茶楽

増田朋美

茶楽

茶楽

冬ではあったがのんびりとして、暖かい日であった。穏やかに晴れて、いつまでもこんな日が続いてくれればいいなと思われる気候である。

その日、杉ちゃんは、カールさんの経営している、増田呉服店に足袋を買いに出かけた。いつも通りに、足袋をセレクトして、お金を払ったりしていると、店の入り口がガラッと開いて、ひとりの若い女性が、店の中に入ってきた。

「こんにちは、いらっしゃいませ。」

と、カールさんが出迎えると、

「今日は。失礼ですが、色無地という着物はありませんでしょうか。」

女性は、そんなことを聞いてきた。一見すると若い女性のようだが、もしかしたら、化粧をしているから、もう少し落ち着いた年の女性なのかもしれない。でも、口調から判断すれば若い女性のようにも見える。何だか年齢不明の女性だった。

「はい、色無地ですね。ございますよ。これなどいかがでしょうか?ピンクでよく似合うとおもいますが。」

カールさんは、急いで売り台から、ピンク色の色無地の着物を取り出した。地紋はアザミを江戸小紋のような感じで小さく入れてある。礼装用として利用もできる色無地だ。

「あ、えーと、そうですね。できればあざみというのは、避けたいんですが。」

女性がそういう事を言うので、杉ちゃんもカールさんもびっくりする。アザミという地紋を見抜けたというだけでも今の時代であれば、すごいことになる。

「だってあざみというのは、独立とか、報復とか、そういう意味になっちゃうんですよね。そうすると

、師匠に反抗するとか、そういう風にとられてしまうと聞いたので、そこはどうしても避けたいんです。スコットランドでは国花と言われているそうですが、日本では、あまり良い意味ではないんですよね。そういうことなら、私、利用したくなくて。」

「ああそうですか。なるほど。ずいぶん着物のことについて、知っていらっしゃいますな。何かそういうことに関する、習い事でもされているのでしょうか?」

カールさんが聞くと、彼女は、

「ええ、煎茶道を習っているんです。」

と答えた。

「でも、お前さん足を引きずって入ってきたよな。正座なんてできないんじゃないの?」

と、杉ちゃんが彼女に言うと、

「ええ、煎茶道なので、テーブルに座ってもいいことになっているんです。よくある伝統的な茶道と違って、テーブルに座ってお点前をするんですよ。」

と彼女は答えた。

「はあ、それなのに、アザミの柄をいやだと言ったのはどうして?そこはなぜ、日本の伝統を守るの?だって、新しい煎茶道の形式であれば、あんまり服装など拘らないんじゃないの?」

「ええ。其れはやっぱり、師匠には敬意を示したいじゃないですか。いくら気軽にやれる煎茶道だからと言って、基本的なことは外してはいけないと思うんです。」

と彼女は答えた。

「そうかそうか。煎茶道というと、みんなで気軽に習うというイメージがあるが、ちゃんと習いたいやつもいるんだね。よし、そういうことなら、もっと格のある着物を出してやってくれ。」

杉ちゃんが言うと、カールさんはわかりましたといって、売り棚から、一枚の色無地を出してきた。今度はアザミではなく、梅の花を小さく入れた黄色の色無地であった。

「こちらは、梅の花の地紋なので、十分敬意をあらわすことができると思います。いかがですか?」

光沢のある、綸子生地の色無地で、これであれば、十分に茶会に使用できそうな着物だった。彼女はそれを見ると、とてもうれしそうな顔をした。

「ありがとうございます。失礼ですけど、こちらはおいくらなのでしょうか?」

「ああ、かなり古い着物なので、千円で結構です。」

カールさんにいわれて、彼女はわかりましたと言って、千円を手渡した。それを受け取ったカールさんは、ありがとうと言って、領収書を書く。

「お名前はなんとおっしゃいますか?」

「はい、星野と申します。星野徹子。徹底の徹に子供の子です。」

カールさんは、領収書に星野徹子様と書き込んだ。

「はい、こちらは領収書ですね。そして、お品物はこちらです。ビニール袋は用意していませんので、紙袋に入れておきます。」

カールさんは領収書を渡し、紙袋に色無地を入れて、彼女に渡した。

「ありがとうございました。これでお稽古に行くことができます。袋帯は、親せきからもらったものを使用するつもりです。ほかの小物も其れで用意できるかと思っていますが、着物だけが見つからなくて困っていたんです。」

と、徹子さんは、にこやかに笑ってそういった。

「煎茶道はいつから習い始めたんですか?」

カールさんが聞くと、

「まだ、一年しかたっていない、初心者です。でも、今まで何をやっても長続きしなかった私が、こうやって長らく習い事ができるようになったので、其れで本格的に着物を着るようにしようと思いました。」

と、徹子さんはそう答えた。

「そうですか。日本の伝統的なお茶の楽しみ方ですね。ぜひ、お茶を楽しむだけではなくて、着物も楽しんでください。着物も、今はこうして安く入手できる時代ですしね。伝統をたのしみたい人にはいい時代ですよ。日本の伝統は、気軽に楽しめるものに早変わりですね。」

カールさんは、にこやかに笑って彼女が着物を嬉しそうに眺めているのを見た。

「本当にありがとうございました。これでやっと、煎茶道を本格的に習えるような気がします。ありがとうございました!」

彼女はにこやかに言って、軽く二人に頭を下げて、店を出ていった。

「よかったな。色無地が売れたというだけではなく、なんだか人助けしたみたいで、うれしいね。」

と、杉ちゃんがカールさんに言うと、

「願わくは、日本の伝統が、つぶれてしまわないことですよ。外国人の僕が、こうして日本の伝統にかかわっているのだって、本来はおかしなことなんだからね。」

と、カールさんは、一寸ため息をついた。

「まあいいじゃないの。形は変わっても、伝統は伝統だからね。」

杉ちゃんは、口笛を吹きながら、カールさんに言った。

その数日後の事である。杉ちゃんがまたカールさんの店に、草履を買いに訪れていたところ、店に置かれていたラジオから、こんな放送が流れてきたのでびっくりする。

「先日、静岡県富士市のカルチャーセンターで煎茶道の教授をしていた、風間敏夫さんが殺害された事件で、今日静岡県警は、静岡県在住の女性、丹羽美江を逮捕しました。現在のところ、殺害の動機については不明で、容疑者は黙秘しているということです。」

「はあ、また事件かあ。ここのところ、物騒な事件ばっかり起こるんだよな。なんでこんなに事件が多いんだろう。全く、富士市も変な街になっちまったもんだね。」

と、杉ちゃんは、はあとため息をついた。

「日本もアメリカ並みに、犯罪が多くなったということかなあ?」

売り台においてある着物を整理しながら、カールさんはそういうことを言った。すると、こんにちはと言って、先日着物を買いに来た、星野徹子さんがまた店にやってきた。

「あらどうしたんですか。また何か欲しいものがおありですか。」

と、カールさんが言うと、

「はい。実は、色無地の、黒に近いものを欲しいと思うのですが。」

と、徹子さんは小さい声で言う。

「出来れば、地紋のないものがいいです。今回は、弔事になりますので。」

「はあ、弔事ですか。誰かが、お亡くなりになりましたか?身内がなくなられた場合は、黒紋付を着るのが習慣になっていますが?」

カールさんが聞くと、

「いいえ、身内じゃないんですけど、私にとっては大事な師匠なので、どうしても着物で出たいんです。其れに、葬儀は近親者で行われて、すでに終わっていて、私は、先生をしのぶ会に出席することになったので。」

と、彼女はそう答えた。

「ああ、師匠というと、お前さん煎茶道習っていたんだっけな?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、その煎茶道の先生が、亡くなられたんです。テレビやラジオでも、話題になってますよね。私、その先生の生徒として、通っていました。あの、風間敏夫先生です。」

彼女は答えた。

「そうか。ちょっとそれは悲しいな。せっかく煎茶道を始めて一年たったのに、どうして亡くなられたんだろう?」

杉ちゃんがそう聞くと、

「ええ、あたしも実はよくわかりません。私はただ、煎茶道を習っているだけなので。ただ、ほかの茶道を教えている方で、風間先生を敵対していたという人はいましたが。でも風間先生は本来敵対してはいけないって、言ってましたけど。」

彼女は答えた。確かに、茶道と煎茶道の違いは、よく言われることである。茶道というのは、お茶を通して、日本人としての心を鍛えるという目的が在るが、煎茶道というのは風流をたのしむという目的がある。其れが、本来の違うところであるが、なぜかこの両者は敵対していて、それぞれの悪いところを突きあったりしているところもある。

「でも、あたしは、風間先生のおかげで、出来ないと思っていた日本の伝統文化に触れることができたので、とてもうれしかったんですけどね。あたしは足が悪いので、伝統文化を習うなんて無理だと思っていたのに。それが、先生が突然亡くなられて、又行くところがなくなってしまいました。」

「そうですか。それはまた大変でしたね。確かに日本の伝統は、一寸西洋文化を見習わないと、障害のある方は入れないという可能性はありますな。」

カールさんはそう相槌を打った。

「ええ。せっかく、日本の伝統文化は良いなって思ったんですけどね。又新しく、テーブルで茶道を倣えるところを探して、習いに行こうかと思うんですけど。なかなか新しい先生も見つからないんです。」

徹子さんはそういうことを言っている。そうなると、殺害されてしまった風間先生は、そういう障害者の人に、入門できるように工夫してくれたのだということがわかる。

「それでは、弔事に着る色無地と言えばこれですかね。グレーの何も地紋のない、一越の着物です。これに黒帯を合わせれば、立派な略喪服として使うことができます。正式喪服が、あの黒紋付ということになっていますが、今回はしのぶ会に出席ということで、黒紋付を着用する必要はないでしょう。黒い帯や、帯揚げ、帯締めはお持ちですか?」

と、カールさんは売り台から、着物を一枚取り出した。

「ありがとうございます。黒帯も持ってないし、帯揚げも帯締めももっていません。其れはこちらで買うことはできるんでしょうか?」

彼女はそう聞いたので、カールさんは

「はい、ございますよ。ちょうどあなたはお若いので、こちらの黒の名古屋帯が向いていると思います。そして、これは大事な注意ですが、絶対に黒の名古屋帯では、二重太鼓という結び方はしてはいけません。其れは、不幸が重ならないようにという意味です。これを間違えないようにしてくださいね。」

と注意事項を言った。

「たまに、守らない人が居ますから、気を付けてくださいね。」

「お前さんみたいに、着物のルールをちゃんと守れる人が居てくれれば、大丈夫だよ。」

杉ちゃんが口をはさんだ。

「まあ、不幸なことに着物を使わなきゃいけないということもあるけどさ。でも、着物のルールをちゃんと守ろうとしてくれて、お前さんはえらいよ。しのぶ会はつらいけれど、きっとその気持ちを忘れなければ、新しい師匠も見つかるよ。」

「ありがとうございます。」

と、彼女は丁寧に礼を言った。

「この一越の着物と、黒の名古屋帯と、帯揚げ帯締めで、いくらになりますか?」

「えーと、着物は千円で、帯も千円、帯揚げと帯締めはそれぞれ、五百円で結構です。だから合計で三千円になりますね。」

と、カールさんは、直ぐに答えると

「分かりました。よろしくお願いします。」

彼女は、直ぐに三千円をカールさんに渡した。急いでカールさんは領収書を書いて、彼女に渡す。

「本当は、こんな事になってもらいたくなかったんですけどね。」

思わず彼女は領収書を受け取りながらそういうことを言う。

「まあ確かにそうだよねえ。人間はいつか死ぬとは言うけど、それが一寸早すぎたんだもんね。其れは、悲しいよな。まあ、そういうときは、思いっきり悲しいと思ってさ。無理をして、笑顔つくって、なんてしなくてもいいよ。そういう時は、泣いてしまった方が良い。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、せっかく私の居場所ができたって、家族も喜んでいたんです。其れに私は、煎茶道を習ったら、いずれ師範免許とかとって、自分も煎茶道を身に着けていくつもりでした。それくらい、煎茶道というものは、私にとって大きな出来事だったんですけどね。」

と、徹子さんは、悲しそうに行った。

「そうですよね。煎茶道は確かに、抹茶を用いる茶道と比べて、軽んじられる傾向はあると思いますが、一般的に飲まれているのは煎茶ですからね。其れにも作法があるっていうことは、とても、素晴らしい学問だと思うんですけどね。」

カールさんは彼女の話に応じた。

と、同時に、カールさんがつけっぱなしにしていたラジオから次のような音声が流れてくる。

「続きまして続報です。静岡県富士市のカルチャー教室講師でありました、風間敏夫さんが殺害されて

、丹羽美江容疑者が逮捕された事件で、丹羽容疑者が、動機の供述を始めたことが、関係者への取材で分かりました。其れによりますと、丹羽容疑者は、茶道の伝統的な精神が、煎茶道というものにとられてしまうのではないかと危惧して犯行に及んだということです。最近、気軽に習うことができる煎茶道がブームになっていますが、伝統的な茶道が、それに乗っ取られてしまうのではないかと、丹羽容疑者は、危惧していたということでした、、、。」

そのまま、アナウンサーが、偉い人を用意して何だか茶道の談義を始めてしまった。心や体などを鍛えるための茶道と、風流をたのしむための煎茶道。目的は全然違うのだから、そのままにしておけばいいのに、何で、それにかかわる人たちは、放置しておけないのかとか、そういう談義を始めてしまっている。

「例えば、煎茶道を入門として、本格的な茶道に入るという例だってあるんじゃないか。本当に日本の伝統ってのは、お互いの弱点をたたきあうのが好きだよな。」

と、杉ちゃんはラジオを聞きながらそういうことを言った。

「まあ、確かに煎茶道は、気軽に習えるというところを打ち出してますからね。茶道というと敷居が高いけれど、煎茶道だったら気軽に習えるという変な誤解はありますよね。どちらも、古くから続いている、伝統芸能であることは間違いないんですけどね。」

カールさんは、ラジオに向ってそういうことを言った。

「それに嫉妬して、殺害してしまったということは、何だか、人間らしいのかもしれないな。人間どうしても、新しいものが出ると、つぶしたくなっちまうもんだからな。」

杉ちゃんもそういうことを言う。

「それに、この事件の本当の被害者は、誰なんだろうね。まあもちろん、被害者は、その風間先生何だろうけど、風間先生に習いたかった彼女なのかもしれないぜ。」

「いえ。私は、そんなことありません。ただ、私は、習っていたとしても、ほんとに初心者ですし、師範免許を取ったわけでもないので。それに、私は、本来であれば、こういうことは習ってはいけない人間でもあったわけですから。だから私の事を、本当の被害者なんて言わないでください。」

杉ちゃんの話に、徹子さんは急いで訂正したが、

「いや、だって、先生に敬意を表して、あの梅の色無地を買ったり、今日だってしのぶ会に出席するための着物を買いに来たんですから、あなたは間違いなく本物ですよ。」

と、カールさんが言った。

「だから、その気持ちを忘れないで、いつまでも煎茶道を続けてほしいなと思いますけどね。」

カールさんはそういうが、それは非常に難しいことであるのは、杉ちゃんもカールさんもわかっていた。だって、まず初めに、彼女のような人間が、煎茶道の道へ行くためには、風間先生がしてくれたように、テーブルで茶道をすることを許さないとできないからだ。それを許容してくれる先生が、ほかにいるだろうか。そういうことでもあるから、答えはもう出てしまっているような気がする。

「まあ、これから先は険しい人生になるだろうが、着物は少なくとも、気軽に買える時代になっているから、お前さんもそれだけは忘れないでやってくれよ。そうでないと、せっかくの着物が無駄になっちゃうだけではなく、お前さん自身の気持ちが台無しになるから。」

と、杉ちゃんは彼女を励ました。彼女は、それだけは覚えていますと頷いてくれた。其れが続くかどうかもわからないけれど、とりあえずそういうことを言ってくれるだけもうれしかった。

「じゃあ、と言って申し訳ないが、僕たちにも煎茶をいれてくれないかな。」

杉ちゃんがいきなりそういうことを言った。カールさんがそれはいいねと言って、戸棚の名から、ケトルと急須、湯飲み三つを取り出した。徹子さんは少々びっくりしているような様子であったが、カールさんから急須を受け取ると、慣れた手つきでケトルから、お湯を急須に入れて、三人分の湯飲みにお茶を注いでくれた。

「やっぱり習ってるやつは違うな、手つきとかしぐさとか、本当に違うよ。」

と、杉ちゃんが言う通り、彼女のやり方は素人が茶を入れるのとはまた違っている。

「はい、どうぞ。」

杉ちゃんとカールさんの前に湯飲みが置かれた。

「よし、いただこうぜ!」

杉ちゃんもカールさんもそれを受け取って煎茶を口にした。其れは、素人がいれたお茶とはちょっと違う味がするような気がした。

「うまいな。」

杉ちゃんは、お茶を飲み干した。カールさんも、なかなかですよと言って、お茶を飲み干したのであった。


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茶楽 増田朋美 @masubuchi4996

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