第10話 百万 一与 ⑩

 陽は沈み、星が静かに遊び始めた頃、あたりには静けさが漂う。家の一つ窓からは、優しくも、どこか寂しさを漂わす明かりが漏れる。その中は、外の沈黙が偽りであったかのように、更なる静寂に包まれていた。

 

「 …… イチ、もう決めているのね?」


 母親である晴美ハルミが先に言葉を見つけた。


「うん …… 」


 イチは一言返すのが精一杯だった。


 四人家族のイチの家庭は、単身赴任が常な父親の他に、晴姫ハレヒメを奪われ、イチが一つ国ひとつくにへ向かうとなると、母親はこの静寂に一人となる。


「お母さん、お父さんに怒られちゃったわ …… 」


「お父さんが? 何て言ってたの?」


「ハレヒメは生きている。イチももう決めている。充分だから明るく見送ってやれって」


「うん …… 」


「お母さんの心配を全部話したわ。その後にこの答えだものね。男ってホント何も考えてない」


「うん …… 」


「明日から、もう会えなくなるのね」


「うん …… 明日から学舎にも家にも顔出さずに、泊まり込みでの鍛錬をお願いしたから。それでも時間は足らないと思うけど …… やれる事は精一杯やっておきたいから …… 」


「 …… そうね、決めたならすぐにでも進まなきゃね。決めた後に止まってたらお母さん、もっと悲しくなっちゃうから」


「うん」


「二人とも …… 無事にね」


「うん、約束する」


「約束は疑いがある時にするものよ。お母さんはイチの全てを信じてるから大丈夫」


「ありがとう」


「じゃ、ご飯食べよっか? 今日はイチの好きなハチミツの実のハンバーグよ。お母さんは苦手だったけど、今日は一緒に食べるわ」


「ありがとう …… 必ずハレヒメを連れて帰ってくるよ。そして次は皆んなで食べよう!」

 

 イチは一連の会話の中で、短い中にも母親の深い愛情を感じ、改めて晴姫ハレヒメを連れてここに二人で戻ってくる事を胸に誓った。




 ◇




 世間がまだ動き出す前、生霊いくたま神社境内けいだいから少し裏側へ離れた山の中、野生動物達が目を覚まし始める時間から、イチはそこにいた。


 イチは認定試験日まで、それぞれの神職に泊まり込みで特別鍛錬をお願いしている。中でも開円カイエンには鍛錬メニューを用意してもらったりと、力を入れてもらっていた。


 今日も朝から開円カイエンやしろへ向かうギリギリまで付き合ってもらっていた。今は授業も始まりリモートで開円カイエンからのアドバイスを受け、鍛錬メニューをこなしている。

 

 イチはカイエンの定める鍛錬メニューを忠実にこなしてはいるが、どれも何一つ完了はしていない。質、量ともにおよそ常人ではこなせない内容なのである。

 

 開円カイエンは『覚悟がある者なら必ず達成できる鍛錬メニューだ』とイチをあおるが、本当の目的は精神的強さを身につかせる事にあるようだ。本来ならアラウザル能力者ですら出来なくて当たり前の鍛錬量なのである。


「イチ、今のままではジンを扱うまでの土台すら出来ていねぇ。通常であれば生身でここまで付いて来ている事は評価はされる。が、後二日で宮司の元へ姿を見せるにはまだまだ足らねぇ。覚悟を持って超極限的に取り組めよ!」


「 …… 」


 イチは手首に付けた最近話題沸騰の鼓膜を使わない新感覚惟神式じんしき音波受信装置(通称:ジンフォン)を用いて、開円カイエンからの連絡を受けている。


「ジンを扱うには体力、精神力はもちろんだが、重要なのは想いの圧縮力だ。超極限的に想いを圧縮出来ていれば、精神力も体力も少しで事足りる。今はまだジンの扱えないイチでも圧縮力を高めれば必ずジンを扱えるようになるはずだ」


「 …… 」


 この調子で八千矛ヤチホコと約束した日から、五日目の鍛錬が経過している。


 イチの体はどこを駆け抜けたのか、衣服は破れほとんど原型を留めていない。ただ破れた間から覗かせる肉体は飛躍的に筋肉量が増え、硬く引き締まっている事がみて取れる。


 禅を組み集中するイチの体には、野生の鳥獣すら近寄ってきている。四肢には葉が溜まりおよそ何時間という長さではなく、一日近くこうしている事を感じさせる。


「一つ一つの行動に理由を見出し、色濃く身につけていけよ? 急ぐ時こそ遠回りが近道な時もある。その中で出来る限り真っ直ぐに目標に辿り着ける道を見つけるんだ。我武者羅や、頑張っているという感覚は一番デンジャーだからな?  頭を使い、理屈に沿って、最短距離で、効果的に鍛錬の道を走れ。男がやると決めたなら、決して諦めるんじゃねぇぞ。光が闇に落ちる時は闇に飲み込まれるからじゃねぇ。光るのを止めた時に、自身が闇になっちまうんだ」


「 …… 」


「返事!」


「はいっ!」


 —— Ba!バッ! Zaザッ! BaSaBaSaBaSaバサバサバサッ


 イチの返事と同時に野生の鳥獣たちが一斉に飛び立ち、そして走り去った。まるでそこに天敵がいたのが見えていなかったかのように。

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