第4話 賭け師「藤原一歩」

 西園遙佳の師匠である藤原一歩は「賭け師」の異名を持っていた。

 破天荒な性格で知られ、とにかく賭け事が好き。ついでに女好き。

 だが、意外にも酒は弱かった。酒に酔うとひとの良い爺さんという感じで、ただただ、弟子に甘かった。       

  

 棋士を目指したとき、僕はまず一歩先生に弟子入りを申し出た。だが、

「わしは年だから、孫弟子ならしてやる」

 というありがたい言葉の結果、遙佳さんの弟子に納まることに結局なったのだ。

 

 今日は藤原一歩先生を偲ぶ会で、先生のたっての願いで今日遺言状をみんなで読んで欲しいということが知らされている。

 

「おはよう、慶輝くん。先生の遺言ってなんだろうね?」

「全身全霊をもって全財産を将棋に賭けろ!とか?」

 それは生前の一歩の口癖だった。

                      

 一歩の孫娘という方がおずおずと封をされた遺言状を遙佳さんに渡す。そう、棋聖というタイトルを所持しているから、遙佳さんは上席なんだ。

 

 みんながやや緊張につつまれる中、遙佳さんが遺言状を読み上げることになった。

 

 「理由は言わない。わが筆頭の弟子の願いをおのおの他の弟子は叶えること。もし背いた場合は破門とする」

 と書いてあった。

 

 「筆頭の弟子って、遙佳さんですよね?」

 と言わなくても分かっているが確認する。勝負に負けたものは勝者に委ねるという価値観をもった賭け師らしい遺言状ではあった。

 

 とはいえ、あまり無茶ぶりもできないと思ったのか遙佳は


 「ええと、明日の昼おごってくださいね」

 とか、

 「今度、女子会やりましょう」

 とか、たいしたことは言ってなかった。

 

 だが、僕の番にくると

 「明日、プロ入り決定してね」

 と厳しいことを言った。


 明日の強敵に勝てば、ある意味確かにプロ入り決定だ。だが、僕はその相手には勝つことはできない。なぜって、明日僕は遙佳と指すからだ。

 有望な奨励会員とタイトルホルダーが闘うという非公式戦。

 勝てば特別にタイトルホルダーがなんでも奨励会員のいうことを叶えてくれる。という企画だ。


 「あさっての師匠の対局、楽しみにしています」

 と僕は他人ごとのように師匠にメッセージを送ったが、それがまさにこの対局のことだった。 

 

 つまり、これは

 「勝ったらプロにしてあげる。でも、負けたら破門ね」

 という意味に間違いない。

 

 遙佳の性格を僕はよく知っている。

 決して、弟子の願いを叶えるためにわざと負けるような真似はしないはずだ。

 相手の人生と自分の人生がかかった一戦をいつも以上に本気で力を入れて指し切る。

 それが棋聖西園遙佳の座右の銘であるに違いなかった。賭け師、藤原一歩の教えを愚直に守る天才少女なのである。

 

 大変なことになってしまった。頭のなかはぐちゃぐちゃだ。明日師匠に負けたら、破門を言い渡されるのだろうか?

    

 楽しいはずだった八倉の研究会に重い足取りで向かう。

 こうなってみると、いつものように師匠と話し真意をただせないことが、とにかくもどかしい。

 

「なんか重い空気背負っているね?池神くん」 

「八倉さん、僕は明日勝たないといけないんです」

「あ、師匠との非公式戦があるんだっけ?」

 僕は八倉に事情を話してみることにした。

「そっか、大変なことになっちゃったね?なにか師匠を怒らせるようなことしたの?」

 思い当たることはありすぎた。

 ふがいない僕に愛想が尽きたのだろうか?  

 

「じゃ、特別に秘策を教えてあげよっか?矢倉の最新定跡なんだけど?」

 といって矢倉はとっておきの研究手順まで僕にレクチャーしてくれた。それは、それまで後手良しとされていた変化で、実は先手の攻防手で逆転がある、という情報だった。

 

「一応言うけど、うちの門下生だけの情報なんだからね?ま、期限付きの情報で鮮度命なんだけどさ」

 僕は八倉の心遣いがとても嬉しかった。おそらく、八倉は好意で教えてくれたのだろう。 だが、棋聖がその攻防手にとっくに気づいており、そんなことは百も承知で、その変化にもちこむとは誰が予想できただろうか。

 

 その甘言を喜んだとき僕は棋聖西園遙佳の深すぎる研究の罠にはまっていたのだ。

 

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