第2話 すでに過ぎ去った恋

 その瞬間、私の喉からは、え?という驚きの声さえ出なかった。声をなくすほど、受けたショックは大きく強かった。

 黙っていると、秋山君が続ける。

「その……付き合ってほしいんだ。……どうだろう?」

「……」

 しばらく、何も考えられなかった。

「公子ちゃん?」

「……そんなこと……」

 知らず、私は首を横に振っていた。

 本当はうれしかった。けれど、やっぱり早すぎるという意識が働いたし、気持ちが整理できていなかった。何よりも、秋山君と付き合い始めたとして、うまく付き合える自信がほとんどなかったのだ。告白を受けておきながら、お喋りさえ満足に続けられないとしたら、秋山君は怒るかもしれない。私もそれには耐えられないし……。

「だめ、なのかな」

 だめ、という単語が、ずしりと重たく聞こえた。あわてた。

「ううん! ……あの……あのね。わ、私、秋山君のこと、嫌いじゃない……嫌いじゃないわ。けど……私達がそういうこと考えるのって、早すぎる、と思う……」

「で、でもさ――」

「それにね」

 秋山君の話を聞くと、ずるずる行きそうで恐かった。私は必死に声を出していた。

「それに……秋山君、急すぎる……。私……まだ、誰かと付き合うなんて……考えられない」

「……そう……」

 秋山君、寂しそうに言った。そして笑った。無理矢理に作った笑顔だったかもしれない。

「友達でいてくれるよね?」

「うん」

 初めて私は顔をしっかり上げ、こくこくとうなずいた。こちらこそ、友達でいてくれなきゃ嫌――そんな気持ち。

「それならいいよ……。ごめん、こんなこと、急に言って。公子ちゃんの気持ちも考えなくて……」

「ううん、いいの。……いいから」

 私の顔は、きっと真っ赤になっていただろうな。ひょっとしたら、迷惑がっているように、秋山君の目に映ったかもしれない。

「ほんと、ごめん。……じゃあ」

 ランドセルを一方の肩だけで担ぐと、秋山君は一目散に走り出した。

 私は、万が一にも秋山君と顔を合わすことのないよう、だいぶ時間が経ってから、校門を出た。


 これだけなら、いい思い出ですんだはず。けれど、翌日の朝、学校に着いてからがよくなかった。

「ねえねえ、朝倉あさくらさん」

 下駄箱の前で、あまり親しくないクラスメートがいきなり話しかけてきたので、私は不思議だった。

「秋山君に告白されたって、本当?」

「え――」

 どうして知ってるの? 見られてた? そういう疑問がわいたけれど、言葉にならない。昨日の告白と同じくらい、ショックを受けてしまった。

「ねえ、本当なの? 教えて。それと返事は?」

「……誰がそんなことを」

「男子達、言ってるわよ」

 そう聞くなり、私はその子を振り切るようにして、走り出していた。教室にかけ込み、噂していそうなグループを探す。

 しかし、先に質問責めにされた。女子も男子も関係なく、どっと集まってきて、さっきと同じ質問を聞いてくる。

「や、やめてよ」

 弱々しい声しか出ない。私はまた赤面するのを感じ、うつむいていた。

 そこへ、新たな歓声がした。秋山君も来たのだ。何の騒ぎだよとか言っていた彼は、その内、大声で言い始めた。

「してないよ、朝倉さんに告白なんて」

「嘘だあ。自分、見ていたんだ」

 男子の一人が声高に言った。

「昨日の夕方、国旗の台の下で、秋山君と朝倉さん、いっしょにいたとこ、見たよ。あの様子、絶対、告白してたんだ」

「していない。たまたま、話をしてただけ」

 秋山君は否定を続けた。それが、私の心にずきずき来た。どうして本当のことを言わないの? 恥ずかしいから? それとも昨日の告白は本気じゃなかった? 色んな考えが頭の中を回る。

「朝倉さんに聞いてみようぜ」

 別の男子が言った。私はぐっと身構えた。話すのが苦手な上、どう答えればいいのか分からない。

「朝倉さん。秋山君の言っているの、本当? だとしたら、どんな話をしていたの?」

「……ほ……」

 私は秋山君の顔を横目で見た。顔をそらしてしまった。

「……本当、よ」

「じゃあ、どんな話してたのよ」

 女子も聞いてくる。

「そ、それは……日直。日直だった私を手伝ってくれたから、秋山君が。だから……その帰りしな、お礼を言ってたの」

「そうなの、秋山君?」

 また別の女子が、秋山君に再確認をする。

「そうだよ。朝倉さんの言った通り」

 分かったかという感じで、その場を離れようとする秋山君。

「仲いいんだよなあ。じゃあ、もしどっちかがどっちかに告白なんてしたら」

「な……」

 秋山君の顔も、少し赤くなっていた、と思う。

「何を言い出すんだよ! 僕はいいとしたって、あ、朝倉さんのこと考えろよ」

「『いいとしたって』ってことはぁ、秋山君は朝倉さんを好きなんだ」

「何でそうなるんだよ」

「だってさあ、そうとしか思えないじゃない。ねえ」

 クラス中が、一つの結論を決めてかかって、それを目指して進んでいるように感じられた。

「そうよ。どう考えたって、秋山君、朝倉さんに特に優しいし」

「やめろよ。同じ。誰だっていっしょだったら」

「それなら、朝倉さんに……。朝倉さん、あなたはどう思うの、秋山君のこと」

「……」

 私が答えないでいると、秋山君が「やめろよ」と言ってくれた。もう泣きたかった。

「答えてみてよ。何でもないんなら、どうでも答えられるんじゃないの? さあ、好きか嫌いか」

 このとき、最悪なことに、周りのクラスメートが、囃し立て始めた。「言えよ」「教えてくれていいじゃない」といった声が、やがて、「言ーえ、言ーえ」というひとまとまりの合唱を形成する。

「やめろってば」

 必死に秋山君が止めようとしたけど、収拾はつかない。

 私は両手で耳を押さえた。でも、コールはずんずん耳に響いてきて……我慢できない。私は顔を上げ、思い切り叫んでいた。

「嫌いよ! これでいいでしょ!」

 しかし、それだけじゃなかった。もう一人の声が重なってした。

 秋山君の声だった。それはこう聞こえた。

「言ってやるよっ。嫌いだ!」

 合唱は急に消え、しんとなった。

 私は周りが見えなくなった。ただ、秋山君の顔だけが見えていた。

「あ」

 秋山君の表情は、そんな声を漏らしているようだった。

 私は何か言おうとしたが、何も出てこない。代わりに、涙がぽろぽろと、勝手にこぼれだした。

 いけないととっさに思い、手で顔を覆いながら、廊下に飛び出した。

 教室の中では、「泣ーかした、泣ーかした」という新たな合唱が起こり始めていた。


 この『事件』の日から何日ぐらい経っていただろう。ようやく、噂にされなくなった頃、秋山君が私に謝った。私も謝った。

 そして、友達でいようねという確認をして……終わった。


           *           *


(断ったという事実は変えようないもんね)

 一通り追想を終えた公子は、目尻にわずかに浮かんだ涙を指先でぬぐった。

(あんなことあったんだもの。今さら、私から秋山君に気持ちを伝えられるはずがない)

 そこまで考えて、ふと思ったこと。

(今の秋山君、誰か好きな子、いるのかな?)

 これまで浮かびもしなかった疑問だった。今でもひょっとしたら秋山君は私のことを想ってくれてて、もしも自分が勇気を出して告白すれば、受けてもらえるかも――そんな淡い期待を勝手に抱いていた自分を見つけ、顔が熱くなる。

(やだっ、こんな大それた……。想像するだけで恥ずかしいっ)

 公子は頬に手を当てた。その拍子にシャープペンシルが転がって落ちたのに気づき、緩慢な動作で拾う。

(あーあ。当たり前だけど、秋山君の気持ち、分からないんだ。中学入ってからも、結構、女子の人気あるみたいだし。決めるのは秋山君。私は……やっぱり、もうだめだろうな。秋山君、優しいから、友達としては続いているけれど。だから……カナの気持ちを伝える……のは無理にしても、橋渡しぐらいはして当然よね。ここで邪魔したら、私って凄く意地悪になっちゃう、きっと。よーし、決めたっと。できるだけカナの応援、しちゃおう)

 どうにか自分を納得させた公子は、いくらか気分もすっきりしていた。

 しかし、机の上に広がる宿題を再認識して、さっきまでとは別の意味でため息をつくのだった。

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