第2話 悪魔のライバル
今日の相手は苦手なヤツだ。奇襲めいた力戦系で嵌めてくるタイプ。オキレイな定跡形を好む正当派を自負する僕にとって、やっかいな手合いだ。
気合いを入れて定刻前に席につく。しばらくすると対戦相手の緒弐五郎がやってきた。
「悪いけど棋力が一億程度のヤツに負けるほど、俺弱くないから」
ん?
ヤツの顔には十億の数字が浮かぶ。
おい、棋神これじゃぁ逆効果だ。対戦相手より弱いことが判明して戦意喪失するだけだろ。ふざけやがって。
まて、なんで俺の棋力が一億ってバレルんだ。こいつも将棋の神に愛されている男なのか?
「慶輝よ……。これは交渉なのだ。勝てないとわかったら、おまえは私に寄進することでさらなる高みへと到達することができる」
つまり、勝てないという絶望から、さらに僕が純潔の誓い以上のものをまたこのふざけた棋神もとい鬼神に進呈しないとイケナイということなのか?
っく、何を捧げればいいんだ?
「汝が一番大事にしているものだ。それはおまえの遙佳への憧れだ。想いといってもいいか。つまり遙佳を嫌え!青年よ。勝負の世界でそんな甘いことで生き抜けると思っているのか?」
……師匠とのいままでの思い出。それは暖かなもので決して忘れてはいけない気持ち、感謝、愛着、憧れと微笑み。それらを全部捨てないと将棋に強くなれないというのか?
「汝の師匠は、おまえのことなど歯牙にもかけておらず!現に貞操を捨ててもおまえの八冠の道を阻止しようとしているのだ。そんな女をおまえは師匠と呼ぶのか?」
く、くそ。そんなはずはない、あれは本当に僕という異性に対する好意で、決して僕を弱いままの棋士で留めるための罠なんかではない。
葛藤に苦しんでいると。
「定刻になりました。はじめてください」
と容赦なく対局が始まる。
「よろしくお願いします」
と緒弐が頭を下げる。丁寧だが迫力がある。
「よ、よろしくお願いします」
気圧される僕。
先手は僕だ。しかし、指せば負けるのは確実。一億と十億では勝ち目もない。事実僕は滅多に緒弐に勝ったことがない。
こんな甘いことだからプロに成れないのか?師匠は僕に弱いままで居て欲しいのか?
そのとき手にあったのは。
師匠のくれた扇子だった。
この扇子にはなんて書いてあるんだ。
その扇子には、「女神降臨 棋聖 西園遙佳」
と女性とは思えない力強い太い文字で書かれていた。
そして、「勝利」と手書きで書き加えられていた。
それで、迷いが消えた。師匠が僕を嵌めようとしてるなんて嘘に決まっている。
僕は鬼神にさらなる捧げモノをして、棋力を上げるという選択肢を採ることはない。今も、そしてこれからも。
緒弐の陽動振り飛車が綺麗に決まり、僕はあっけなく将棋に負けた。
「ありがとうございました」
と二人で終局の挨拶をする。
「残念だよ?俺と対局しても君の棋力は上がらない。僕は切磋琢磨できるライバルを求めているんだ。俺はおまえと違ってこれでプロになる。じゃぁな。万年三段」
と感想戦を終えると緒弐は馬鹿にした笑いを浮かべ、席を立った。
涙がこぼれてくる。緒弐は鬼神に頼ったのか?だから十億なのか?
おれは鬼神には頼らない。人間の力で神に立ち向かえるというのか?
くそ、ズルいぞ。僕がこんなにあがいているのに、みんな棋力以外に大事なものがないのか?将棋一本なのかよ?そんなのってありかよ?
涙がだだ流れで泣きながら、神社の前を通り過ぎる。神様なんてもう信じない。
もう二度と参拝するものか!
マンションにつき、今日の棋譜を並べ返す。思えば最初から最後までアイツのペースだった。すると。
ピンポンとインターホンが鳴る。
師匠だろうか?
「ごめん、師匠。今はそれだけ。明日からまた頑張るから。今は今はそっとしておいてくれ!」
「いや宅配ですが?どうかされましたか?」
と冷静な男の声。
「すみません、今見せれる顔してないんで、留守ってことにさせて下さい」
「いや、お届け物があるんで受け取って下さい。置いておきます」
と男は帰っていった。
玄関先をドアを開けて確認する。
するとそこには。
意外なお届け物があった。
「し、師匠」
そこには師匠が立っていた。
届け物を持っている。
「サインなら私がしておいたぞ」
「すみません、すみません。負けてすみません。おめおめ帰ってきてすみません。」
とすみませんを連発し、平謝りする。
「弱っているね。慶輝くん。手料理でも作ってあげようか?」
「師匠料理できるんですか?」
将棋一本の遙佳さんが料理ができるとは初耳だ。
「ま、おいしくないけどね。だから出前を取った」
僕は、僕はこんなにも愛されていたのか?止まっていた涙が再びあふれる。
「カワイイね。まったく」
と照れたような顔で師匠がボソッと言う。
「棋神には頼らなかったんだね?」
「はい、人として大事なモノを失いたくなかったので」
「頑張ったね」
といって師匠は背伸びして僕の髪を撫でてくれた。
僕と師匠はその日徹夜で負けた試合の検討をし続けた。
ああ、こんなにも暖かい心を失うことがなくて本当に良かった。
次の朝僕は師匠にとんでもない体たらくを見せてしまうことになるのだった。
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