第16話 運動会その2

 二百メートル走の開始を目前にして、白組応援席に、悠香と要がやってきた。

「あっちにいたらやばいわ」

 悠香は手をうちわ代わりに、顔をあおいでいる。

「健也くーんとか頼井先輩とか、凄い。どうしてだか分からないけど」

「だからこっち来ちゃった。秋山君を応援したい子も、結構いるみたいなんだけどね」

 要の言葉に公子は素直にうなずけた。

「ふうん、秋山君もかなり人気あるもんね」

 と言った瞬間、後ろの方で歓声が起こった。

「秋山先輩、がんばってくださーい!」

 紅組白組の区別なしに、一年の女子が並んでいた。

「うわ、すご」

「ほらほら、カナ。あんたも負けてられないでしょうが」

 悠香に促されて、要も声を張り上げる。

「秋山君、負けちゃ嫌よ!」

 それが合図になったかのように、今度は紅組応援席からの、「頼井せんぱーい」だの「健也くーん」だのの声援が一層大きくなった。まだ秋山と頼井の組が走るのは先にも関わらず、である。

「何だか、一騎打ちみたいになってきたわね」

 公子が感じたままを言うと、悠香は、

「そうね。これで他の誰かが勝ったら面白いんだけど」

 などとひねくれたような物言いをする。

「ユカったらあ」

「ん、まあ、それはないわね。去年の記憶では、あの二人、かなり足が速いもんね」

 いよいよ、秋山と頼井のいる組。彼らを含めた六名の男子がゆっくりと、あるいはさっと立ち上がり、定位置に向かう。足場をしっかりと定め、クラウチングスタートの態勢に。その間も、歓声はほとんど途切れることがない。

 スターターが手を上げた。アナウンスが入る。

<位置について。よーい――スタート!>

 始まった。

 スタートは四人がほぼ横一線。無論、秋山達も入っている。

 最初のコーナーで、頼井がトップに立った。ちょうど紅組応援席の前。歓声が一際高くなる。

「秋山君! がんばれ!」

 公子は思わず立ち上がり、声援を送る。

(届け!)

 ストレートラインが続く。その中程がちょうどレースの中間点でもある。

 頼井が飛ばす。秋山が食らいつく。もはや、レースは二人の一騎打ちの様相を呈してきた。

 百メートル地点まで頼井がトップだったが、そこを越えた辺りから、差が縮まり始めた。ぐんぐん追い上げる秋山。

 そして第二コーナー、今度は白組応援席の正面で、競り合いの末、ついに秋山が頼井を抜き去る。

 再びわき起こる大歓声。今度は頼井が必死になって追う。

 しかし、残す距離は少ない。抜かれた者がまた抜き返すには、無理があったようだ……。

 二百メートル走の次のプログラムは、一年男子の演技目だったので、応援に回らなくてもいい。

 そこで、体力は回復したが精神的に参っている様子の男子二人を、公子達はねぎらった。

「惜しかったね」

 秋山が勝ててうれしいのだけれど、こういうとき、公子は負けた方に気を遣う質である。

「ありがとう、公子ちゃん。しっかしなあ、負けるなんて考えもしなかっただけに……ショック」

 体育座りのまま、膝に額を載せる頼井。

「これが実力だぜ」

「何を言うか、百メートルまでは俺が勝っていた」

「だから、これは二百メートル走なの」

「ぐっ……」

 負けると、やはり強いことは言えないもの。そこへ、悠香が追い打ちをかけに出た。

「女子の声援に押し潰されたのかしらねえ」

 頼井に、女子はほとんど駆け寄ってこなかった。もっともそれは二着のせいではなく、悠香がいるせいかもしれないが。

「嫌になっちゃうねえ。ユカにしろ、要ちゃんにしろ、紅組のくせして、秋山の応援だもんな。それに引きかえ、公子ちゃんの優しいこと。敵同士なのに、どうもありがとう、なぐさめてくれて」

 うれし泣きの真似をする頼井。

「あの、別に私、白とか紅とか関係なく、二人とも友達だから、どちらにもがんばってほしくて……」

「それでもいいんだよー。来年、同じ組になれたら、どんなに心強いことか」

 頼井の何気ない言葉に、公子はどきりとする。

(来年はないの、私……)

「さて、さっきの白組の勝利で五分に戻したはずだ」

 秋山は、遠くにあるスコアボードを眺め見た。

「あとは三年生の騎馬戦を残すのみ」

「もう、俺はどうでもいいぞ。おまえとの勝負に負けちまったんだから、三日間、部活帰りのパンをおごってやらなきゃな」

「そ、そんな賭け、してたの……」

 あっけに取られた公子に対し、さも当然という顔で、男子二人はうなずいた。

 要も驚いて、両手で口を覆っている。比較的冷静なのは、やれやれとばかりに首をすくめた悠香一人だった。

(パンの賭け……。私のあの必死の声援は何だったのよー、いったい!)

 情けなくなってきた公子であった。


 プログラムの最後の出し物は、フォークダンス。学年毎に輪が一つずつ作られ、女子と男子がペアになって曲に合わせて踊る。ワンフレーズごとに相手を変えていくのは言うまでもない。曲は一回だと短すぎるため、二回流すのが通例になっていた。

 輪は、クラス単位で一組から順に並んで作られるので、公子は秋山とは非常に近い位置にいられる……のだが、秋山はクラス委員ということで先頭に立ち、当然、公子はそれよりも後ろ。このダンス、女子は動かず、男子が前へ前へとずれていく。故に秋山と公子との距離は徐々に開いてしまうわけだ。つまり二人がペアになるのは、ほぼ一周りしなければならない。二回の演奏では、とても届かない。

(一年のときは最初遠くて、終わったときにはだいぶ近付いてたけれども、結局踊れなかったな。今年は凄く近いのに、段々離れてしまう。最初近い分、ちょっぴりましと思わなくちゃ)

 音楽が流れ始めた。最初、一部の者を除いて、どこか気恥ずかしげに手に触れ、ぎこちなく踊る。それも回数を重ねる内に、やがて慣れてくる。

(ああ、遠くなっちゃう)

 分かっていても、落胆が心の中でじわじわ広がり出すのを感じる。

 秋山の方をときどき見やりながら、公子はダンスを続けた。たまに失敗して、相手とぶつかりそうになってしまう。

「ちゃんと相手を見てくれなきゃ」

 次のペアの相手が、いきなりささやいてきた。もちろん、曲は続いている。

「あ、頼井君」

「どうぞよろしく」

 さすがに異性の扱いに慣れているとすべきなんだろう、うまくリードする頼井。

「そんなに秋山のこと、気になる?」

「え――」

(気づいている?)

 公子は顔が赤らむのを感じた。

「どうして……」

「回ってこないと思ってるな? 安心しなよ、ちょいと根回ししといたから。よくある手だけど秋山まで回してやるよ。回してみせる」

 ペアが変わる刹那、頼井は自信ありげに言い切った。

(まさか? どう考えたって回ってこないわよ。曲を二回流すだけじゃ、とても……)

 頼井の冷やかしだろうとは思っても、何かしら期待してしまう公子。

 秋山はと見ると、ちょうど要と踊っているところだった。

(カナちゃん、うれしそう……。いいな。秋山君はどう思ってるんだろ)

 秋山は誰と踊っていても、同じ笑顔をしているように、公子には見えた。

 それからしばらくして、二回目の曲が終わった。

「アンコール!」

 不意に叫んだのは、頼井とその周りの男子達。やや遅れて、そこかしこで同じようにコールが起きる。徐々に広がる波紋。やがてその声は男女の別なく束となり、大合唱になった。

 先生らが数人集まって何やら相談に入る。時計で時刻を確かめるような仕種が見られた。

 ざざっと、アナウンス前の雑音が入る。生徒達は静かになった。

<アンコールの声が多いので、特別に――>

 アナウンスの続きをかき消すような、大歓声が起こった。

 公子もその場で、軽く飛び跳ねてしまう。

(頼井君たら、こういうことだったのね。これまでなかったアンコールを認めさせちゃうなんて、凄い)

 見ると、うまく頼井と視線があった。小さくピースサインをしてきたので、公子も同じく小さなピースサインを返した。

(根回しって、先生や生徒会、実行委員の人達に言っておいたのかな? アンコールの声だって、知り合いみんなに頼んでいたのかも)

 曲が始まった。

(あと八人で、秋山君とペア)

 どきどきする。秋山が近づいて来るに従い、まともに顔を上げていられなくなる。

「公子ちゃん」

 来た。

「大丈夫?」

「う、うん、平気!」

 秋山に手を握られた途端、いつもと違って元気が出てきた公子。胸の鼓動も、すーっと落ち着く。

(うれしい――今年、こうして踊れなかったら、もう次はなかったもの。あなたと踊れるの、多分これが最後になる。だから、しっかりと記憶に刻んでおく。秋山君も、少しでいいから覚えていてほしいな……)

 フレーズが終わり、手を離す瞬間、公子は全神経を自分の指先に集中させたつもり。名残惜しくてたまらない。

(終わっちゃう……。ありがとう。素敵な思い出、もらいました)

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