第46話 ぶどう畑の朝

 朝、公子は目が覚めると、すぐ横の障子を開けて縁側に出ると、がらり戸をそろそろと開けた。そして、細くできたすき間から外を見る。

「晴れた」

 手のひらを合わせ、小さく叫ぶ。

 空にいくつかの雲は浮かんでいるものの、太陽の光がまぶしかった。

 壁に掛かる古めかしい振り子時計を見ると、五時四十分。悠香や要はまだ眠っているし、隣の間にいるはずの男子も静かだ。

 でも、台所の方で物音はしている。

(……そうか、農業だもんね。遅いぐらいか)

 少し考えてから、皆はそのままにして、起き出すことにした。

 髪をといて、束ね直す。くん、と匂いを嗅いでみる。お風呂に入って洗髪したから、ぶどうの香りはすっかり抜けていた。

 寝巻きから着替えて――今日はフィールドアスレチックをするのでジーパンだ――、忍び足で悠香、要の枕元を順に通り抜ける。

 食卓のある部屋に顔を出すと、やはりすでに伊達のおばさんは起きていた。

「おはようございます」

 声を出してみて、かすれていたので、せき払いをする。

「あ、おはよう。一番乗りよ。案外、早く起きたね」

 食卓に腕を乗せ、何ごとか書き物をしていたおばさんは、すっくと立ち上がった。それから台所に向かい、かちゃかちゃと音を立てて、朝食の準備を始める。

「よく眠れた?」

「多分」

 返事してから、おかしな答だったなと意識した。

(でも、いつ眠ったか分からないから。こんなに早起きできて、しかも頭はすっきりしてるんだもの。よく眠れたはず)

「他の子はまだ眠ってるのかしら」

「はい。男の子も、多分」

 また多分、だ。

「ご飯、食べるでしょう? 今すぐ温めるから」

「あの、みんなが起きてからの方が……」

「そうかい? それでもいいけど」

 おばさんの手の動きがゆっくりになった。

「おじさんは……」

「畑よ。ぶどうだけ作ってれば、こんな早くなくてもいいんだけど、そうもいかないから。今朝はね、薬剤散布。薬をまくのは晴れた日の朝か夕方。それも無風のときがいいのよ」

「薬剤」

「あ、もちろん、必要最小限よ。食べる分には大丈夫」

「いえ、そういう意味じゃ……すみません」

 あわてて手を振る公子。

「その、散歩してこようかなと思ったんですが、薬をまいているんだったら、出ない方がいいかなって」

「ああ、散歩。今朝は風がないから、まず大丈夫だね。念のため、畑とは反対方向をぶらぶら歩くのなら、全然かまわないわ」

「分かりました。それじゃ……六時十五分ぐらいに戻ると思います」

「そうかい。じゃあ、その頃、朝ご飯をちょうど食べられるようにしとくよ」

 お願いしますと言って、公子は玄関に向かった。

 ひんやりとまでは行かないが、朝の空気はすがすがしく感じられる。目をつむって、空気を軽く吸い込んでみる。緑に囲まれた土地だからか、何となくおいしい気がする。

「太陽が高い!」

 緑の濃い木々に隠されて今まで気付かなかったが、おおよそ東の方角を見やれば、夏の太陽はとうの昔に地平線を離れ、空の主役へと昇りつつある。

 伊達家の前を通る坂を下っていったら、わずかずつ左に曲がりながら、今度は上り坂になった。畑の並ぶ丘をぐるりと巻くようにして、ずっと続いているように見える。

 ゆっくり進んで、丘の頂に到着。と言っても、実際の頂は、よその畑の中なので入れないが。

(わぁ――見渡す限り、ぶどう棚ばっかり。さすが、ぶどう郷ね)

 展望に感動していると、突然、背中の方から名前を呼ばれた。

「公子おねえちゃん!」

「一成君?」

 声と呼び方ですぐに分かった公子は、振り返ってその姿を探す。

 ところが、先に視界に入ったのは、秋山の姿。二人がやや前後して、坂を歩いてくる。

「秋山君、おはよっ。一成君も早起きね」

「おはよう。散歩に出かけたって、叔母さんに聞いたから、それなら僕もと思って。公子ちゃん、早いね」

 公子に追いついてから、秋山が言った。

「秋山君こそ。まさか、私が起こしちゃったとか?」

「いや、一成に蹴飛ばされた」

「えっ、ほんとに?」

 一成へ目を向ける公子。

「うん。広毅にいちゃんのすねを蹴った」

 どういうわけだか、得意そうにしている一成。

「あー、長すぎるのも困りもんだなあ」

「そういう冗談は、きちんと謝ってからにしろ。まじで痛かったんだぞ」

 一成の頭をげんこつでぐりぐりとやる秋山。

「いててっ! だ、だけど、寝ぼけてやったことだから。ほら、刑事ドラマで見たけど、シンシツソーシキジョータイなら、罪に問われないって」

 いきなり飛び出した意味不明の言葉に、公子は首を傾げた。

(何? 寝室、葬式、状態……?)

 公子の頭の中を、ベッドと棺桶が駆け巡る。

「わざと言ってんじゃないのか? それを言うなら、『心神喪失状態』だろ。まったく、疲れる」

 秋山は、あきらめたように肩を落とした。それから気分を変えるかのようにして、青空を見上げた。

「これだけ晴れたってことは、明け方は星がよく見えたはずだけど。今夜はちょっと、起きとこうかな」

「それ、いいかもしれない。けど、アスレチックなんかしたら、疲れきっちゃうかもね」

「そうかな。今夜は多分、宵の口からよく見えると思うんだ」

「あ、そう言えば、昨日、聞きそびれてた。鹿児島の空とここの空、どっちがよく見える?」

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