃあ交渉は決裂だ!」
男二人が注射器を握る。女が右手を上げ、振り下ろす。俺は真っ直ぐに間合いを詰め、床を蹴った。直後。
「がっ」
丸太ん棒が見え、背中に衝撃が走った。ボディーガード二人がゴリラと化し、豪腕をもって俺を撃ち落としたのだ。
「ゲホッ!」
「アンタたちなら
「ぐっ!」
己に強いて立ち上がるが、女は己に注射器を刺していた。みるみる猫型生物の特徴をまとっていく。女の捨て台詞は、さらに続いた。
「そうそう。ここは十五分後に爆破するよ。足がついちまうからね。全員死ぬけど、ハエにはお似合いだろうさ」
「テメッ!?」
「ハン。利用価値が失せたものを放棄して、なにが悪いんだい? ゴリラを倒して、自分だけ生きればいい。簡単なことじゃないか」
唸った俺に、女から容赦のない言葉が飛んで来る。俺は腰を落とし、身構えた。
「違ぇねえな。だが」
後ろ足に力を入れ、跳ねる。しかし女は、さらなる高みにいた。一瞬でだ。
「キサマの思い通りにされる気はねえ」
机の上と、天井裏。一瞬だけ視線が交わる。女は声を残し、フイと姿を消した。
「ゴリラを倒し、おねんねさせた全員を救う。やれるものなら、やってみな」
「ぬうっ!?」
ここまで黙っていたゴリラが、俺を机から引きずり下ろした。顔面をしたたかに打つ。両足首に、掴まれた感触。次の瞬間、股に裂けるような痛みが走った!
「があああ!?」
歯を食いしばる。いくら簡単には裂けないといっても、剛力のゴリラが相手だ。しかも二頭。猶予は無し。俺は一度体を反らすと、腕立ての要領で床を押し込んだ。反動で身体が浮いた勢いを使い、体を捻る。なんとか足首が開放され、自由を得た。
「チッ」
舌を打つ。目の前にはゴリラが二頭。近くには机に照明、俺が砕いた床のかけら。俺は構えを取り、告げた。死なれるよりかは、気苦労のほうがまだマシだ。
「シャクにさわるが、やってやるよ」
低く絞り出した言葉は、空気に覆われ即座に消えた。
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