第7話 思い出の場所

 一旦、顔を引っ込めた公子はもう一度、そろりそろりと覗いてみた。今度は隠れるようにして。

(やっぱり。Tシャツ姿だけど、秋山君に間違いない。玄関に来てるのは、小学生ぐらいの子供のはず。ということは……)

 公子は模型の飛行機を手に、急いで部屋を出た。派手に音を立てて階段をかけ下り、玄関先に向かう。

「あら、公子」

「こ、これでしょ」

 母親の声はスルーして、そこにいた小学生低学年と見受けられる男の子に、飛行機を示す。その子の緊張で強張っていた表情がほぐれ、すっと明るくなる。

「あ、それ! ありがとうっ」

「よかったわね」

 飛行機を手渡す公子。さすがに小学生低学年相手なら、初めてでもスムースに話せる。

 母親が引っ込んだところで、公子は重ねて聞いてみた。

「ところで……外で待っているおにいちゃん、知り合い?」

「何で知ってるの?」

 帽子をかぶった頭を上げる男の子。

「二階から見えたから。それで、知り合いなのかな」

「うん、いとこのおにいちゃん」

(いとこ……。親戚の子供と遊んであげてるのね、きっと)

 公子はそう思いながら、靴を履いた。

「どしたの?」

 あとからついてくる男の子は不思議そうにしている。

「うふふ。おねえちゃんの知ってる人だから、会いたくなって」

 扉を開けると、すぐに秋山の姿が目に入った。

 よそを向いていた秋山は、戸の開く音にこちらを振り返った。けれど、あわてたようにまた顔をそむけ、左手の方に歩き出そうとさえしている。

 公子は急いで門の先まで飛び出した。

「秋山君!」

「にいちゃん!」

 黄色い声が二種類、重なる。立ち止まり、振り返った秋山の顔は、仕方なさそうだった。

「――やあ」

「やあ、じゃないわ。どうして逃げるの?」

「そうだそうだ。置いて行くなんて、ひどいぞ」

 小さな男の子は、低い位置からの抗議。

「だいたい、今のは、おにいちゃんが飛ばした飛行機だよ! それを僕に取りに行かせて」

「ごめんな」

 元の場所まで戻って来て、秋山は男の子の頭をなでた。

「秋山君」

「公子ちゃんも、ごめん。その、びっくりしたろ、いきなり飛行機が飛び込んできて」

「それはそうだけど……それより、知らん顔するなんて、秋山君らしくないというか……」

 心配になってきて、胸の前でお祈りの格好に手を組み合わせる公子。

「それは……」

 言い淀む秋山。いつもに比べると、歯切れが悪い。

「……言ったら、笑われるから」

「どうして? 笑わない」

「……子供っぽいと思ったろ?」

「え?」

 何のことだか分からず、きょとんとしてしまう公子。その正面、秋山の顔は心なしか赤い。

「中学二年にもなって、飛行機のおもちゃで遊んでるんだから」

「それって、この子と遊ぶために……」

 公子は男の子を手で示した。

「あのね、おねえちゃん。にいちゃんの部屋、飛行機でいっぱいだよ!」

「わ、よせ!」

 後ろから男の子の口を押さえようとする秋山。しかし、彼の行為は何の役にも立たなかった。

「手作りもいっぱいあって。それで、僕がどれか飛ばして遊びたいって言ったら、こいつを飛ばそうってことになってさ」

「そうなの、秋山君?」

 視線を投げかける公子。

 男の子の口から手を離した秋山は、あきらめたようにうなずいた。それから、ごまかすように笑う。

「へへっ。あーあ、知られたくなかったんだよなあ」

「隠さなくてもいいじゃない。凄いわ、わざわざ自分で作るまでして」

「これぐらい、作ろうと思えば誰でも」

 とは言いながらも、まんざらでもなさそうな秋山。

「あれ? 知られたくないんだったら、どうしてこんなとこまで来て、飛ばしていたの? 秋山君のお家、もう少し……」

「僕の家の周りはだめなんだ。車が多くってさ」

「あ。危ないもんね」

「うん。空地がないのは仕方ないにしても、遊び場がどこにも……公園さえかなり歩かなきゃならない。その点、この辺りは滅多に車が通らないだろう? 道でやっても、ちょっとぐらいなら大丈夫かなと思ったんだ」

「そうね。大通り一つ隔てただけで、大きく違うもんね」

 改めて、自分の家の周りを見渡す公子。見通しのよい広い道路、その脇には小さいながらも川が流れている。ところどころだけど、緑も残っている。子供が遊ぶにはいいところだと、心から思う。

「事故に遭わない代わりに、公子ちゃんの部屋に飛び込んじゃって……。運が悪いなあ」

「私は楽しくなったけど。退屈で仕方なかったから」

 意識せず、公子は相手に、にこっと笑いかける。秋山の方も、多少、苦笑い気味ではあったが、完全に笑顔を見せた。

「それならまあ、よかった」

「なあなあ、早く飛ばそうよ」

 待たされていた男の子は、辛抱できなくなったらしい。

「ああ、そうだな。じゃあ」

 秋山が軽く手を振るところへ、公子は言葉を投げかけた。

「あ、あのさ、さっき、空地がないって言ったけど」

「ん? ああ」

「小学生の頃、よく遊んでいた原っぱ、どうなったの?」

 公子自身はあまり行ったことはなかったが、よく男子達が遊んでいた原っぱが、確か秋山の家の近くにあったはず。

「あそこは一年前からかな。材木置場みたいになってるよ」

「そうなの……」

 寂しい気持ちになる。

「行ってみる?」

「――うん」

 母のことが気になったものの、すぐに結論を出した公子。さほど時間がかかることもあるまい。男の子も連れて、三人で歩き出す。

「この子、名前は何ていうのかしら?」

 公子の問いに、男の子自身が元気よく答えた。

伊達一成だてかずなり、だよっ」

「えっと、叔母さん――うちの母親の妹の子供になるんだ」

 秋山が補足する。

「夏休みだから、家に泊まりがけで遊びに来ててさ。世話を頼まれたわけ」

「ふうん。ねえ、一成君」

 ふと、意地悪な質問を思い付いた公子。それが表情にも出ている。

「何?」

「宿題、終わった?」

「ま、まだだよ。いいんだ。一週間あったら何とかなるから」

 何で今、そんなこと言うんだよとばかり、げんなりした顔つきになる一成。

「一週間が五日になって、それがいつの間にか三日、一日ってなるのよねえ」

「うるさいなあ。おねえちゃんは終わってるのか?」

「私は……」

 はたと我が身を思い出す公子。

「今日、友達といっしょに、片付けるつもり」

 今度は秋山が公子に顔を向けた。

「終わってないんだ?」

「え……ええ」

 気恥ずかしくなって、下を向いてしまう。

「当然、秋山君は……」

「当然かどうか分からないけど、終わってる。そうだ。見せてくれって頼井に言われて、今日、二時頃にあいつの家に行くんだ」

「ほんと? だったら」

(私達の方にも来て、分からないとこを教えてくれないかしら……)

 調子よすぎるかなと思い、語尾を濁した公子。

「そっちに行こうか。石塚はいないけど、いつかみたいに集まって」

 公子の期待が伝わったのでもないだろうが、秋山が言った。

「そんなの、悪い」

 口ではそう言っても、内心、うれしくてたまらない。公子の表情が、自然とほころぶ。

「いつまでかかるか分からないから、秋山君は暇になるよ」

「別にいいよ」

 何ともないように、さらりと答える秋山。

「でも」

「ああ、やっと見えた」

 唐突に、腕で一方向を差す秋山。

 そっちには、ビニールの紐で周囲をくくられ、立入禁止になっている一区画の土地があった。敷地内には材木を初めとする建築資材が所狭し――と言っても半分ぐらい――と置かれてあった。

「全然……違っている」

 公子は半ば、呆然としていた。

「草がもっと生えていたわ。笹とかすすきとかも、奥の方にぶわーっと」

 植物の類はきれいに刈り取られ、一部の地面はコンクリートで固められてさえいた。

(遊んだの、たった三年前のことなのに……変わった。変わりすぎ。ここから見通せる景色は、さほど変わっていないのに。ここを中心に、段々、変わっていくのかな……)

 公子の心中を察したように、秋山がぽつりと言った。

「変わったよね」

「こんな風に何もかも、知らない内に変わっちゃうのね……」

「――そんなことないよ」

 強い口調の秋山。

「え?」

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