第9話 夏休みの宿題片付け作戦その2

 公子はノートをぱたりと閉じ、やや大きめの声で言った。

「終わりっ」

「さすが、早いわね」

 と、悠香が感心したように言う。

「秋山君、ありがとう、色々と教えてくれて」

「いや、それほどでも」

 退屈そうにしていた秋山は、大きく伸びをした。退屈してくるのも道理で、今や誰もが写す作業に没頭していた。

「いいなあ、キミちゃん」

 要はうらやましそうにしている。公子が宿題を終えたことに対してなのか、それとも秋山と二人で話していることに対してなのかは、定かでない。

「いても邪魔かしら」

「そんなことないって。時間がいいなら、もっといてよ。その方が楽しいし」

 他人の家で好きなことを言う頼井。

 けれど、公子にとっても、秋山がいるのなら、ここにいたい気持ちが強い。

「六時前か……まあ、大丈夫だけど。ユカ、電話、貸して。家に電話したいの」

「いいよ。電話のある場所は分かるわよね」

「ええ」

 立って、電話のところまで出向き、母親に用件を伝えた。ひょっとしたら、もう少し遅くなるかもしれない、と。

「どうだったの」

 戻ってみると、秋山が聞いてきた。

「許しは出たわ。ただ、帰ってくるとき、一人きりになりなさんなってうるさくて」

「あ、それなら」

 と、宿題から目を上げて、頼井が口出ししてくる。

「僕が送ろう」

「あんたが終わるのを待っていたら、何時になるか分からんわい」

 と、舌を出した悠香。

「……当たっているかもしれない。仕方ない。秋山、責任持って送ってあげるんだぞ」

「俺が?」

「他に暇な奴も、男もおらん。家の方向だって、だいたい同じだろう?」

「それはそうだけど……」

 困惑した様子で、秋山はその面を公子へと向けてきた。

「私なら一人でも平気よ」

「それは違うよ。用心に越したことはない。物騒な世の中だしな」

 分かったような口を利く頼井。大方、不特定多数の女子とデートするとき、いつもこれを口実に送っているのだろう。

「送る」

 秋山がきっぱり言った。彼の方が真剣になってしまったらしい。

「無理しなくていいのに」

 と、公子がこぼしたそばで、要がまたうらやましそうにしていた。それに気づいた公子は、要の耳元で囁く。

「カナ、がんばって、早く終わらしちゃえ。いつかみたいに、いっしょに帰ろっ。ね?」

「う、うん」

 多少、戸惑ったかのようにきょとんとする要。それは一瞬のことで、次にはもう唇をぎゅっと噛みしめていた。

「私、がんばる」

「その意気」

 こんなとき、くすっと微笑めてしまう自分が、自分でも不思議な公子。

(応援するんだもの……ね)

「あーあ、こんなにかかるとは思わなかったぜ。腹減ってきちまった」

 頼井が、いかにもつらそうな声を上げた。

「何にも出ないわよ」

 鉛筆を動かしながら、きっぱりと悠香。

「そんな冷たい……。何でもいいから」

「自分の家に戻れば? それか、材料はあるから、作れる物なら作ってみなさいな」

「インスタントならともかく、一からの料理、俺にできるわけないだろうが」

 肩を落とした頼井の視線が、公子をとらえた。察した公子は、ぎくっとする。

「公子ちゃーん」

「な、何でしょう」

「折角、お手も空いたことですし、ここは一つ、料理の腕をここにいるみんなに披露してみるってのはいかがなもんでしょう」

 予想した通りの展開に、額を押さえる公子。

「じ、自慢にならないけど、わ、私ができるのはピラフとオムレツだけ。あとは二つを併せてオムライスぐらいで……」

「それならちょうどいいわ」

 悠香の言葉が、公子には悪魔の囁きのように聞こえた。

「え……」

「玉子もたまねぎも鳥肉もあるわよ。もちろん、トマトケチャップも。グリーンピースはないけれどね」

 ウィンクする悠香。

「ご飯は……あるよね、当然」

「ある。もちろん、米から炊かなきゃいけないよ」

「うーん……」

「やろう、公子ちゃん」

 突然、秋山が言い出した。

「僕が手伝うよ。聞いている内に、食べたくなってきた」

 頭が痛くなってきた。公子はそんな気がした。

(がーん。食べるの? 秋山君が? 私の料理を……?)

「台所、どっち?」

 気の早いことに、秋山は悠香に台所の位置を聞いている。

「そっち」

 鉛筆で指し示した悠香は、面白そうにしている。

「あ、本当だ。きれいに片づいているな。さ、何でも言って、公子ちゃん?」

「……はーい」

 仕方ない。覚悟を決めた公子は、それでもとぼとぼと、ゆっくり台所に向かった。

「私も手伝いたいなあ」

 要は宿題どころではなくなっているらしい。さっきから、秋山と公子の仲が気になってたまらない感じ。

「カナは宿題」

 にやにやしている悠香は、公子一人に料理をやらせてみたいのか、要を引き留めた。要は名残惜しげではあるが、宿題に再び取りかかる。

「まず……ご飯ね。お米は三合ぐらいでいいかしら」

 他人の家の電気釜を手に、上目づかいに考える公子。

「三合ってどの程度?」

 手を洗う秋山。

「えーっとね、大人の男の人が食べる四杯か五杯分ぐらいが三合だと思う。鳥肉とかたまねぎ入れていたら、私達五人では多すぎるかもしれないわ」

「……三合でいいんじゃないの? 少ないよりは多い方がまし」

「それもそうね」

 くすっと笑って、お米を三合分、釜に入れる。ちなみに無洗米ではない。

 続けて流しの水道、蛇口下に釜を持っていき、水を大量に入れる。軽くかき回し、九割方の水を捨て、残りで米をとぐ。親指の下あたりを使って、ぎゅ、ぎゅ、とこすり合わせるように、力を込める。

 ある程度やったら、再び水を入れる。白く濁った水を再び九割方捨て、以下繰り返し。

「大変そうだ」

 感心したように言う秋山。

「それほどでもないって」

「あ、僕にできることは?」

「じゃあ……たまねぎを」

 始めてみると、案外、てきぱきとやれた。そんな実感を覚えながら、公子は秋山にするべきことを伝える。

「うわー、目にしみる!」

 洗ったたまねぎを刻んでいた秋山が、急に叫び始める。手の甲で、しきりに目をこすっている。

「目、真っ赤よ」

 悪いとは思いながら、笑ってしまう公子。

「ゴーグルか水中眼鏡、あったらな。畜生っ」

「ユカに聞いたげようか?」

「いいよ、もう。あと少しだ」

 赤くなった目に涙を浮かべながら、秋山は最後の一個まで、たまねぎを切り刻んだ。

(最初、気が重かったのに、楽しくなってきちゃった。もしも秋山君といっしょになれたら、いつもこんな風にご飯を作れるかな)

 手を動かしながら、そんな状況を思い描く公子だった。


「お待たせ。自信ないけど」

 七時を前にして、オムライス五人前が完成。「待ってました」とか「いい匂い」等の声が飛ぶ。一人、要だけはまだ、うらやましそうな表情を隠そうともしていない。

「早速、食べよう」

「待って、頼井君」

 テーブルの上を片付ける頼井に、公子はストップをかけた。

「はい?」

「先にお母さんに言っておいた方がいいよ。遅くなるって」

「ああ、そのこと。この前、散々、公子ちゃんから言われたからね。出てくるときに言っておいたよ」

「ばかも少しは成長するらしいわね」

 横合いから悠香がぼそっと言うと、頼井はそちらをじろりと見た。

「ユカ、おまえなんかに言われたかないねえ。さ、気分悪くなる前に、早く食べたいな」

 小さくて黄色いラグビーボールを縦半分に切ったような形が、テーブルに五つ並ぶ。そのそれぞれに、ケチャップで赤く波が描かれている。付け合わせは適当なのがなく、申し訳程度にパセリが一つずつ。

「味見したから、大丈夫とは思うけど……薄かったら、ケチャップかけて。濃かったら、ごめんね」

 不安がる公子の隣で、秋山が強く断言。

「絶対、うまいって。僕が保証する」

「それなら安心して」

 スプーンを手に、悠香。

「いっただきまーす」

 口々に唱えて食事開始。もちろん、公子はとてものんきに食べる気にはなれず、全員の様子を見守るしかできないが。

「うん、うまいよ」

 最初に頼井が言った。

「その、お世辞はいいから」

「お世辞じゃなくて、本当にうまいったら」

「ほんと、おいしいわよ」

 要も素直に感心している。

「キミちゃん、料理、こんなに上手だっけ?」

「カナの言う通り、私もいささか驚いたな、こりゃ」

 黙々と食べていた悠香が、コップの水を煽った。

「いつだったか、一年のとき、三人で料理やってみたことあったじゃん。あのときは、まあ、私も人のこと言えないけど、公子もカナもひどかったもんね。砂糖と塩の区別がようやくできるぐらい」

(それはいくら何でも大げさすぎると思う)

 と、抗議したくなった公子だが、まあ、料理はほめられたんだからいいやと、口には出さないでおく。

「たまねぎの大きさがばらばらなのが、またお茶目で」

 頼井がスプーンにたまねぎの切れ端を載せながら、半ば茶化すように言った。すると、

「それは俺がやったの」

 と、秋山がフォロー。

「あら、やっぱり。いっそ、全部、公子ちゃんに任せればよかったのに。秋山『先生』たら、出しゃばっちゃって」

「その分、食えるのが遅くなったかもしれないんだぜ」

 公子は二人のやりとりを眺めながら、

(私がやってても、たまねぎは苦手だから、ばらばらになったかもしれないよ。それよりも……秋山君が手伝ってくれたから、こんなにうまくできたような気がする)

 と、言葉にできない思いを次々と浮かべていた。

「あー、うまかった。おかわり、ない?」

 早くも平らげた頼井。スマートな身体のどこに収まるのか、不思議な感じだ。

「ちょっとご飯が残っているだけで……」

「残念」

 頼井の様子を見て、公子は自分の皿に視線を落とした。ほとんど手つかずのオムライスがそこにはある。

「これでよかったら……少し、食べかけだけど」

「わ、ありがたい」

 という頼井の言葉をかき消すように、他から声が上がる。

「キミちゃん、自分は食べないの?」

「そうだよ、公子。こんな奴にたくさんくれてやることないって」

「公子ちゃん?」

 三人目の秋山は、ただ公子を見つめ返すだけ。

「いいの。私、もう帰ろうかなって」

「え? そんな、作るだけ作って……」

 秋山は頼井の方を振り返った。

「おい、何とか言えよ」

「公子ちゃん、ごめんよ。作るだけ作ってもらっておいて、それで帰すなんてことさせられない」

 さすがに頼井も気まずそう。

「ほんとにいいって。予想外にオムライス、おいしくできたから、気分よくなっちゃったのかな。あはは」

「だったら」

 秋山が立ち上がった。

「送るよ。さっき、言ったからね」

「それは」

(うれしいけれど、カナが……)

 秋山を見つめながら、要のことを考える公子。案の定、要が主張を始めた。

「私も帰りたーい。いっしょに行きたいなぁ」

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