第19話 泣きっ面に班長

 いつも通りノックもせず、ぶしつけにドアを開け、事務机を前に座る班長イーマの後ろ姿を見た途端、ウメコは掛けようと用意していた言葉をゴクンと呑みこんだ。


――外労連げろうれんのバグモタ倒してやったよ!――


 ウメコは開口一番、落ちた気分など振り払い、得意げにこう言い放つつもりだった。長いつきあいから、イーマには気分の良し悪しに極端な調子があるのはわかっている。けれどウメコは他人の機嫌など気にかけないたちだし、むしろ鈍感で大抵怒らせてからそれと気づくことが多かったが、このときばかりは背中から殺気のようなものが立ち昇っているのを察知し、一瞬立ちすくんだ。


 イーマは椅子を回して振り向くと、クイとアゴを動かして言った。「座んなよ」


 ウメコは事務机のすぐ脇の、応接テーブルを囲んで置かれたソファに、おそるおそる腰かけた。


「いろいろやらかしてくれたな」イーマは帰りを待つあいだ、煮えくり返る腹は大分おさえたつもりだったが、口調から怒りのトーンは消せなかった。


「やらかしって、そりゃ虫は逃げられたし、虫かごも壊された。けどしょうがないでしょうよ!外労どもが3機も現れたんだから!そいつら倒してやったよ!ほら」ウメコは今日一日の記録データの入った小梅のキーを突き出すように渡した。


 イーマはそれを無言で受取り、卓上のトランスヴィジョン端末のスロットに差し込んだ。


 本当なら一日の労をねぎらい、無事に帰ってきたことを褒めてもらいたいところだったけれど、つれない班長の背中を見ながらウメコは、さっき聞いた伝言の声とは打って変わったイーマの態度の急変も、ままあることだしと寛大な気持ちで受け流し、やや理不尽にさえ思える怒りも、無理はないと大目にみて、端末モニターで記録を照合しているイーマの認識が早いとこ改まるのを待った。


――班長は蝶ちょのことは、まだ知らないのだから――


 この様子だと、例によって現場の事情を知らない支部長から、いつものようにお小言が入ったのだろうと察した。しかしウメコは逃がしたとはいえ、昼間の蝶の発見という素晴らしい僥倖ぎょうこうを思い返すと、そのあとの失敗や、ついいましがたのピリッとした緊張感など忘れ、イーマの態度も気にならず優しい気持ちをとり戻せるのだった。「上から、お叱り受けました?なにも知りませんからね、現場のことは。フフフ。知ったら驚くでしょうよ」


「こっぴどくやられたよ、バカヤロー!越権行動が過ぎるってな!」イーマは、ウメコの無神経で余計な、かんさわるひとことにたまらずキレて、後ろ向きのまま言葉を投げつけた。


「越権!?」ウメコはソファに沈めていた背を持ち上げた。「大げさな!そんなの許容範囲のうちでしょ!今日の成果見ながらよく言えるよ班長!」


「確かに、想定ノルマ以上の高クラック虫の捕獲は認められる。そこまでは上々の出来だった。けど逃がしたんだろ?原因は何故だ?」イーマは蟲煙管むしきせるを灰盆に置いて机から向き返り、片肘を机上に乱暴に置いた。「それから何?外労げろうバグモタ倒したって?おまえが指定労務外行動とったからだろ?そもそもが規則違反なんだよ!」


「なに切れ間のこと?ちゃんと見てよ!あんな切れ間を発見したら、そりゃ行くでしょうよ!捕虫要員のまえに、開拓労民としてだよ!」


「そこで捕まえた虫を補給してるな」


「そりゃ、非常事態でしょ!」


「それを招いたのは自分だ。しかもそのまえにも補給してるな。あんたの階級じゃ禁止のクラック値だ」


「そんなの些細なことだろ!いつもなら黙認される話だよ」


「通常ならさ。確かにこんな切れ間は普通じゃない。そのデータは貴重だ。いつもならお手柄、非合法バグモタやっつけて検挙に協力、だけどね、クラック値違反にノルマの失敗、バグパックの破損、アンテナ10基倒壊、いや、まだそれを引き換えにしても、この切れ間のデータは貴重かも知れないな。だけど捕まった反捕虫圏居住民アンチネッツの奴、なんて供述してるか知ってるか?『虫を大量殺虫した奴をみつけたから』と言ってるそうだ。どういうことなんだ?」


 ウメコは面食らった。「班長、ちょっと待ってよ。なに言ってるの?・・・」


「あんたが大量殺虫の犯人だと思ってわざわざ捕まえに出向いたんだと。あの無登録犯どもは」


「んなバカな!なんで私がそんなことするんだよ!だいいちあんなの私一人でできるわけないだろ!どうかしてるんじゃないの?支部長が言ったのかよ、そんな戯言たわごと!考えなくてもわかるでしょうよ、そんなこと!」


「わかるさ、そんなこと記録照合するまでもないことだよ。だけどあいつらはそう主張してるんだ」


「だいたい連中がって何様なんだよ!無断で捕虫圏トランスネットに侵入してきてさ、しかもれっきとした開拓労民に向かってだよ!あんな外労どもの戯言たわごと訊くほうがおかしいよ!」


「おかしいさ。だけど連中はこちら側が大量殺虫してるという主張を流すつもりなんだよ」


「バカな!」


「あんたが呑気に見物してる映像を送って来た。まるで経過を観察してるかの様子のな」


 イーマが端末モニターに映し出した映像は、昼間ウメコが切れ間の中で小梅のハッチに座っているところを遠目に撮影したものだった。映像の中でウメコは周囲を見まわし立ち上がり、コクピットに戻って再び出てくると、バトンを片手に何か大気から採取でもしているかのように見えた。


「ハハハハハ」ウメコは挑発的な笑いをもらした。「ワタシの記録と照合してみたらいい。班長、ちゃんと見て下さいよ。ワタシの発見したものをさ!」


 イーマは怪訝な表情で端末を指で操作して、もう一度ひと通り確かめてみた。「なにをさ」


「なにを!?節穴かよ!蝶だよ!映ってるだろ、切れ間の中にさ!」


「はぁ!?どこに・・・そんなもの映ってない」


「そんな!?小梅が察知したんだ、トランスネットのセンサーに引っ掛かったからでしょ!」


「そんな記録はない、ほら」


 ウメコは事務机の上のトラビ端末に身を乗り出して覗いた。情報画面には、あの朱雀揚羽スザクアゲハの記録などどこにも見当たらなかった。すでにキーを差し込んで情報を連合のトランストロンとすべて同期させたことで、昼間のアラートで知らせた通信制限以降の蝶の記録が反映されないのは、どう考えてもおかしかった。


――そんな・・・!――

「ウィキッド・ビューグルのいたずらじゃないのか?」イーマが訊いた。


「違う!」ウメコはきっぱり否定した。「私だって最初は思ったけどね、だったらアラートで知らせたりしないでしょ?通信だって切れたはずだよ。だいたい禁じられた蝶なんてイタズラでも飛ばすはずない。待って、私のトラメットの映像がある」


 イーマは画面を切り替え、ウメコの被ったトラメットのカメラからの視界映像にして出し、朝、班のガレージにやって来るまでの映像から、昼、コクピットから地面に降り屈伸運動らしき動作の場面まで飛び、さらにトランスヴィジョンによる合成加工を施されていない、自然な色調の場面まで飛んだ。すなわち、コクピットで切れ間の外気にウメコが顔を出したところだ。


 そしてこのあとすぐ大音量でずっと鳴り響く音楽、ウメコの声でさえもはっきり聞き取れない。しばらくしてコクピット内の映像は、ディスプレイを覗き込んでいるが、画面の映像は不明瞭だ。それから『小梅、音を止めて!』と『くわばら、くわばら』と言うウメコの声。


 それからなにかを探っているかのような動き、急にズームになるが、そこには何もなく、ただそのすぐ向こうの虫霧のベールしか見えない。途中でトラビの合成景色に戻るが、それは小梅越しに、コクピットの向こうの景色を捉えた場面だからだ。それもすぐに小梅のカメラによって補正され、自然なものと変わった。カメラを切り替えたところだ・・・。どこにも、あのときウメコの見た蝶の姿は映ってなかった。「そんな、バカな・・・・」


「フェイクだ。はめられたのさ」イーマは深いタメ息をつき、同情的な目をしてウメコを見つめたが、フト、別の可能性がよぎった。トランスヴィジョンの方で蝶を消した可能性を。「それとも、直に見たのか?」


 ・・・・・・見ていなかった。切れ間だからって、周囲を虫霧に囲まれて、肉眼で捉えらえるはずないし、そもそもバイザー無しに外気にあたるなんて普通ありえないことなのだ、直に見る、ということにウメコはあの時点で固執していなかった。なによりあのときは捕まえることに頭がいっぱいだったから。


 イーマはウメコを擁護できるわずかな可能性を諦めた。「やっぱりフェイクだよ。たぶん切れ間も、あいつらの仕業かも知れないな。あんたが夏の虫よろしく連中のテリトリーの中に入って来たから、そんなフェイク虫つかませられて狙われたのさ。通信も、そっちで一方的に遮断したことになってるな。こっちは切れ間と無登録バグモタ関連であんたが切ったのかと思ってた」


「こんなの全部トラビのせいだろ!おまけにトランスネットも脳トロンまで騙されてさ、被害者はこっちじゃないか!」


「だけど切れ間に蝶を見たなんて、疑わなかったのか?お誂え向きすぎる」


 言われてみればその通りだ。ウメコは弁解の余地もない。すべて自分の手柄欲しさに目が眩んだのだ。


「なにかの罠だと、わたしなら思うね」イーマは蟲煙管を取って灰を盆に落とし、缶から草をつめ始めた。「でもこれは、バグモタ狙いのただの外労連じゃないだろな・・・。たかがバグモタ狙いにしては、手が込み過ぎてる。相当な頭脳犯だよこいつら、アンチネッツの中の。きっと切れ間作るのが目的だったんじゃないか」


「そこまでわかってんなら、これ以上わたしを責めるのはやめてよね。理由ないね、もう」


「違反に変わりはないだろ」


「外労バグモタ倒したんだよ!?だいいち連中が切れ間作ってたんだとしたら、証拠つかんだのはこっちだろ!しかも連中、磁気虫まで使ってたんだよ!おかしいだろ!クラック違反くらいお釣りで済むと思うけどね!」


「これは内密だけどな!あんたが寄り道なんかしなければ、すぐあと入った保安労からの緊急補給の要請に応えられたんだ!このとき一番近くにいたあんたがだ!しかも最上の虫の捕給をできたはずだったんだよ!これは、ちょっとした成果となるはずだったんだ!このとき保安労は、この外労連追ってたと考えるのが普通だろ!いくらおまえが連中倒したって得意になってもな、保安労の成果を台無しにしたんだよ!おまえが!」


「フン、私が狙われてたんなら、結果は同じだろ」ウメコは目を落とした。声の調子はすでに、さっきまでの力を失っていた。「だいたい保安労に切れ間が見つけられたかどうかだよ」


「こんなこと公にできないんだよ、真相はどうあれ連中はこっちが虫殺して切れ間作ってたと宣伝するんだ。それで連中に同調する世論が少しでも集まれば奴らはそれでいいのさ。おまけに切れ間にいたのが、元レモネッツの班員だとわかれば、願ったりかなったりだな、奴らにしてみりゃさ」


 ウメコは言葉が出なかった。もうたてつく力も無くなった。脱力してへたへたとソファに腰を落とした。


「いろいろ不穏な時勢なんだ、わかるだろ」イーマが諭すように声をかけた。


「始末書必要?」


「始末書だけで済むかな」イーマは卓上のトラビ端末に向き直り、蟲煙管を一服吸って吐いた。「ま、また謹慎くらいは覚悟しといたほうがいいかもな。とりあえず明日は保全ノルマにまわってもらうよ。朝礼もないし、直に行ってもいいよ」


「いいよ、バニー借りてくから」バニーは、班で所持しているバグモタ、小型のシード級クラックウォーカー<バニービーン>のことだった。

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