5話. 思い出の味2

 当時パナデスは王国の領土ではなく、とある領主が治める地域でして、その領主は“Satanista悪魔崇拝者”と噂されておりました。


 そこは隣国オルレアン王国との交流拠点として重要な位置でしてな、国王は平和的合併を望まれておりましたが交渉は上手くいかず幾度も決裂し、遂に戦争に踏み切ったのです。


 幸い犠牲者は領主とその妻のみ、しかも二人は自殺という形で戦争は終結しました。領主の従える貴族達や農奴らはもちろん、街の民衆達も皆エスパニルとの合併を望んでいたのです。


 あの時、国王軍だけでなく教会のラピス聖騎士団が一緒だったのも大きかったですな。多くの領民は悪魔崇拝なんぞよりもカリクティス教への入信を望んでおったのですよ。


 こうして無事領地の合併に成功し、私は暫く現地管理担当官の一人として滞在していました。街の人々は皆優しく親切です。そして古くから葡萄の産地として知られていたこの街には、こんな神話がまことしやかに信じられておりました。


――遥か昔、冥界の者が葡萄をこの地に齎した。その者はその葡萄で酒を造り、聖なる杯でそれを祝した。


 冥界とは聖書でいう所の魔王サタンとその配下共が住む世界。そんな世界の輩がこの地にワインを齎すなど到底信じられません、しかも“聖杯”でそれを祝すなど!


 それはともかく、私は俄然、この街のワインに興味を持ちました。


 季節は夏。

 体に突き刺さる眩しい陽射しは漸く落ち着きと柔らかさを見せ、酷暑の中に潮風がスゥっと吹き抜け、疲れた体と心に沁み渡る――そんなある夕暮れの事でした。


 私はその日の任務を終え、初めて街のバルに立ち寄ったのです。

 もちろん、目当てはこの街特産のカヴァ! それにバルのマスターがおすすめしてくれたのがBoquerones en vinagre背黒イワシの酢漬けでした。


 いやぁ、本当に美味かった!


 戦争後の酒というのはその多くが、同士の犠牲に捧ぐ弔いの酒だったり、心を静める慰めの酒でしたが、この時は心底、勝利の美酒の余韻に浸ることが出来た気がします。私はつい2杯目、3杯目とお代わりに手を伸ばしました。


 腹もそこそこ満たされ、私はぐるっと客席を見渡しました。

 すると店内の一番奥の片隅、もう薄暗くなっているテーブル席に一人、その方はグラス片手にカヴァを嗜んでおられた。


 濃紺色のローブに身を包み占い師の様な出で立ち。

 大きなフードを深く被りその顔は見えず、真っ赤な紅を差した口元だけがとても印象的で、魅力的でした。


 近くに人はおりません。何か人を寄せ付けぬとても妖しげな雰囲気を漂わせ、それが逆に私には大変魅力的に映ったのです。


 酒も些か回っておりました。

 しかし意識はちゃんとしてたのですよ、パナデスのいち管理担当官として、ここでとんだ失態を犯してはならぬと。

 少なくとも“暗黙の了解バックルール”はちゃんと判っておりましたし。


 私は、それでも彼女の美しさに惹かれ遂に意を決しました。

 彼女に手を伸ばしたのでございます


 彼女の座るテーブルに向かいます。

 マスターや店内の客たちはそれに気付き、瞬間、空気に緊張がほと走ったのをよーく覚えています。

 

 ご一緒……よろしいかな?


 そう尋ねた途端です。

 彼女の指先に赤い光の珠がポッと浮かび上がるとバチバチっと激しい音を上げながら眩い輝きを放ち始めました。

 それは恐ろしい威圧を感じる魔術でした。

 

 店内はもうごった返しです。

 客もマスターも我先にと扉や窓から外へと逃げ出します。

 私も酔いが一気に醒め、全集中して闘気を身に纏いました。

 嫌も応もありません。

 彼女は怯む事無く敵意剝き出しでその指先を私に向けたのです。


 私は咄嗟に叫びました。


 〇〇〇〇〇〇〇!


 ……気付くと私は爆風の威力で窓から外へと吹っ飛ばされ、先に逃げ延びていた客たちに大丈夫かと囲まれておりました。


 店は床と屋根に大きな円形の穴が空き半壊、あの女性はどこかに消えてしまいました。どうやら彼女の魔術の直撃は受けなかったのでしょうな。私にが当たっていたらと思うと今でもぞっと致します。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


「ねえ、その時なんて叫んだのよ?」

「ふふ、それは秘密です」

「えーっ? 良いじゃない教えてよ」

「まぁ誤解されては困ると思いましてな、本心をお伝えしたまでですよ」

「ぶぅーー」

 

「そんな事がございましたからな。結局、私は店を壊した責任の一端を担わされ、壊れた箇所の片付けと補修作業の手伝い、そしてそのバルの出入り禁止を軍のパナデス管理長殿より言い渡されたという訳です。私にとってはほろ苦い青春の思い出としてその味が刻まれているのですよ」


「ふーん……人に歴史ありって感じねぇ。ところでさぁ暗黙の了解バックルールって何?」


「簡単にご説明致しますと、バルで女性に声をかけた場合、その女性は声をかけた男性にどんな手出しをしても許されるというルールです、そう例え殺人であっても」


「えーーっ!」 

「まあ、お嬢様には無用の知識ではありますな」

「わ、私だってもう大人よ。バルくらい行くかもしれないわ!」

「止めなされ。お嬢様なら本当に人を殺しかねません、私はそれを体感しています」


「……。ま、まぁそれはともかく、あー気になるなー。カイマンなんて言ったのかしら? 好きです! 付き合って下さい!とか?」


「ふふ、ご想像にお任せ致します」


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・


――そう、あの時私はこう叫んだのです。


「そなたは美しい!」


 咄嗟だったから出た私の本心。

 しかしよくよく考えてみれば失礼な話で、酔った勢いで口から出まかせに出た言葉とも取られかねませんね。

 次に出会えたら――その時は素面でこの気持ちを伝えよう。

 ……結局彼女とはそれきりで二十年近くも過ぎてしまいました。

 

 それでももしまた出会える事があったなら――

 その時はちゃんとお伝えしようと思います、えぇもちろん素面でね。 



(続く)

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