第22話 殻を破る

 音村さんの入部以来、部活に俺の安らぎはなくなった。


「せんぱーい、ここがよく分からないです」


 可愛い後輩に慕われるってのは悪い気分ではないが、音村さんはあまりにもスキンシップが多く、俺としては色んな意味でタジタジだ。


「ここは、運指が違うんだよ、ちょっと見ててくれるかな」

「はいっ」


 返事いいのだが、こういった場合、音村さんが見つめるのは——指ではなく顔だ。


「音村さん……運指を見て欲しいんだけど」

「見てますよ……先輩の瞳に映る運指を」


 男が言ったらアウトになりそうな言葉でも平気で投げかけてくる。


「ていうか先輩。きっと視点が違うから分からないんだと思うんですよね」

「まあ、確かに一理あるけど……それは仕方ないんじゃない?」

「そんな事ないですよ! 先輩が二人羽織の要領で教えてくれればいいんです」


 に……二人羽織だと⁉︎


「音村さん……それは色んな意味でアウトじゃないかな?」

「えっ、何でですか?」

「だってほら……」


 何でですかって……そりゃ後ろから抱きしめるようかもんだからじゃないですか!


「あれ? もしかして先輩——私のこと女の子って意識しちゃってます?」

「……えっ」


 そりゃするだろ……そんなにも可愛いのだから。


「図星……ですね」


 俺は「うん」としか言えなかった。


「やだなぁ先輩っ、考え過ぎですよ、このぐらいのスキンシップ、今時の高校生なら友達同士でも当たり前ですよ」


 ……えっ、そうなの?

 二人羽織ぐらいのスキンシップは当たり前なの?


「さぁ、だから先輩……早く」


 本当に良いのだろうか……でも、本人が良いって言ってるし、俺も嫌ではない。

 でも……いつきに対する罪悪感が半端ない。


 ……そうだっ!


「俺の肩口から動画撮ればいいんじゃない? 二人羽織だと俺もフォーム崩れるし」


 我ながら良い代替案が思い浮かんだ。


「それもそうですねっ! それなら家でも見れますもんね」


 納得してくれたようだ。


「じゃあ先輩、お願いします」


 ひとつひとつの仕草が、あざとくもあり可愛い音村さん。きっとモテるんだろうな……なんて思っていると、椅子に座る俺を背後から抱きついてきた。


 何事⁉︎


「音村さん……これは」

「撮影ですよ このアングルが欲しいので」


 息が掛かるほどの距離っていうか、頬と頬はくっついていた。


 心拍数、爆上がりです。


「先輩……まだですか?」


 ……まだですかって。


「音村さん……この体勢じゃ弾きにくい」

「先輩なら大丈夫ですよ」


 食い気味に否定された。


「それに……緊張するっていうか」

「緊張は、ライブで慣れてますよね?」


 これも食い気味に否定された。


「動画撮れないと、ずっとこのままですよ? それとも先輩はずっとこのままがいいですか?」

「あっ、いや、そんな事は」

「頑張って下さいね」


 耳元で囁かれ、耳たぶをはむっとされた。


「ひやっ⁉︎」

「先輩は相変わらず感度が良いですねっ!」


 もし世の中に小悪魔という者が存在するのなら、間違いなくそれは音村さんの事だ。


 抵抗しても深みにハマりそうだったので、このまま演奏する事にした。


 でも……なさけない事に俺は、上手く演奏プレイする事が出来ず、リテイクを繰り返した。


「ハマっちゃってますね……先輩……でももう運指のところは撮れてるんで大丈夫ですよ?」


 音村さんはもういいと言うが、俺にも商業ギタリストとしての意地がある。こんなシチュエーションのミュージックビデオを撮ることあるかも知れない。


「いや、成功するまでやる!」


 無駄にヤル気スイッチが入ってしまった。


「はいっ!」


 ……そもそも音村さんが気になるってことは、曲に集中出来ていない証拠だ。

 どんな環境であろうと、与えられた環境の中で最善の演奏プレイをする事が『継ぐ音』のギタリストである、俺に求められることだ。


「音村さん……よく見ててね、次で決めるよ」

「はいっ!」


 ——気持ちの切り替えに成功した俺は、これまでのテイクが嘘のように集中できた。これまでのどのテイクよりも、魂を込めることが出来た。

 どんなフレーズであろうと、どんな状況であろうと、音と真摯に向き合う事を忘れては駄目だ。

 

 そして俺は遂に——完璧な演奏を披露する事が出来た。


「……すっ……凄いです先輩」

「……やっといいところ見せれたね」

「はいっ! 私、感動しました!」


 感動しましたか……ギターだけで感動したって言われるのは地味に初めてかも知れない。

 ……嬉しいものだ。


「でも……」


 でも? 気付いていないだけで、どこかミスっていたのか?


「ごめんなさい先輩、撮るの忘れてました!」


 ——無情のリテイクコールが響いた。


「大丈夫だよ、よくある事だし……もうワンテイクいこう!」

「いえ、先輩……もう大丈夫です」

「ここまでやったんだし、遠慮しなくてもいいんだよ?」

「いえ……あんな凄い演奏プレイを見せられたら、嫌でも目に焼き付いちゃいますよ」


 今の一言で、今日のあれやこれやが、報われた気がした。


「先輩、私が弾くところ見てもらってもいいですか?」

「あっ、うん」


 音村さんが俺に見せてくれた演奏は、これまでの彼女の殻を破るような演奏だった。

 技術的にはまだまだだけど、彼女の音には魂がこもっていた。

 彼女は何か切っ掛けを掴んだようだ。


 だが、それは俺も同じだ。


 ふざけたシチュエーションだったけど、音村さんが掛けてくれた言葉や、あの演奏プレイで、俺は今までの自分の殻を破れるような気がした。

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