第5話 世界から音を奪う姫
そんな話は所詮、開拓連合のつくったおとぎ話プロパガンダだということくらい、
いまやウィキッド・ビューグルは開拓連合のシンボルというだけでなく、捕虫圏居住民の生活全般を統べる、時間と暦を司っていた。毎日の暦の「めくり手」にして、「とじ手」であり、朝の「起こし手」であり、夜の「寝かし手」だった。咲き乱れた花園ではなかったけれど、捕虫圏の指揮者にしてプリンシパルだった。そんなウィキッド・ビューグルは、トランスヴィジョンの中にしばしば現れては、開拓労民の労をねぎらったり、落ち込んでいれば励ましてくれたり、怠けていたら喝を入れてくれたりした。
だから最初のウィキッド・ビューグルが恵みをもたらす虫を播こうと播くまいと、それがやっぱり災いをもたらすためだと言われようと言われまいと、みなウィキッド・ビューグルへの敬意と愛着は変わらずもっていた。ノンコ者といわれようと、ウメコもそうだった。考えれば当り前のことだけど、世界に虫を播いたのはウィキッドビューグルじゃない。ウィキッドビューグルは――・・・。
『ウメコ、ウメコ!』小梅が音楽とウメコの夢想を遮って、コクピットの中から至急らしく呼びかけてきた。
虫
『コレ、見テミテヨ!』
ウメコは
「どうせウィキッドビューグルのいたずらだろ?トラーネ様の第三月だ、よくあるって。このまえなんてワタシ、トラビの中でミニスカートにされたんだから。それ、よく見たら蝶じゃなくて、貝だろ、ハハハ」
ウメコが笑うなり、稀少虫発見を知らせるアラートがバズズーとけたたましく鳴り響いた。当然、初めて聞くアラート音だった。「まさか!?」
『
「近くにいる!?」
ウメコはずっと夢みていた。稀少虫、非クラック虫の発見を。そのためにいつも小梅のバグパック脇の留め輪には、護身用に認められた警棒ではなく、どんなにバカにされようが、バグモタ用の大きな捕虫網を留めていたくらいだ。捕虫労仲間に「昭和時代の夏休みか!」とさんざんからかわれたけれど、向きを変えれば警棒がわりにもなるし、大体そんなことにはお構いなしのウメコだ。いつだって大手柄を当て込んでいた。けどこれは非武装派<ストロベリー・アーマメンツ>として、逆の意味で虚勢を張っていたのもあったし、なによりウメコはこの背中に網を差した小梅のスタイルが気に入っていたのだ。まさかこの半ばお飾りのような捕虫網を実際使うことになる日が訪れるとは。しかもこの大きな切れ間の中に向かってくるようなのだ。蝶が晴れ間にやってくる、ウメコはもし仮にこんなことわざがあるなら、その意味はどんなものだろうと頭をよぎるが、いまはそれどころではない。
『ウメコサン、虫燃料切レマデ残リ10分デス 急イデ補給シテクダサイ』
「なに言ってるのさ、こんなまたとないチャンスに!捕まえたら昇進どころじゃないぞ、
――記録は残るが、どうってことない――得られる結果に比べたら、多少の虫横領やクラック違反なんてたいした罪には問われないはずだ。けれどいつもは高クラック虫の補給を欲しがる小梅が、沈黙して喜びもしない。いざ、違反するとなったら、自分は加担したくはないんだ。ここで積極的になって、誘導したのを疑われるのを怖れているらしい。
トランスヴィジョンの通信は切られていた。稀少虫にかかわらず、高クラック虫の発生をバグモタが自己のレーダーから単独で探知したとき、
班長にだけは伝えておこうか、班のガレージにいたらいいんだけど、もうとっくに組合の虫屯地にいるだろう。しかしそんな律儀なことしてる余裕はない。これは正しい現場判断なのだと、ウメコは自身を持って意気込んだ。それにやっぱり、ウメコはそんな規制には縛られない、ノンコ者だった。
そのときウメコの頭に、さっき景色を眺めながらボーッと夢想してたときの断ち切られた断想が、ふいによみがえった。
――ウィキッド・ビューグルは、虫なんて播かなかった!――それに花園はもとより、存在しない果実もなにも世界から奪ってない。ウィキッド・ビューグルは確かに美しい音楽を欲していた。かつて蝶がひらひら舞うたび競うように奏されていた花園の音楽を、やはり魔女は望んでいたのだった。けどウィキッド・ビューグルは、あのとき蝶の取引きには応じなかったんだ。魔女はそんなにバカじゃない。蝶が羽を揃えて音楽を献上できるまで、人間の姿には変えなかったんだ。だからいまだに蝶は魔女に音楽を献上するため亡霊のように盗みにやってくるという。現にいまでも蝶の異名は「世界から音を奪う姫」という。その証拠にこの切れ間は、まるで羽音を奪われたくないかのように、虫どもが一切近づかない!そうでなければ、虫
――蝶を見たら音楽を止めよ――
まさかこんな迷信に従うときが来ようとは、いまのいままでウメコは思ってもみなかった。これならいつか、スカラボウルに雷が鳴って、おヘソを隠す日もやって来るかもしれないと考えると、ウメコはおかしさよりも身の毛がよだつような気がした。ある日スカラボウルに稲妻が走って、鬼のような奇っ怪な異星人が襲来してくる光景を頭に浮かべたのだ。そりゃこんな土地に生きているんだ、地球じゃ一笑に付されることだって、ここスカラボウルじゃ不思議じゃない。いつかそのうち自分のヘソで茶も沸くさ。「くわばら、くわばら」ウメコは呟いた。
『仰ッテイル意味ガ、ヨクワカリマセンガ』
「なんでもないのさ。お前もあんまりおしゃべりは気をつけた方がいいよ」
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