第6話 蝶を追う

 ウメコはシートに戻ると、まずビービーうるさいモニター類の警告画面とアラート音を消した。それからトラメット(トランスヴィジョン対応ヘルメット)のバイザーを下ろして、それまで小梅のディスプレイから見ていた映像を、こちらに切り替え、バイザー内ディスプレイに直接、小梅のカメラからの視界を映した。


 小梅のウサ耳につけられたサブカメラがくるりと回転し、ちょうど6時の方向に映し出された蝶は、切れ間に入って、間近まで迫っていた。


 ここは慎重にやらないと、事を仕損じる。下手にバグモタを動かしたりなどして、せっかくの切れ間から虫霧の中に逃がしてしまえば、捕獲はより困難になってしまう。ウメコはとりあえず背中のバグパックに差してある捕虫網を小梅の右手につかませた。


 それからじっと、バイザーの中の、小梅の背後でひらひら舞っている蝶の動きを読もうとした。こちらに来そうなのだ。だからいま小梅を振り向かせるより、蝶のほうを小梅の前に行かせたほうがいい。そうして網を振り下ろす。ウメコはイメージをかためていく。もっと側まで近づいてくれたらいいけど、それにしてもまだ低すぎた。小梅の腰より上くらいがちょうどいい。ただその気配はまだなかった。と、そこまで考えて、ハッとした。


 ――切れ間なんだし、自分で捕ればいい!――


 バイザー内視界を自分の目線のものに半分透かし、ウメコはシートの後ろの物入れに入れてある、伸縮収納式捕虫網バトンを取り出し、再びハッチの上に出た。ウメコはコクピットの方を向いて片膝立ち、その見つめる視界は、再び小梅の後ろに向いたウサ耳のサブカメラからのものだ。ウサ耳は下方に向けて折れ曲がって、ずっと蝶を捉え続けている。チャンスだった。蝶の動きをマークさせて残し、他の視界を完全に自分のトラメット目線のものに戻した。ハッチの上で動くには、そうしないと足元が危ない。胸のハッチから下は5m近くあるのだ。そしてバトンをベルトの(防虫剤用の)スプレーホルスターに差してから、ハッチ裏に打ち付けて留めてあるいつもの縄梯子を地面へ垂らした。足を掛け、何歩か下りだした途端、地表に近いところでひらひら飛んでいた蝶は、いまや少しづつ上昇しはじめていた。


 アップワードハッチだったらスムーズに降りられたものを・・・!さっきとは一転、ダウンワードハッチで失敗したと後悔した。それでも、ウメコは自分の虫運を信じている。きっとまた下降してくるはずだと。


 もう少し降りてみて、しばらく待ってみた。依然として蝶は小梅の背後、5mほどの高さを飛んでいる。網を伸ばして背伸びすればまだ届くかもしれない。ウメコは自分の身長と網の長さを足してみる。しかし身長165センチに網の最長180センチを足しても3m45センチ。手を伸ばしてもまだ足りない気がするけれど、向こうが少し降りてきたら充分チャンスはありそうだ。さらに数段降り出したとき、蝶は何かを思い出したかのように、急に上昇し始め、このまま小梅の前へ躍り出そうにみえた。しかし小梅に近づきかけたとき、小梅に強力に吹き付けられた<防虫剤バグレぺ>の効果なのか、雑甲虫どもなら構わず近づくところを、過敏な蝶は小梅から横にそれて大きく迂回しそうな動きに変わった。――やっぱり小梅に乗ったほうが得策か!?――むしろ一匹の蝶をバグモタの捕虫網で捕るほうが、切れ間だからこそできる芸当かもしれない。ウメコは縄梯子をゆらゆら駆けのぼってあがると急いで巻き上げ、小梅のコクピットに戻ってハッチを閉めた。


 バイザー内を、操縦席より向こうの視界はすべて小梅のカメラからの全方位モードにした。これは操縦桿やコンソール周りだけはバイザーに映っているから操縦に支障はない。


 蝶は、ちょうど小梅のコクピットの中に座るウメコと同じ高さで、3時の方向にいる。操縦桿を握るウメコも操られている小梅も、じっと身構えていた。虫霧の中に逃げられないよう、奥行きがある前方に追い立てるべく、焦らず、じっくりタイミングをはかって――虫は前を見ずに追うべし――と。ウメコは謹慎期間中いそしんでいた古式捕虫術の修行を思い起こす。これであの長い謹慎期間も報われるというもの!こんなまたとない好機、しくじるわけにはいかない。そうでなくともこれは虫捕むしとりなのだ。基本中の基本。こんなこともこなせないようでは、捕虫労前線捕虫要員の名がすたる!


 

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